公開日 2022/09/01
リスキリングの取り組みが加速している。しかし、政策議論においても経営的な議論においても、「リスキリング」という用語はあまりにも抽象度が高く、往々にして現場的なリアリティーが欠けがちだ。パーソル総合研究所では、リスキリングについての定量的な調査「リスキリングとアンラーニングについての定量調査」 を実施。本コラムでは、そこから得られたリスキリングに関連する3つの具体的な学び行動についてのデータを紹介し、議論の底上げをはかりたい。
今、多くの場で「リスキリング」についての議論が盛り上がっている。大手企業を中心に取り組みが活性化し、メディアでの報道も増えてきたことに加え、政府も企業の人材投資を一層後押しする構えを見せている。人材開発やHRM(Human Resource Management=人材マネジメント)業界においてもその言葉を聞かない日はなくなったともいえる「リスキリング」だが、このコンセプトは、もともと学術研究で用いられてきた概念というよりも、2018年のダボス会議にて提議され広がった一般語である。そのため定義は緩やかであり、「新しいスキルを獲得する(させる)」というくらいの意味合いですでに広く使われている。
しかし、その抽象的かつ広い意味合いのせいか、リスキリングの議論はしばしば机上の空論としか呼びようのない、現実味の無いものになる。リスキリングについての報道や議論のほとんどは、「必要なスキルを明確化し」→「そのスキルを新たに身につけて」→「ジョブ(ポスト)とマッチングする」という線的で単純な発想を有している。変化の激しい時代において、デジタル領域を中心とした新しいスキルを獲得し、来るべきジョブ・チェンジに備えるというのは大筋としては分かるものの、社会人領域の学びという伝統的話題に対してさほど新しいものを付け加えないし、これまで蓄積されてきた学習にまつわる多くの社会科学的知見が活かされているようにも見えない。
さらに、現在の「リスキリング」は、「DX(デジタル・トランスフォーメーション)」というさらに混迷を極めるバズワードと紐づいてしまう。リスキリングのために、「まずはDX戦略を明確化し」、「DX人材像を明確化することが必要だ」といわれる。しかしこの時点で、リスキリングの議論はほとんど「教科書的なきれいごと」へと墜ちていく。日本企業において、人材像を技術レベルまで明確化し、必要なヘッドカウントを数えられるほど具体的に定まったDX戦略など、ほとんどないのが実態からだ。デジタルを活用したビジネス・モデルの非連続的発展という極めてイノベーティブな経営行動において、手探り状態の企業群にそれを求めるのはかなりの高難度であろう。
一方で、「リスキリング」の抽象度を下げ、より具体的な従業員の行動へと落とし込んでいくことはまだまだ可能だ。「学び直し」や「スキルの再獲得」といった言葉で丸められがちなリスキリングの議論を、もう少し粒度の細かいリアリティーを持たせていくことができれば、多くの施策のヒントは見つかっていくかもしれない。
そこで、パーソル総合研究所では、定量調査を実施。リスキリングと関連している、より具体的な学び行動を探索した。
今回の調査では、リスキリングと関連しているより具体的な学び行動として、3つのものが見出されている。それらは、「アンラーニング」、「ソーシャル・ラーニング」、「ラーニング・ブリッジング」という3つの行動だ(図1)。※
基本的な属性を統制した分析の結果、これらの学びはリスキリングに対してプラスの関係にあることが確かめられた。これらは曖昧で広義なリスキリングを支える、具体レベルの学び行動として整理できるだろう。むろん、これだけが重要というわけでもないだろうが、リスキリングについて議論するときの粒度をきめ細かなものにするために参考になる。
このうち1つ目の「アンラーニング」については研究知見も蓄積しているコンセプトであるので、コラム「就業者のアンラーニングを阻むのは何か」ですでに議論している。アンラーニングとは、平たくいえば、「新しい仕事のやり方やスキルを獲得するために古いやり方を捨てる」行動だ。単なるスキルの新規獲得ではなく、過去に学んだことやこれまで用いてきた仕事のノウハウを「棄却する」ということに重点を置いた、より動的でダイナミックな概念である。コラム「就業者のアンラーニングを阻むのは何か」で紹介しているとおり、今までの仕事では影響力を発揮できないと悟る「限界認知」の経験がアンラーニングを促進する。
※「ソーシャル・ラーニング」と「ラーニング・ブリッジング」は、ベネッセ教育総合研究所・立教大学中原淳教授・パーソル総合研究所との共同プロジェクト(ハタチからの「学びと幸せ」探究ラボ)調査研究において導出されたコンセプトである。詳細は特設サイト「ハタチからの「学びと幸せ」探究ラボ」を参照されたい。
図1:就業者のリスキリングを支える3つの学び
出所:パーソル総合研究所「リスキリングとアンラーニングについての定量調査」
2つ目の「ソーシャル・ラーニング」とは、一言でいうならば「巻き込む学び」である。具体的には、「周りの人から意見をもらう」、「専門家や詳しい人に話を聞きにいく」といった、自らの学びや学習について、周囲の人を自ら積極的に関与させていくという行動である。
レイヴとウェンガーによる「正統的周辺参加」を引くまでもなく、人が他者を通じて学んでいくことは、学習研究の中で長らく注視されてきた。データの分析では、大学院への通学、OFF-JT、副業などの職場外の経験がこのソーシャル・ラーニングを促進していることも分かっている。越境的な経験は、いつもの同僚や上司とは違う人間関係に接続されることで、やはりこうした「巻き込み」が起こっているのだろう。
今、リスキリングにおける企業の実践として、多くの企業が「企業内大学」として研修システムを刷新・進化させていっている。その具体的な内容は多種多様だが、社内で講師を集め、仕事のノウハウからマインドセットまで多様な講座を用意している企業が多い。こうした企業内大学が実際の大学のように「学びの共同体」として機能すれば、それはソーシャル・ラーニングの場そのものへとなっていくだろう。いかにして、この社内外含めた「巻き込み」を全体に波及させていけるかが、リスキリングを狙う企業人事の腕の見せ所だろう。
3つ目の「ラーニング・ブリッジング」とは、いわば「橋渡す学び」のことだ。「仕事の経験と学んだことを結びつける」、「得た知識を業務に役立てようとしている」といった行動だ。知識同士や知識と実践を橋渡しするような実践である。
一見して、これはかなり難度の高いものだと感じられる。デヴィッド・コルブの経験学習サイクルでいえば、「省察」、「概念化」とその次の「実践(実験)」をつないでいく、その「リンク」の部分を指す抽象的な実践だからだ。
しかし、ヒントはある。今回の調査から分かったことは、紙のノートやブログなどで個人的な学びの記録を記録しておくこと、いわば「学びログ」の実践が、このラーニング・ブリッジングとプラスの関連が見られた。
どんな研修訓練も、記憶として定着し、業務の変化につながらなければ意味がない。特に、身体的な反復練習によっては獲得が難しいホワイトカラーの技能においては、記憶として覚えていられる知識には限界がある。いくら研修や独学で知識を得ても、現場に戻ったとたんにリセットされる。こうした忘却のプロセスはリスキリングの「大敵」である。
先ほどのデータから示唆を引き出せば、短期的記憶として忘却されてしまう知識やスキルを、「ストック」として記録することを通じて、ラーニング・ブリッジングを促進することができそうだ。学習管理システムの履歴機能や研修後適宜のフォローアップ、期間をおいたトレーニングのデザインなど、橋渡しを促すための「記憶の外部化≒学びのレコーディング」のサポートは、さまざまなツールを用いながら多くの工夫ができる領域だろう。
図2:「リスキリング」を支える3つの学びと行動・経験
出所:パーソル総合研究所「リスキリングとアンラーニングについての定量調査」
さて、3つの学び行動を見た。こうして要素分解していくと、抽象度の高い「リスキリング」についてより多くのことを知ることができる。例えば、年代別にこれらの行動を見たときに、「中高年」のリスキリングがなぜ難しいのかが明確になる。 図3に示した通り、40-50代においてはリスキリングに関連していた3つの学び特性がいずれも下がっていく傾向が見られた。さらに、3つの学びを促進していた行動・経験としては、「学習記録行動」、「職場外学習」の2つが特に40-50代で大きく下がっているからだ。
図3:3つの学び特性と3つの学びを促進する行動・経験の増減率(年代別)
出所:パーソル総合研究所「リスキリングとアンラーニングについての定量調査」
中高年のリスキリングを課題と感じている企業は、これらの経験を促すことが助けになるだろう。広く手挙げ式のeラーニングを準備し「学んでほしい人が学んでくれない」と嘆くよりも、越境的な業務経験を積極的に中高年にアサインすることや、研修にさまざまな記録ツールを組み合わせるなどの工夫を積み重ねていくことで、中高年のリスキリングはより身近なものになっていくはずだ。
リスキリングに関連する「アンラーニング」「ソーシャル・ラーニング」「ラーニング・ブリッジング」という3つの学びを紹介した。過去の学習理論や認知科学などの知見が明らかにしてきたのは、人にワクチンを皮下注射するようにスキルを「注入」するような「学び」のイメージは、端的に誤っているということだ。
リスキリングを支えている学びとは、「人を巻き込みながら、知識と経験をつなげ、古いやり方を捨てて新たな実践を生み出していくこと」であった。また、職場外の業務経験や学びの記録といった「環境」が、そうした学習行動を促進していた。むろん重要な要素をすべて汲み尽くせているわけではないが、このように要素分解することで、リスキリングとは環境と個人の間に起こる「創発」的な営みであるということがはっきりと見えてくる。
詰め込み教育がしばしば批判されるように、教育による「インプット」にばかり注力しても、職場でのスキル発揮という具体的な「アウトプット」は導かれない。ソーシャル・ラーニングもアンラーニングもラーニング・ブリッジングのいずれも欠如している”リスキリング”をいくら施しても、それは教育提供側の自己満足で終わるだろう。
リスキリングを促進したい企業が成すべきは、トレーニングを詰め込んで従業員へスキルを注射することではない。上述のようなスキルと実践の「創発」のプロセスこそを最大化するように、企業の環境や仕組みを整備していくこと。本コラムは限られたデータしか紹介できていないが、少しでもそうした「創発的な」リスキリングのヒントになれば幸いである。
シンクタンク本部
上席主任研究員
小林 祐児
Yuji Kobayashi
上智大学大学院 総合人間科学研究科 社会学専攻 博士前期課程 修了。
NHK 放送文化研究所に勤務後、総合マーケティングリサーチファームを経て、2015年よりパーソル総合研究所。労働・組織・雇用に関する多様なテーマについて調査・研究を行う。
専門分野は人的資源管理論・理論社会学。
著作に『罰ゲーム化する管理職』(集英社インターナショナル)、『リスキリングは経営課題』(光文社)、『早期退職時代のサバイバル術』(幻冬舎)、『残業学』(光文社)『転職学』(KADOKAWA)など多数。
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