公開日 2024/04/05
環境変化に対して適応し続けるための学び合う組織づくりについて、パーソル総合研究所ではさまざまな調査を実施してきた。その中で、学びの習慣があまりにも低い日本の就業者の心理をより詳細に分析すると、学びから遠ざかる「ラーニング・バイアス(偏った意識)」が7つ明らかになった。本コラムではそのバイアスの在り方とその背景について詳述したい。
日本の就業者の自発的な学びの少なさは、各所で指摘されているところだ。リスキリング・ブームの最大課題といってよいこの課題を打破するために、よりミクロな心理から、日本人の「学ばなさ」を解剖してみたい。
パーソル総合研究所の調査からは、ビジネスパーソンの学習には学びについての7つの偏った意識(バイアス)が影響を及ぼしていることが示された(パーソル総合研究所「学び合う組織に関する定量調査」 )。図1に概要をまとめて示したが、これらのバイアスが、学び行動や意欲に対してマイナスの関係が見られた。それぞれの内容を簡単に説明していく。
図1:学びを遠ざける7つのラーニング・バイアス
出所:パーソル総合研究所「学び合う組織に関する定量調査」
「学びとは、新人や若い人だけが行うものである」といった、学び行動を年齢や社会人経験の浅さに結びつけるような意識だ。「若いころの苦労は買ってでもせよ」という言葉があるが、その言葉の裏にあるのは「歳をとったら楽をしてよい」ということ。まさにこうした意識が「新人」バイアスそのものであり、ミドル・シニアになって学びが縮小することを自己肯定していくのかもしれない。やはり、男女とも50‐60代でこの「新人」バイアスが強いことも明らかになっている。
学びは学校で生徒が行うものであるという「学校偏重」の考え方だ。このバイアスは、学びのイメージを大学院や専門学校といった教育機関だけに閉じ込めてしまう。日本は20代中盤からの大学院進学率が極めて低いことでも知られる。「学びは学校でするもの」、という学生意識を引きずっていることが、反動的に大人を学びから遠ざけているというのは極めて興味深いことだ。
もともと自分は学びが得意ではない、自信が無い、といった意識だ。学校での成績や学歴の低さといった過去の経験から、「お勉強嫌い」になっていることが想像できる。この背景にあるのは、ビジネスパーソンの学びを学校での勉強の延長として捉えてしまっている意識だろう。業務に生かせるような学びの多様性は、学校で成績が付けられるような教科学習とはまったく別物である。それをさも同一視した上で、「自分はもともと勉強が苦手」という習慣的な思考で自らを縛り付けてしまっている。
「現場での実務経験だけが大切である」といった意識だ。日常的にも、営業組織や生産現場の声が多い会社でしばしば見られる。こうしたバイアスが強い人は、研修や理論的な知識インプットの事を「机上の空論」として安易に退けがちだ。しかし、いくら観光旅行に行ってもその土地の歴史や文化に詳しくならないように、経験を重ねるだけでは専門性は積み上がらない。経験とは、言語的な「意味」を経由することでようやく経験として思考可能になる。
「手っ取り早く、正解だけを学びたい」という意識だ。近年、稲田豊史による著『映画を早送りで観る人たち』(2022年、光文社)がベストセラーになったが、さまざまな領域で「時短」「タイパ」が叫ばれるのが昨今のトレンドだ。同じように、学びについても自ら考えたり検討したりすることを省略し、正解だけを効率的に学ぼうとする意識がある。これらのバイアスが強い人は、学びを行動に移すことや学びを継続することから遠ざかっていることが分かっている。家庭領域の主たる担い手になっている人が多いからか、女性の40‐60代でこの「タイパ」バイアスが高い傾向にある。
生まれつき知能や頭の良さは決まっており、その後は変えることはできないという意識だ。学術的には、キャロル・S・ドゥエックによる「固定的知能観(Fixed-Mindset)」という概念がよく知られている。「固定的知能観とは、生まれもった知能・才能は努力によって変えられない」という知能に対するマインドセットであり、その逆に「拡張的」な知能観は、変えられる、成長できるというマインドセットのことである。これは、グロースマインドセット(Growth-Mindset)という言い方で人口に膾炙(かいしゃ)するようになった。この対比でいえば「固定的知能観」に近しいこの意識は、男女とも20‐30代で高いことも分かっている。若年のほうが、出身大学や偏差値などの最終学歴からの時間が短く、人の頭の良さを固定的に見る傾向が強いことが推察される。
今のままで十分仕事ができている、という現在を肯定するような意識だ。今のキャリアの延長線上で行けば仕事をやり続けるだろうという意識である。これが新しい学びに対して保守的になってしまうことは直感的にもすぐ理解できるだろう。特に、女性の40‐60代は「タイパ」バイアスとともに、この「現状維持」バイアスが強い。女性活躍が遅々として進まない中、スキルアップや組織内での活躍を目指さずにほどほどでよい、とする意識が強いことがうかがえる。
その他の解析結果を抜粋しておけば、「新人」「学校」「自信欠如」「地頭」バイアスなどが、学習意欲を下げ、「現状維持」「タイパ」「現場」バイアスなどは、学習時間を短くしている傾向が確認されている。
図2:ラーニング・バイアスと学習への影響
出所:パーソル総合研究所「学び合う組織に関する定量調査」
7つのラーニング・バイアスをそれぞれ紹介した。多かれ少なかれ、こうした「学び」のイメージの偏りが、ビジネスパーソンを学びから遠ざけている。それでは次に、バイアスを高めていそうな組織の特性を見てみたい。
多くのバイアスとプラスの関係にあったのは、まず、「長時間労働習慣」「異動の多さ」「職務の曖昧さ」という特徴だ。この3つの特徴はすべて伝統的に日本の雇用の在り方に貼りついている特徴でもある。「空白の石版」と呼ばれる日本の職務の無限定性によって、異動は企業主導で容易に行われ、役割外の業務を含めて長時間労働の習慣も根強い。
さらに別の要因としては、より会社特有のものとして、考えるよりもとにかく行動を優先するような行動主義的な風土や、業績を必ず達成しなければいけないという厳しい成果への圧力があった。これらは現状の業務の達成と、そのための最短距離の行動だけを求められるということであろう。これらもまた学びへのバイアスを高め、学びから遠ざける遠因となっている。
図3:ラーニング・バイアスを高めている組織の特性
出所:パーソル総合研究所「学び合う組織に関する定量調査」
組織的に学びを促進するためには、こうしたラーニング・バイアスを解除する必要がある。そのための一手としては、やはり顕在的・潜在的に維持されてしまっている自分のバイアスへの気づきを与えることであろう。
同調査からは、学びについての自己認識(セルフア・ウェアネス)が高いことは、やはり学び行動ともプラスの相関が見られている。実際、筆者も社員向けのリスキリング研修のような形で、このようなバイアス含めた自己理解へのサポートを実施している。研修以外にも、ワークショップや組織別・個別アセスメントなどを通じ、自らの「学び」の意識や苦手分野、伸ばしたいスキルなどへの理解を促進することができれば、歪んでしまっている「学び」への意識を是正できるだろう。無意識のバイアスに捕らわれている従業員は、なかなか自ら気づき、意識を正すことは難しい。組織からの介入が欠かせない領域である。
本コラムでは、パーソル総合研究所「学び合う組織に関する定量調査」で明らかになった日本のビジネスパーソンの7つのラーニング・バイアスを紹介した。
また、そうしたバイアスの背景として「長時間労働習慣」「異動の多さ」「職務の曖昧さ」などの日本の雇用全体の特色や、「とにかく行動主義」「業績必達主義」などの企業や職場ごとの個別の組織風土があることも示唆された。リスキリング・ブームに沸く日本だが、このようなバイアスを放置すれば、中長期的に学ぶ組織には近づかない。これからの企業の人材開発機能の役割は、従業員の「学び」の意識や身につけたいスキルなど、バイアスを含めた学びについての自己理解を促進し、「学ぶ個人」をバラバラにつくることではなく、学び合い続ける組織をいかにつくれるかにこそある。
シンクタンク本部
上席主任研究員
小林 祐児
Yuji Kobayashi
上智大学大学院 総合人間科学研究科 社会学専攻 博士前期課程 修了。
NHK 放送文化研究所に勤務後、総合マーケティングリサーチファームを経て、2015年よりパーソル総合研究所。労働・組織・雇用に関する多様なテーマについて調査・研究を行う。
専門分野は人的資源管理論・理論社会学。
著作に『罰ゲーム化する管理職』(集英社インターナショナル)、『リスキリングは経営課題』(光文社)、『早期退職時代のサバイバル術』(幻冬舎)、『残業学』(光文社)『転職学』(KADOKAWA)など多数。
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