公開日 2022/08/23
今、就業者のリスキリングやアンラーニング(※1)が注目されている。従業員の学びや新しいスキル獲得のために、企業はさまざまな施策を練っているが、新しい知識や技術は「獲得するだけ」では価値発揮に結びつかない。学び直された知識や技術は、現場で使われ、組織の中で何らかの変化を起こさない限り意味がない。逆にいえば、こうした「変化」が一切見込めないのであれば、就業者はわざわざ新しいスキルを獲得することには自発的にはならないだろう。従業員のリスキリング・アンラーニングと組織・業務の「変化」は、並行的な事柄だ。
本コラムは、こうした「変化」を起こすことを躊躇してしまう心理メカニズムについて、パーソル総合研究所「リスキリングとアンラーニングについての定量調査」から分かったことを紹介するものである。
(※1)アンラーニング:これまでの仕事にかかわる知識やスキル、考え方を捨て、新しいものに変えていくことを指す
パーソル総合研究所の調査からは、変化を伴うリスキリングやアンラーニングには、それを抑制してしまう、組織の中の心理メカニズムがあることが見えてきた。その心理のことを、ここでは、《変化抑制意識》と呼んでいる。《変化抑制意識》とは、組織の中で業務上の変化を起こすことを「負荷=コスト」として捉え、避けようとする意識だ。
具体的には、「今の組織で仕事のやり方を考えることは大変だ」、「自分だけが仕事のやり方を変えてもしょうがない」、「今の組織で仕事の進め方を変えると混乱を招くと思う」といった意識のことだ。こうした変化に対する負荷意識について、就業者の3割前後が「ある」ないし「たまにある」と答える(図1)。
図1:変化抑制意識の実態(抜粋)
出所:パーソル総合研究所「リスキリングとアンラーニングについての定量調査」
この《変化抑制意識》が強いと、アンラーニングにもリスキリングにもマイナスの影響がある傾向が確かめられた。図2のように〈変化抑制意識〉の高い層と低い層を比較すると、高い層のほうがアンラーニングもリスキリングも有意に低い傾向が見られ、さまざまな属性をコントロールしてもこの傾向は維持された。
図2:変化抑制意識とアンラーニング、リスキリングの関係
出所:パーソル総合研究所「リスキリングとアンラーニングについての定量調査」
《変化抑制意識》は、単純にアンラーニングや変化創造を妨げるだけではなく、ワーク・エンゲイジメントに対してネガティブな効果も見られ、「仕事について深く考えない」、「やりがいや意味を見出さない」といった縮小的な仕事意識を促進してしまう効果も見られた。私たちは「自分だけ何かを変えても意味が無い」、「変化を起こすのは面倒くさい」と思ってしまうような組織で働いていても、仕事そのものへのやりがいを見いだせないということだ。毎日の仕事において自ら起こせる変化があるということは、それほど重要なことのようだ。
さて、《変化抑制意識》が作用するメカニズムについて、もう少し構造的に説明しよう。この意識が意味するものをより正確にいえば、「自分が変化を起こすことがコストになることへの予期」だ。直接的表現にすれば「変化コスト予期」となるだろうか。
つまり、組織の中で新たな仕事のやり方やアイデアを思いついた個人がいたとしても、組織全体を見渡した上で、「この変化を起こすのは大変だろう」、「同僚は困るだろう」という予期が生じてしまえば、そのアイデアを引っ込めてしまい、アンラーニングもできはしない。ポイントは、「本当は」、周囲の同僚も変化を望んでいるかもしれないが、それがコストとして「予期」されてしまった瞬間に個人の新しい試みは抑制されるということだ。
ここで思考の補助線として知っておきたいのが、心理学における「多元的無知」のプロセスである。多元的無知とは、「集団の多くの成員が、自らは集団規範を受け入れていないにもかかわらず、他の成員のほとんどがその規範を受け入れていると信じている状態」のことを指す(※2)。図3の投票の例のように、当事者が他者の予期を誤って予期してしまうと、本当はみなが望んでいないにもかかわらず、政党Aへの投票という行動が導かれてしまう。
(※2)Allport, F. H. (1924). Social psychology. Boston: Houghton Mifflin.
神信人(2009).集合的無知 日本社会心理 学会(編)社会心理学辞典 丸善出版 pp. 300–301.
図3:多元的無知
出所:筆者作成
こうした多元的無知のメカニズムの応用範囲は広く、組織風土などが温存されるメカニズムにも援用可能性が指摘されている。例えば、日本人はしばしば集団主義的、集団協調的だと捉えられてきた。しかし、実際には個々人は独立的な生き方を望んでいるにも関わらず、独立的な行動をとると周りの人に嫌われてしまうと「予想」するがために(多元的無知)、協調的な振る舞いが人々に採用され続けている可能性などが示唆されている(※3)。
(※3)橋本博文. "相互協調性の自己維持メカニズム." 実験社会心理学研究 50.2 (2011): 182-193.
先述した《変化抑制意識》も、この多元的無知を引き起こし、連鎖的に波及してしまう可能性がある。つまり、本当は周囲の同僚も新しいアイデアを試したいと考えていたとしても、その意図について当該者が「無知」であれば、変化抑制の作用が働いてしまうからだ。「みなはいつものやり方を好む=変えるのには負荷がかかる」という予期が他の同僚にとっても同様に発生してしまえば、その「無知」は「多元的」に重なり合う。こうして、《変化抑制》は個人のレベルを超えて組織的な波及力を持つようになる可能性があるのだ(図4)。
図4:変化抑制のメカニズム
出所:筆者作成
さて、さらに、組織が持っている特徴とこの《変化抑制意識》との関係を分析してみると、極めて興味深い事実が浮かび上がってきた。それは、職場メンバー間で仕事をフォローしたり助け合ったりする、「相互援助」の文化を持っていることが、この変化抑制の意識を「上げる」方向に作用していた点だ(基本属性を統制した多変量分析の結果)。
国際的に見たときの日本の組織の特徴として長らく指摘されてきているものに、「業務の相互依存性の強さ」がある。しばしば指摘されるように、日本企業の雇用の在り方は、個々のポストのジョブ・ディスクプリションが明確でなく、従業員による分業意識が希薄だ。逆にいえば、職務分担をまたぐような相互の「助け合い」は当然のように奨励され、業務範囲が曖昧な中で効率的に働くには、互いをカバーしあわないと業務遂行が難しいのが日本の働き方だ。「他人の仕事を奪うことになるのであえて手伝わない」というようなジョブ型雇用社会にしばしば見られる規範意識は、日本の職場には希薄である。
この特徴は、製造業全般のカイゼン活動や小集団活動に代表されるように、部署横断的に「全体最適」を達成するための横のつながり・重なり(水平的コーディネーションの強さ)を生み出した。ジャパン・アズ・ナンバーワンと呼ばれた80年代まで、このメンバー同士の相互依存性の高い働き方は、日本企業の「強み」とされ、筆者の見るところ、今でも多くの産業で受け継がれている。
しかし、日本企業のこうした相互の助け合い文化が、「個のアイデア」や「変化を生む意思」を削ぐ《変化抑制意識》を高めているというのは極めて興味深い。相互依存性の強さは、全体最適を図るには適していたかもしれないが、個人発の「思い切った変化」を生みにくいということだ。しかもそれは、リスキリングやアンラーニングといった知識・技能の獲得にもマイナスの影響を及ぼしている。
その他にも、業務の特性として、「自律的でないこと」、「タスクが個人で完結していないこと」、「成果が明確でないこと」なども《変化抑制意識》を高めている。日本組織の特徴とされていることは、ことごとく「変化創造」というプロセスと相性が悪いことを示すものだ。
では、こうした変化を抑制してしまうようなメカニズムに対して、環境に合わせて変化を生んでいきたい組織はどうすればいいだろうか。先程のデータから導き出される示唆は、「職場で助け合うな」ではない。分業の範囲を超えた組織市民活動の重要性は、すでに欧米でも重要視されて久しい。この変化抑制のメカニズムに対しては、アンラーニング促進についての統計解析の結果から、2つの側面から処方箋を議論することができる。
《変化抑制意識》の中身は、変化を起こすことがコストであるという「予期」であった。1つ目は、そもそもそうした予期を「生じさせない」という方略である。これを「挑戦共有」方略と呼んでおく。
予期防止方略の肝は、単純にいえば、挑戦やチャレンジを積極的にしていこうという組織全体の目標の「共有」である。共有といってもメンバーの心の中を覗き合うわけにはいかない。「共有されている信念」を広げることで、《変化抑制意識》を生じなくさせるという発想である。
例えば具体的には、チャレンジして失敗しても再挑戦を歓迎することを明示していくようなメッセージングや、通常の業務目標とは異なる「チャレンジ目標」を組織全体で設定するようなことがあろう。実際に、昨今の目標管理制度の見直しの中で、チャレンジ目標をメンバー間で公開するような企業が出てきた。また、MBO(Management by Objectives)の代替として一部に導入されているOKR(Objective and Key Results)といった目標管理手法も、挑戦的な目標を共有しようする発想は同根である。
また、同調査からは、キャリアの目標設定機会や業務外活動の推奨も予期を生じなくさせる効果があった。「目の前のことを着実に終わらせる」といったことではなく、メンバーの目線をより遠く、長い視点で仕事をするような機会が、《変化抑制意識〉の防止に役立つようだ。
「挑戦共有」方略に対して、もう一つの方略は、「変化報酬」方略とでも呼べる方略だ。確かに変化を起こすことは大変かもしれない。しかし、その予期された「大変さ=コスト」を凌駕する、より多くの「見返り=報酬」を用意すれば変化を起こすことを厭わなくなるかもしれない。いわば予期されたコストの「打ち消し」を狙う発想である。
分析からは、今の組織でこれから「給与」や「役職」、「経験」が得られそうだ、「学び」が活かせそうだという報酬の見込みが、人々のアンラーニングを促進していた。ハーズバーグのモチベーション理論の2つの区分に照らせば、やや衛生要因に近い要因が「捨てること」「変えること」を導いているようだ。
この内、「給与」、「経験」、「役職」が得られそうだという見込みは、リスキリングを継続的に習慣づけることに対しては、あまり結びついていない傾向も観られた。しかし、個性豊かなメンバーが揃っているような場合では、こうしたわかりやすい「報酬」で、個人の変化創造への意欲を喚起するやり方も十分検討に値するだろう。
図5:「変化抑制」に対する処方箋
出所:パーソル総合研究所「リスキリングとアンラーニングについての定量調査」
本コラムは、「個人と組織がなぜ変化を起こせないのか」という難問を、《変化抑制意識》という新しい概念を用いて改めて照らしてきた。《変化抑制意識》が強いと、アンラーニングにもリスキリングにもマイナスの影響がある傾向が確かめられ、さらに、《変化抑制》は個人のレベルを超えて組織的な波及力を持つようになる可能性があることにも触れた。
この「変化抑制」に対する2つの処方箋は下記の通りである。
①「挑戦共有」方略:挑戦やチャレンジを積極的に行うような組織全体の目標を設定・共有することで「変化コスト予期」を生じさせない方略。
②「変化報酬」方略:「給与」や「役職」、「経験」が得られたり、「学び」が活かせたりしそうだという報酬の見込みにより、予期されたコストを打ち消す方略。
何も変化を起こさないのであれば、アンラーニングもリスキリングも机上の「お勉強」で終わってしまう。組織の中で変化が抑制されていれば、市場の変化に適応できるような企業体で有り続けることも難しい。もう一度自社の姿を省みて見るとき、本コラムが新しい視点を提供できれば幸いである。
シンクタンク本部
上席主任研究員
小林 祐児
Yuji Kobayashi
上智大学大学院 総合人間科学研究科 社会学専攻 博士前期課程 修了。
NHK 放送文化研究所に勤務後、総合マーケティングリサーチファームを経て、2015年よりパーソル総合研究所。労働・組織・雇用に関する多様なテーマについて調査・研究を行う。
専門分野は人的資源管理論・理論社会学。
著作に『罰ゲーム化する管理職』(集英社インターナショナル)、『リスキリングは経営課題』(光文社)、『早期退職時代のサバイバル術』(幻冬舎)、『残業学』(光文社)『転職学』(KADOKAWA)など多数。
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