常識の枠を超えて考える「哲学思考」の実践が、イノベーションや「より良く生きる」ことにつながる

公開日 2024/12/02

近年、ますます注目を集めている哲学思考。ビジネスの現場でもニーズが高まっているが、その背景にはどのような要因があるのだろうか。市民向けの「哲学カフェ」やビジネス哲学研修を実施するなど、社会の中で哲学を実践し、新たな領域に挑戦し続ける小川仁志氏に、近年の哲学ニーズの概要や哲学思考の意義を伺った。

小川 仁志 氏

哲学者、山口大学 国際総合科学部 教授 小川 仁志 氏

京都大学法学部卒業。伊藤忠商事、名古屋市役所での勤務を経験した後、名古屋市立大学大学院博士後期課程修了。2019年より現職。専門は公共哲学。「あなたの人生に哲学を」をモットーに、市民を対象にした「哲学カフェ」やビジネス向けの研修を行うほか、各種メディアで積極的に情報を発信。著書に『哲学を知ったら生きやすくなった』(日経BP)など。

Index

  1. 常識を疑うことでゼロから方法論を生み出し、問題を解決する哲学に引かれて
  2. なぜ、今の時代に哲学のニーズが高まっているのか
  3. 哲学思考をビジネスに応用することでイノベーションを起こせる
  4. 哲学思考を身に付けて、不確実な時代の中で「より良く生きる」

常識を疑うことでゼロから方法論を生み出し、問題を解決する哲学に引かれて

――どのようなきっかけで哲学の道に進まれたのでしょうか。

私は新卒で商社に入社しましたが、さまざまな経験を積む中で「公益に関することで、社会を変えたい」と思うようになりました。企業活動もひいては「社会を変える」ことになりますが、やはり利潤追求が第一です。それよりも、広く社会のためになるようなことを追求したかったのです。

会社を辞め、その手法を模索する中で出会ったのが、哲学でした。他の学問のように確立された手法に沿って解決策を見つけるのではなく、哲学は「既存のものを疑うことで問題を解決していく」——つまり、これまでの常識を別の角度から見ることで、ゼロから方法論を生み出していきます。そのアプローチに引かれました。そして、哲学の中でも、自身の興味に関連する公共性を対象とした「公共哲学」について研究を始めました。


――「哲学カフェ」を開催するなど研究にとどまらない活動をされていますが、その理由を教えてください。

研究はあくまで理論の構築が中心です。しかし《公共》というからには、私は世の中と関わって、社会の中で実践したいと思うようになりました。そこで始めたのが、市民と哲学的に対話したり、個人の悩みに答えたりする「哲学カフェ」です。

さらに、個人に限らず、社会課題にも応用すべく、現在は哲学の社会実装に注力しています。さまざまな分野で哲学的な分析の手法を取り入れて、新しいものの見方や現象の捉え方を模索することで、より良い方法を構築することはできないか。そうしたことを各分野の専門家と一緒に考えています。

例えば現在は、看護を専門とする研究者の方々と協力して、哲学的手法を用いたターミナルケアの実践を試みています。哲学の社会実装を通して、自身で確立した哲学的な手法自体もブラッシュアップしていきたいと考えています。

なぜ、今の時代に哲学のニーズが高まっているのか

――近年の哲学ブームの背景には、どのような要因があるとお考えですか。

私は主に3つの要因があると考えています。

まず1つ目は、世の中の不確実性が増しているということです。これまでは既存のデータを基に未来を予測できていましたが、不確実な時代においては必ずしも過去の経験が役立つとは限りません。そうなると、主観的に考えることが必要になるので、必然的に哲学が求められるようになっているのだと思います。

2つ目は、世の中に社会課題が山積している状況です。日本では、少子高齢化や経済力の低下といった課題が深刻化しています。こうした状況を打破するにはイノベーションが必要であり、イノベーションを起こすには「常識を疑って、新しい方法を提示していく」哲学思考が有効です。そうした意味では、歴史ある伝統的な業界や、手法が確立されている分野ほど哲学に対するニーズが高まっていると感じます。

3つ目は、AIをはじめとしたテクノロジーの急速な進化です。AIによって、今まで人間が行ってきた作業を代替したり、疑問に対する答えを生成したりすることが可能になりました。そうした中で、私たち人間は何をすべきか、何ができるのかをより問われるようになりました。哲学は人間特有の思考で成り立つもので、既存のデータを活用して答えを導き出すAIとは対極にあるものです。「人間にできること」のヒントを哲学から得ようと期待されているのではないかと感じています。


――昨今はネット検索やSNSで簡単に答えが得られるので、考える機会は減っているかもしれません。

そういう時代になっているからこそ、哲学思考が重要視されているとも考えられます。フランスの哲学者・パスカルが「人間は考える葦」と言ったように、考えることは人間の本質です。自分の頭で考えるという行為をしなくなり、サーチエンジンやAIといったテクノロジーに依存しつつある状況に、本能的な理性や思考力が危機感を覚え、悲鳴を上げているのかもしれません。

20世紀の哲学者・大森荘蔵は、「人間は常に何かを思っている。なぜなら人間は知覚する能力を持っているからだ」と言いました。例えば、目に入ったものに対して「きれい」「赤い色をしている」と思うように、です。しかし、「思う」ことと「思考する」ことは違います。思ったことを言語化して初めて、「思考した」といえるのです。哲学はまさに思考する学問。自分の頭の中を言語化する機会が減っているからこそ、哲学へのニーズが高まっているのではない

哲学の社会実装を試みているという話を先ほどしましたが、これを《する哲学》と私は呼んでいます。これまでは《学ぶ哲学》《知る哲学》といったお勉強的な哲学が主流でしたが、これからはより実践的な哲学が必要とされると思います。

哲学思考をビジネスに応用することでイノベーションを起こせる

小川氏

――ビジネスにおける哲学に対するニーズの高まりについては、どのように捉えていらっしゃいますか。

ビジネスにおいて哲学に求められるものは、ここ数年で変化してきているように感じます。以前は、組織の風通しをよくしたり、働き方について考えたり、企課の課題解決の手段として哲学が活用されていました。しかし、最近では、それに加えてイノベーションを起こすための哲学思考が求められるようになってきています。

前者の場合、対話を重ね、皆が納得のいく結論を導き出すことが重視されます。一方、後者の哲学思考では、「常識を疑って視点を変え、再構築して言語化、概念化する」ことで、他の誰も思い付かないような「尖った考え方」を生み出すことが目的となります。不確実な時代においては、既存の課題を解決するよりも、新しいビジネスを創出するなど、イノベーションを起こすことが重要視されるようになったといえるでしょう。


――なぜそのような変化が起きたのでしょう。

10年ほど前、イノベーションを次々に起こして成功を収めている巨大IT企業群のGAFAが、哲学を取り入れていることが広く知られるようになりました。日本では5~6年前に、先ほどお話しした哲学ブームの3つの要因がピークを迎え、イノベーションを起こすことに対するニーズが高まったという印象です。さらに、コロナ禍によってこれまでの生活や価値観を振り返る機会が生まれたことも影響していると思います。日本でも少しずつ哲学思考を取り入れる企業が増えていき、私もビジネス哲学研修を依頼される機会が多くなりました。

ビジネス哲学研修では、「常識を疑って視点を変え、再構築して言語化、概念化していく」という哲学思考のビジネスへの生かし方を伝えています。今までのビジネスを捉え直して新たな概念を構築できれば、新たなビジネスや商材を生み出すことができるからです。まさに現代において求められているイノベーションへとつなげることができるでしょう。


――哲学思考は実際のビジネスの現場でどのように活かせるのでしょうか。

哲学思考は、何に対しても、誰にでも適用することができるものです。営業職であれば、「営業」の概念を捉え直すことで新たな営業のアプローチができるでしょう。人事であれば、「採用」を再定義することで、まったく新しい採用ができるようになるかもしれません。新たな働き方のヒントを見いだすことができるのです。

まず個人で哲学思考を用いてよく考え、革新的なアイデアを思い付いたら、社内で対話の場を設けることが大切です。自分のアイデアを共有し、意見を出し合いながら、皆が納得する答えを導き出していく。この2段構えが、哲学思考の基本です。

これまでの基本的な議論のスタイルは、自分の考えを主張して相手を説得するというものでした。しかし、不確実な時代では、自分の考えが正しいとは言い切れなくなっています。だからこそ、「対話」して「納得」してもらうことの重要性が高まっているのです。対話を通して、自分自身の考えを吟味し、新しい概念を構築する際の材料を得ることもできます。

哲学思考を身に付けて、不確実な時代の中で「より良く生きる」

――哲学思考を身に付けるメリットを改めて教えてください。

哲学思考を身に付けることは、「地頭をグレードアップ」することだとも表現できます。自分の中の思考法が1つ増えるということです。足し算しかできなかった子どもが、かけ算を学んで異なるアプローチができるようになるのと同じです。実際に、ビジネス哲学研修を受講した方からは、「自分がちょっと賢くなった気がする」というフィードバックをもらうことが多いです。それは、思考法が増えたことで、深く考えられるようになったり、今までと違うものの見方ができるようになったりするからでしょう。センスに左右されるものでもないので、ノウハウを学べば誰でも身に付けることができます。

哲学思考はビジネスに限らず、日常生活や生き方など、あらゆる場面で判断に迷ったときに応用できます。一度常識を超えて再定義すれば、これまでとは違った選択肢が広がり、自信を持って前に進むことができるでしょう。物事を正しく知って、正しい判断をする——それこそが、哲学の父と呼ばれる古代ギリシャの哲学者・ソクラテスの言葉を借りれば「より善く生きる」ことだと思います。

組織の場合は、一部の人だけが哲学思考を身に付けて革新的なアイデアを思い付いても、他の人が理解できなければ意味がありません。哲学思考が共通言語になって初めて、組織の成長につながるのです。そういう意味でも、できるだけ多くの人に哲学思考を身に付けてほしいと思います。


――哲学思考を効果的に活用するためにできることはありますか。

哲学思考を身に付けることができたら、「常識の中で考えること」と「常識の枠を超えて考えること」をスイッチングすることを目指してほしいと思います。例えば、自動販売機で「何を買うか」なら「常識の中」で対応できますが、「自動販売機自体の新しいアイデア」を求められたときは「常識の枠を超えて考える」ことが必要になります。自分で状況を判断しながら「ここは哲学思考で考えてみよう」と意識して、思考をスイッチングできれば、不確実な時代の中で、より有意義なビジネスライフが送れるようになるでしょう。


※文中の内容・肩書等はすべて掲載当時のものです。


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