公開日 2022/09/02
近年、日本企業においても従業員のリスキリングへの取り組みが加速しているが、まだまだ各社手探りの状態が続いている。パーソル総合研究所では、リスキリングの現状とそれを促進する人材マネジメントの要因を探るため「リスキリングとアンラーニングについての定量調査」を実施した。本コラムではその調査結果を参照しながら、リスキリングとHRM(Human Resource Management=人材マネジメント)の交点について具体的なヒントを探りたい。
今、「リスキリング」が衆目を集めている。日々、企業が進めるリスキリングの取り組みや成果についての報道がなされている。その背景を指摘すれば、DXのトレンド、人的資本情報の開示、自律的なキャリア形成の動向などがあげられよう。2018年の世界経済フォーラムによる「リスキリング革命」の提議をきっかけとして、「リスキル」はコロナ禍の労働世界においてトレンドの中心に躍り出た感がある。
しかし、特に日本におけるリスキリングの議論の中身を見れば、さほど新しいことはいわれていない。人への投資や育成を強調するのは80年代後半からの「人本主義」経営(伊丹敬之)の延長であるし、バブル崩壊後、「リカレント教育」などのスローガンとともに、社会人の学びなおしの必要性は幾度となく指摘されてきた。人材業界によくある単純な「焼き直し」の側面もあろう。
それでもなお現在のリスキリング・ブームの独自性を指摘するならば、「学び直し」と比べ、リスキリングはその推進主体が「企業」の側にあるという力点が明確になってきたことだろうか。旧来の人材開発がDXと合流し、「DX人材開発」と衣替えしたことで、経営の意思決定が思い切ったものになってきている。実際、企業のリスキリング研修などの中身を見れば、やはり「AI」「機械学習」「統計解析」などの文字が躍る。
中途採用では解決できないデジタル人材不足は内部で育成するしかなく、変化に富んだビジネス環境の変に柔軟に適応していく人材は、これからも否応なしに求められ続ける。そうした企業の見込みに対して人的投資を求める政府の後押しもあり、長く低迷してきた日本の人材育成投資の潮目がようやく変わるきっかけを与えられている状況だ。
しかし、リスキリング議論の内容を眺めると、筆者は首を傾げることが多い。人材育成・人材開発についてはここ数十年、わが国でも多くの知見が急速に積み重ねられてきたが、「リスキリング」や「人的資本」というトピックになったとたん、その思考のモデルはまるで先祖返りかのような単純さが目立つものになっているからだ。
リスキリングについての報道や議論のほとんどは、「必要なスキルを明確化し」→「そのスキルを新たに身につけて」→「ジョブ(ポスト)とマッチングする」という線的で単純なモデルに依拠している。大規模なジョブ・チェンジを伴う派手な海外事例などを表面的に追えば、自然とそうした発想に引き寄せられるのだろう。必要なスキルのための「鋳型」をつくり、それに人材を「流し込み」、必要な場所に「出荷」するという、旧態依然とした「工場モデル」の発想だ。
ヒト・モノ・カネという古典的な3つの経営資源の中で、最も「伸縮性」が高いのがヒトという資源だ。人は、置かれた環境によって発揮できる能力やスキルの幅が大きく異なる。スーパーエンジニアや新規事業開発の玄人など、「業界のプロ」として鳴り物入りで入社した人材が、転職先の企業で全く機能せずに辞めていってしまう事例など、枚挙にいとまがない。この人間の能力やスキルの発揮についての「環境依存性」「文脈依存性」こそが、様々な社会科学が多方面から検証し実証してきたことだ。
つまり、今の一般的なリスキリング議論のいわば「工場モデル」の問題は、スキルの「獲得」と「発揮」という本来最も重要なプロセスへのパースペクティブがあまりに素朴すぎるという点だ。そもそも、日本の労働者の学習意欲の低さと学習習慣の無さはさまざまな国際調査においても指摘されている。「自律的学習だ」と勢い勇んで学びの機会だけつくっても、自発的に学ぶ従業員はごく一部に留まる。また、集中講座や研修やトレーニングで短期的にテクノロジーの「記憶」や「知識」を詰め込んでも、その「発揮」まではずいぶんと距離がある。
そうした素朴なリスキリングのイメージを拡張するために必要なことは、より現実的かつ精緻な粒度で議論するための視座(パースペクティブ)であり、言葉(ボキャブラリー)である。そこで、パーソル総合研究所が実施した定量調査「リスキリングとアンラーニングについての定量調査」からそのヒントを探りたい。
まずは得られたデータから、シンプルに現在の就業者のリスキリングの実態を見てみよう。正規雇用者全体で、「一般的なリスキリング経験」がある者は3割前後、ITツールや統計データ解析など、昨今重視されるデジタル領域のリスキリング経験(デジタル・リスキリング経験)は2割程度となっている。また、常に新しい専門性やツールなどを学び続けている、という「リスキリング習慣」がある者は3割弱となっている(図1)。さほど多くはないが、それほど低くもない数字だが、ジョブ・ローテーションなどで職務横断の異動とその後の学び直しがしばしばあることを考えれば、現実味のある数字だ。
図1:リスキリングの実態
出所:パーソル総合研究所「リスキリングとアンラーニングについての定量調査」
業職種別の就業者のリスキリング実態をリスキリング・マップとしてまとめたのが図2、図3である。
図2:業種別のリスキリング・マップ
出所:パーソル総合研究所「リスキリングとアンラーニングについての定量調査」
図3:職種別のリスキリング・マップ
出所:パーソル総合研究所「リスキリングとアンラーニングについての定量調査」
これらを見るとまず、デジタル領域のリスキリングとより広い一般的なリスキリング経験がかなり相関していることが分かる。リスキリングにおいて「デジタル領域の学び」であることをかつての「学び直し」との違いとして強調する論者も散見されるが、近年のITツールの発展を鑑みれば、一般的なリスキリングにも何かしらのデジタル要素が入って当然であり、取り立てて強調するようなことでもないだろう。
そのうえで図2の業種別のマップを見ると、就業者のリスキリング経験が高いのは「情報通信業」、「教育、学習支援業」、「金融業、保険業」、「電気・ガス・熱供給・水道業」などだ。DX・デジタル化の必要性やカーボンニュートラルなどの構造的変化の影響が強い業界だろうか。また、コロナ禍による近年の社会変化が大きかった業種であることも指摘できよう。
リスキリングの経験の多寡は、職種によっても大きく変わる。「IT系技術職」や「商品開発・研究」、「企画・マーケティング」などが、リスキリング経験の多い職種だが、これらの職種はビジネス変化の影響を直接的に受けやすい(ないしは対応が必須な)職種としてまとめることもできるだろう。その一方で、「建築・土木系技術職」、「飲食接客」、「販売職」や各種「事務・アシスタント」は、リスキリング経験が少ない。こうした職種別のリスキリングの「格差」は、今後の労働市場への変化に適応への格差に直結する点でも今後も注視していきたいポイントだ。
さて、本題に入ろう。まずは、従業員のリスキリング実践と人材マネジメント全般特徴との関係を見た。
さまざまな人材マネジメントの要素の中で、広義の一般的なリスキリングと紐づいているのは、「目標の透明性」である。これは、個人目標と組織目標が重なり合っているということだ。
この結果は示唆に富む。多くの企業で目標管理制度は形骸化している上に、その刷新や運用の適正化は手つかずの企業が多いからだ。世間では、「ジョブ型雇用」などの派手な制度変革は話題になれど、実際の人事制度と従業員のタッチポイントである目標管理‐評価のプロセスは副次的なものであり続けている。
また、目標管理において評価-処遇のプロセスが一体化しているのも多くの日本企業の特徴だ。相対評価へとならされて極端につけられない人事評価が、リスキリングを促すための個々人の「アンラーニング」を抑制していることも分かっている。「教育」に限局されがちな世間のリスキリングの議論において、目標管理が話題になることはほとんどないが、日々の目標管理プロセスの見直しがリスキリングへもつながることを示唆する結果だ。目標管理制度の問題点と処方箋についての詳細を議論するには紙幅が足りないので、こちらの別コラム「人を育てる目標管理とは 従業員の「暗黙の評価観」が鍵」も参照されたい。
一方で、デジタル領域のリスキリングは、「キャリアの透明性」が最もポジティブに関連していた。社内でのキャリアパスが明確に示され、定期的にキャリア相談があり、社内公募中心に異動が行われているような企業では、従業員のデジタル領域のリスキリングが進んでいる。ジョブ・チェンジを前提とすることの多い「DX人材育成」において重要なのは、やはり学んだ先の「キャリア」が見えていることだということのようだ。
そしてその逆に、「会社都合」で行われる異動の多さは、リスキリングに対してネガティブな影響が見られている。日本企業のキャリアでは、業務命令異動=ジョブ・チェンジが先で、その後の適応行動という現場主導のOJTが中心になる。これはいわば「復習」型の学びだ。それに対して、リスキリングにおける学びの要諦は将来的なジョブの自発的な選択を見越した「予習」にある。会社都合で自分の意志とは関係のない異動を繰り返すことは、これまでも日本企業の就業者を学びから遠ざけてきた。
図4:リスキリングと人事制度・人事管理の関係
出所:パーソル総合研究所「リスキリングとアンラーニングについての定量調査」
そしてもう一つ触れたいのが、「職場」の要因である。今、多くのリスキリングの議論が机上の理想論のように見えてしまうのは、先述した「工場モデル」的な発想によって、「職場」の要因が等閑視されているからである。職場における重要なプレイヤーである上司の行動と従業員(部下)のリスキリングとの関係を見てみよう。
一般的なリスキリングとデジタル・リスキリングの両方に影響していたのは、上司の「探索行動」である。上司自身が新しい変化を歓迎し、学んでいる態度を見せることによって部下も新たな学びは引き出されている。逆にいえば、上司自身が変化を好まない場合には、その部下もリスキリングを進めようとはしていないようだ。先行研究においても、上司の変革行動がアンラーニングを促進していることは確認されており、安定的な傾向とみてよいだろう。※
※松尾睦、2021、『仕事のアンラーニング』、同文舘出版
デジタル・リスキリングにはそうした探索行動に加え、上司による部下の「キャリア支援」がリスキリングにプラスに影響している。やはりここでもデジタル領域のリスキリングには「キャリア」の要素が深くかかわっているようだ。上司と部下がキャリアについて対話し、期待や希望などを相互に伝え、中長期的なビジョンを持つことを促す。多くの現場ではこうしたキャリアについての対話は二の次にされているが、「キャリア自律促進」の名の下に、改善が模索されている途上でもある。
図5:リスキリングと上司マネジメントの関係
出所:パーソル総合研究所「リスキリングとアンラーニングについての定量調査」
本コラムでは、定量的な独自分析をもとに、リスキリングと関連する人事施策・上司マネジメントの内容を見てきた。こうした人材マネジメント全体との関連を見るだけでも、従業員のリスキリングが、「研修訓練の提供」を大きく超える領域であるということがお分かりいただけただろう。冒頭で述べた「必要なスキルを明確化し」→「そのスキルを新たに身につけて」→「ジョブとマッチングする」という単純なモデルのナイーブさも同時に浮き彫りになる。人材マネジメントとは、戦国シミュレーションゲームのようにキャラクターを「強化」して戦場に「配置」するという機械的なものではなく、多くの要素が絡み合う有機的な営みである。
その多様に見える要素の中で、「目標管理の適正化」も、「キャリアコースの透明性」も、「キャリアに関する上司部下の対話促進」も、他の要素よりも「優先」してもよさそうな要素として統計的に浮かび上がったものだ。施策としての優先順位をいかにつけ実践していくか、本稿がその検討に少しでも役立てば幸いである。
シンクタンク本部
上席主任研究員
小林 祐児
Yuji Kobayashi
上智大学大学院 総合人間科学研究科 社会学専攻 博士前期課程 修了。
NHK 放送文化研究所に勤務後、総合マーケティングリサーチファームを経て、2015年よりパーソル総合研究所。労働・組織・雇用に関する多様なテーマについて調査・研究を行う。
専門分野は人的資源管理論・理論社会学。
著作に『罰ゲーム化する管理職』(集英社インターナショナル)、『リスキリングは経営課題』(光文社)、『早期退職時代のサバイバル術』(幻冬舎)、『残業学』(光文社)『転職学』(KADOKAWA)など多数。
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