自分一人では成しえないエネルギーを引き寄せて新規事業を成功に導く
~事業構想大学院大学長 田中里沙氏に聞く~

公開日 2022/09/07

パーソル総合研究所が実施した「企業の新規事業開発における組織・人材要因に関する調査」によると、新規事業開発が成功している企業は30.6%、成功に至っていない企業は36.4%と、新規事業を生み出すことは想定以上に困難だとする企業が多い。しかし実際に新たな価値創造を生み出し続けている企業は存在する。何が決め手となるのか。

そこで、企業における新規事業や事業承継を担う人、ソーシャル・ビジネスを志す人、地域創生の志を有する人など、新規事業を開発する人材を育成している事業構想大学院大学の学長である田中里沙氏に、新規事業開発における人材育成や組織開発に関する、示唆のあるお話を伺った。

田中 里沙 氏

事業構想大学院大学 学長 田中 里沙 氏

マーケティング、コミュニケーションを専門とし、雑誌「宣伝会議」編集長、編集室長を経て、宣伝会議取締役メディア・情報統括。内閣府、政府広報、総務省、国土交通省、財務省、環境省等の審議会委員、環境省「クールビズ」ネーミング委員、東京2020エンブレム委員、伊勢志摩サミットロゴマーク、G20ロゴマーク選定委員等を務める。2012年本学教授、2016年4月学長に就任、現在に至る。

事業構想大学院大学

2012年開校。事業構想の基礎と応用を体得させ、事業構想をより実現性をもった構想計画へと展開するに必要な能力を身につけさせるために、事業構想サイクル(発・着・想、構想案、フィールド・リサーチ、構想計画、コミュニケーションを通じて事業構想を立案し、実行するサイクル)に基づく、体系的な教育と研究が行われている。

  1. 新規事業開発を成功させる一つは経営トップのコミットメント
  2. 正面から議論し協業する環境が新たな道をつくる
  3. やりがいを感じられる働き方が新規事業開発につながる
  4. まとめ

新規事業開発を成功させる一つは経営トップのコミットメント

――新規事業開発に関する先行研究は多いですが、教壇に立つ立場からどのように見ていますか。

田中氏


新規事業開発に関する分野は研究が進んでいる一方で、その再現性が十分ではありません。海外のイノベーション研究は70年代から活発化してきましたが、さまざまな議論があり、また進化の過程にあると見ています。「アントレプレナー(起業家)は育てられるのか」という問いに答えるとすれば、結論として育てられないと考えています。自ら育つしかない。ただし、人は一人では育たないものなので、「自育」の環境をつくることが大事です。



2022年、事業構想大学院大学を開校して10年になりました。東英弥理事長は、開学当初、今後は日本においても新規事業や起業が重要性を増すと考え、そこに高等教育機関の立場で挑戦、貢献したいとの想いから大学を創設しました。独自の方法論や研究環境を作ることにもアイデアを出して、現在もさまざまなチャレンジをしています。


新規事業開発に関するアプローチの枠組みやフレームワークはありますが、強いて例えるなら新規事業開発の研究は「芸術的」なもの。ピアニストになる方法や練習の体系はあるが、素晴らしいピアニストになれるかどうかは本人次第です。本人の資質、持てる資源を開花させるために、気づき、モチベーションにコミットしていくことが本校のやり方なのです。それを学術論文にするのは難しいかもしれません。


――企業が新規事業開発を成功に導くアプローチとは何だと思いますか。

新規事業開発を成功に導くには2つのアプローチがあります。1つ目は企業の経営トップが深く関与すること。トップの構想やコミットがあると成功する確率は増します。むしろそれがないと難しい。経営トップのコミットメントは圧倒的に影響しています。2つ目は、会社の中で感じた課題に対して誰かがやらなければ会社の未来は変わらないと考える人が動くこと。そしてその人を応援すること。事業構想大学院大学には、そういう思いを持った人が入学します。


本校の院生たちは、お互いに興味を持ち、鼓舞し合います。そして研究した事を自身の会社で実践しようと取り組み、工夫をしながら社内文化をも変えていることに、大きな意味を感じます。会社の空気が変りはじめて少し動きが出てくると、例えば「上司が何か変わってきた」、「面白いチャレンジをする人が出てきた」という声が上がってきます。そこからミドルアップして会社全体が変わっていくケースがあります。


理想論は経営トップのコミットメントですが、それができない場合には、課題に気づいた人がチェンジメーカーになるやり方もあります。

正面から議論し協業する環境が新たな道をつくる

――自社の中で人を巻き込んで新規事業を開発する人材の特性を教えてください。

基本的には誰でもできます。新規事業は新たな価値の創出です。構想は理想であり、必要なのは、新しい「価値」を測る受け手側、つまりは対象者の気持ちになって考えられるかどうかです。自分の能力だけを過信する人や自己完結する人、自分の確からしさのために情報をインプットするがその情報から刺激や影響は受けないと思い込んでいる人に、新規事業を開発することは難しいです。


本校の院生は誰からでも学び、誰にでも教えるというスタンスを持ち合わせている人が多いことが魅力的です。ゲスト講師として来校された有名企業の社長も、「事業構想大学院大学の院生の皆さんは、本気でぶつかってくるから怖い、疲れる、楽しい。こちらも本気にさせられる」と言われます。


相手に遠慮をして本気でぶつかっていく人が少ない中、本校の院生のように本気でぶつかる人がいると刺激になり大きな変化を生み出します。大手企業や自治体に所属する院生たちは、それぞれが所属する組織に持ち帰ってその輪を広げる成果も出しています。それも一つのやり方だと考えます。


――オープンイノベーション(社外と連携する新規事業開発)の促進に向けた課題は何でしょうか。

初めの一歩が大事だと思います。連携協定を組んで人を出し合う形式だけでは、新しい変化が起きづらいと感じています。理想を共有し、各者が得意な分野を認識して、感度の高い人が本気になって他者と知り合って、理想を実現するために動く、という流れを作り、応援する方法が良いのではないでしょうか。同じ目標に向けて響き合っている人同士が、互いを尊重し、互いの優れた点から学び、一緒に考えていこうという思いがある、それが大事です。


人生の価値観として「大手企業に入って良かった」と安泰で終わるわけではありません。会社の成長と個人の成長は一致するところですが、組織人としてトップを目指すことは大事ながら、それだけではない面もあります。役員になる人は限られますが、その道以外の人も、豊富な経験と、社内、社外、地域、顧客、取引先との関係性において得てきた知見を有しています。組織内の役割を全うして満足するのではなく、そのような人たちが社会の中でもうひと仕事しても良いのではないかと、よく議論をしています。自分の特技や能力を活かして、オープンイノベーションも活用しながら新たな事業に挑戦をする。事業構想に規模の大小は問われませんから、個性的な事業が多数生まれ、雇用が発生し、日本が活性化するのではないか。そういった人々が自信を有し、活性化されるプロジェクトを実務家教員の文脈において研究し、本学校法人内の姉妹校である社会構想大学院大学でも推進していているところです。


また、オープンになるほど異なる環境の人と協業する機会が増えます。本校でも、会社が違えば仕事の進め方、ビジネスマナーや会議の仕方が違うということをよく話しています。業界特有の慣習や用語もあって、馴染むのには時間がかかります。多様な社会では環境への適応力が求められるので、オープンイノベーションを通じてさまざまな人や環境を知ることは有効なことだと思います。

やりがいを感じられる働き方が新規事業開発につながる

田中氏

――事業構想大学院大学の学生が所属する企業に特徴はありますか。

本校の院生が所属する組織の傾向は2種類あります。1つは、新しいことを「やりなさい」と言うのではなく、新しいことを「やってもいいよ」「やらなければ」という会社が多いこと。大手企業で余力も資産も豊かで、今は既存事業で業績は好調ですが、30年後もこの調子が続くという確証は無い。よって新規事業への期待を会社を上げて取り組んでいこうという意識の高い組織です。もう1つは、新規事業開発の重要性を認識しながらも、これまでの成功体験の上に事業を成長させていくことを重視する会社です。


事業承継者としてそのタイミングが迫り、新規事業開発に注力しようと決意した人、自社に眠っている経営資源を発見し、新規事業によって大きく成長できるのではないかと気づいた人にはぜひ本校に来てくれればと思います。会社も個人も未来思考になることで、人生は大きく変わります。


――組織と個人の関係が変わりつつある中、新規事業開発にどう影響してくると予想しますか。

厳しい言い方をすれば、今までは上司から言われたことをこなす仕事のやり方でも生きていけましたが、これからはそういう社会ではなくなっていきます。徹底的に自分で考え抜いて関係者と議論する。その結果としてアイデアが採用されたり、周りから応援すると支持されたりして協力を受けて共に目標に向かい、物事を成し遂げることが幸せだと気づき始めると、やりがいや働きがいにつながり、新規事業も各所に生まれると思います。


すると、お金を稼ぐためだけではなく、日々の仕事を楽しいと思う度合いも高まると想像します。パーソル総合研究所さんは「日本的ジョブ型雇用」という本の中で、欧米型のジョブ型を直輸入するのではなく、日本のマネジメントの良い面をいかしつつ、ジョブ型とのハイブリッドの構想を描いている。まさにそのイメージですね。


ジョブ型によってスキルの概念が変わり、その内容が見える化してくると、今までは「大手総合商社に何年勤めました」「メーカーで執行役員でした」と表現していた人が、「私は多様な文化の市場で折衝する力がある」「企業内起業の経験とノウハウが活かせる」と言えるようになる。人に負けないスキルがあると自認し、アピールできるのは幸せなことだと思います。自分のスキルを強く認識し、弱いところは他者に補ってもらう。スキルの繋がりを形成し、そこで力を合わせて新規事業開発に向かうことを期待します。

まとめ(シンクタンク本部 上席主任研究員 佐々木 聡)

新規事業を開発しそれを成功させると孤軍奮闘しても、実際の成果は得られ難いのが現状である。しかし個々の強い想いと、それを周囲の関係者にぶつけて徹底的に議論したり巻き込んだりする姿勢や環境づくりが、自分一人では成しえないエネルギーを引き寄せて、結果的に成果に導くことは誰にでもチャンスがあると、力説される田中学長の話にはエネルギーがみなぎっていて、魅了される。


仕事のプロセスそのものに不安を抱きつつも、楽しさややりがいを感じることができれば、終身雇用で年功序列の階段を上る日本型雇用に身を置いて定年を無事に迎えるよりも、よほど充実した幸せな人生を送れるかも知れない、ということを自覚することが大事であるという示唆を、改めていただいた。


※文中の内容・肩書等はすべて掲載当時のものです。


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