公開日 2024/06/28
パーソル総合研究所は、2024年6月に、機関誌HITO「海外のHRトレンド」 を発刊した。同誌内では、海外のHRトレンドとして、注目テーマを3つ選定している。選定した3つのテーマのうち、本コラムでは、「BANI(バニ)」を取り上げる。誌面の解説記事 やBANIを提唱したJamais Cascio氏のインタビュー記事 に盛り込み切れなかったポイントのうち、類似する言葉であるVUCAとの比較から、BANIの魅力に迫ってみたい。
軍事用語として生まれたとされるVUCAは、1987年の文章にまで遡ることができる[注1]。その後、VUCAはビジネスの場面でも頻繁に用いられるようになった。この言葉は、4つの英単語から構成されている。VUCAのVはVolatility(変動性)、UはUncertainty(不確実性)、CはComplexity(複雑性)、AはAmbiguity(曖昧性)である。口語では、「VUCAの時代」と表現するよりも「不確実な時代」と、VUCAのうちUに焦点を当てて使うことも少なくない。
このU(不確実性)について考えてみよう。一般に、不確実という語は確率として計算できないものを示し、算定可能なリスクとは分けて考えられている。ここで重要とされていることは、ある事象の発生が測定可能か、または測定に適しているかという客観性である。
振り返ってみると、VUCAによって形容されてきた事象のひとつに、2008年から2009年にかけて生じた金融危機がある。つまり、金融危機は、金融商品があまりに複雑で(too complex)、金融システムがその価格の大きすぎる変動(too volatile)に耐えられなかった結果と捉えることができる。このように、VUCAは金融危機の影響を受けた状況を表す言葉として適したものでもあった。しかし、その後再び金融危機が起きているわけではないものの、現在も金融商品は複雑で、変動も小さくない。金融危機は一例に過ぎず、時を経ておそらくVUCAは何らかの特徴的な出来事を指し示すものではなく、社会の前提となりつつある。言い換えるならば、VUCAは何らかの特徴を指し示す言葉やフレームワークとしての役割を終えつつあるのではないだろうか、という疑問が浮かび上がる。
こうしたことを背景に提唱されたのが、BANIである[注2]。VUCAと同じように、BANIもまた4つの英単語で構成されている。BANIのBはBrittle(もろい)、AはAnxious(不安)、NはNon-Linear(非線形)、IはIncomprehensible(不可解)である[注3]。
図:BANIとは
VUCAと同じように4つの言葉で構成されているが、相違点もある。英単語の意味がそれぞれ異なるという点だけでなく、VUCAが4つの名詞で構成されていたのに対し、BANIを構成するのは4つの形容詞である。つまり、BANIは、何かの状態や性質を表している。この「何か」という点に着目することが重要である。順に考えてみよう。
まず、BANIの一文字目のB(もろい)から見てみよう。この語は、見た目ほど強固でないことを意味している。ここで一見して強固であると考えているのは人であり、物やシステムそれ自体ではない。つまり、ここで表現されているもろさは、人間の信念との対比によってはじめて理解できる。
次に、A(不安)に移ろう。BANIのAは不安を意味しているが、そういった状態になるのは、人である。先に例として挙げた金融危機の際に、複雑なものは金融商品であったし、変動に耐えられなかったのは金融システムであった。他方、金融危機において不安になるのは、金融商品でも、金融システムでもなく、人である。実際、当時は、自身がいつ解雇されるか分からない状態で、不安が渦巻いていたとされる。しかし、VUCAの観点からは、こうした不安を捉えることはできない。
また、N(非線形)という観点からも、突然変化してしまった金融システムをうまく理解できる。ここでは、金融商品の価格変動が非線形という捉え方もでき、それはVUCAのV(変動性)の観点から理解できるかもしれない。その一方で、誌面の解説記事にあるように、非線形は、常識として抱かれる期待との一致しない変化を意味している。当然、常識を抱いているのは人であり、システムそのものではない。この点からも、BANIが人を中心に据えていることが分かるだろう。
BANIの最後、四文字目のI(不可解)も同様に、人間の視点から理解できる。例えば、「不可解なシステム」という表現をするとき、不可解と判断しているのは、人であって、システム自体ではない。
このように見てみると、BANIが「何か」を形容しており、これを人との関連で解釈した時に、その特徴を認識しやすくなることが分かるのではないだろうか。これはVUCAとの大きな違いといえる。フレームワークとしても、VUCAが何らかの対象を客観的に捉える点に特徴を有するのに対し、BANIは人々自身の主観的な視点を起点としたものとして、位置づけを異にしていることが分かる。
上記のような違いは、それほど大きなものではないのかもしれない。実際、BANIとVUCAの2つの語は類似しており、言い換えが適切な場合も多々あるだろう。例えば、これまで「VUCAの時代」と表現していた場面で、「BANIの時代」という表現に言い換えたとしても、問題なく使えることも少なくないだろう。しかし、現代社会には、BANIだからこそ、うまく表現できる場面があるように思われる。そこで、ここではこうした場面の例としてAIを取り上げ、特にA(不安)とI(不可解)から、BANIの特徴に触れてみよう。
2022年11月にChatGPTが公表されて以降、ビジネスにおける生成AIの利用が拡大している。それに伴って、AIと不安の関係性にも関心が集まっている。例えば、アメリカの調査結果を見てみると、給与への悪影響は72%、AIの使い方を知らないことによる昇進機会の喪失は67%、AIを使わなければ仕事で後れを取ることは66%に上るなど、AIの導入・普及による不安感が広く抱かれていることが分かる[注4]。不安感はこうした処遇に関連するものだけではない。同調査は、63%の回答者が、AIのトレーニングやアップスキリングへの機会が得られないことについて不安を感じていることを紹介している。
また、不可解さは、AIの特徴のひとつといえる。つまり、AIが何らかの結果に至るまでのプロセスは、人にとって理解し難い。こうした理解の困難さを上回る便利さが普及を後押ししていると考えられるが、技術的な変化に心情的な理解が追い付いていないこともまた、先に取り上げた不安につながっているのではないだろうか。このようにAIの拡大で、人がどのように感じているかを捉えようとする時、BANIの特徴が際立つ。
こうした点については、AIを用いたサービスやプロダクトをイメージしてみると、一層理解しやすくなる。近年の例としては人事評価や自動運転車、医療診断支援が、AIのサーベイやプロダクトとして想起される。これらのサービスやプロダクトを利用するのは人であり、その状況や心情を理解する際、BANIは有用なフレームワークとなり得る[注5]。こうした事例を通して対比することで、BANIがVUCAの世界観とはやや異なる特徴をもっていることが理解しやすくなる。
ここまでVUCAとの比較を通して、BANIの特徴の一端に迫ろうと試みてきた。客観性を重視するVUCAに比べ、BANIは主観的な心情に重きを置いている点に特徴があり、それが魅力となっている[注6]。既にVUCAのような状態が定常的になりつつある現代社会も、BANIを通して見ることで、異なる様相に気付かされることがあるだろう。本コラムが、その魅力の気づきに繋がり、BANIをフレームワークとして利用する契機となれば、幸いである。
[注1] U.S. Army Heritage and Education Center. “Q. Who first originated the term VUCA (Volatility, Uncertainty, Complexity and Ambiguity)?” (https://usawc.libanswers.com/faq/84869 )(2024年6月20日アクセス)
[注2]Cascio, J. “Facing the age of chaos” (https://medium.com/@cascio/facing-the-age-of-chaos-b00687b1f51d )(2024年6月20日アクセス)
[注3]本文中でこの後指摘するように、BANIはいずれも形容詞で構成されているが、読みやすさを考慮して、名詞として訳出していることがある。
[注4] EY. “How organizations can stop skyrocketing AI use from fueling anxiety” (https://www.ey.com/en_us/consulting/businesses-can-stop-rising-ai-use-from-fueling-anxiety )(2024年6月20日アクセス)
[注5]なお、AIの利用において最も信頼・受容されていないのは人事領域で、最も信頼・受容されているのはヘルスケア領域である。KPMG. “Trust in artificial intelligence” (https://assets.kpmg.com/content/dam/kpmg/xx/pdf/2023/09/trust-in-ai-global-study-2023.pdf )(2024年6月20日アクセス)
[注6]もちろん、VUCAと異なり、こうした特徴をもつBANIが、ビジネスで用いるフレームワークとして馴染まない場合もあるだろう。その際には、改めてVUCAに立ち戻ることや、他のフレームワークから考えることが必要かもしれない。
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