公開日 2024/11/22
日本における少子高齢化は急速に進行しており、年金財政が圧迫化している。公的年金制度は現役世代の保険料で高齢者の年金を賄う賦課方式で運営されているため、若年人口の減少と老年人口の増加が現役世代に大きな負担を強いているのだ。こうした状況に対応するため、働く意欲を持つ高齢者の就労促進をいかに加速させるかが重要と考えられるが、それに対しての阻害要因もいくつか存在する。そのひとつに「在職老齢年金制度」が挙げられる。本コラムでは、在職老齢年金制度(以降、「在労制度」)の概要を解説した上で、制度見直しの効果や在り方について、先行研究のデータも踏まえながら考えていきたい。
在老制度とは、65歳以降も働きながら年金を受け取る場合、賃金と年金の合計が一定額を超えると、報酬比例年金の一部または全額がカットされる仕組みだ※1。具体的には、月給・ボーナスを含む総報酬月額相当額※2と老齢厚生年金の基本月額の合計が50万円※3を超えると、その超過分の50%が年金からカットされる。なお、この制度は厚生年金のみ適用され、国民年金(老齢基礎年金)は対象外である。
※1 在老制度で対象となる年齢層は60歳以上となるが、昨今の厚生年金支給開始年齢の引き上げ(60歳→65歳)に伴い、近い将来60~64歳は対象外となることが分かっている。そのため、本コラムでは65歳以上の層に絞って解説している。
※2 毎月の賃金(標準報酬月額)+1年間のボーナス(標準賞与額)÷12
※3 支給停止となる基準額は、現役世代男性の平均月収を基に決められており、賃金の変動に応じて毎年度改定される。社会全体の賃上げ実績を反映しているともいえよう。
例えば、総報酬月額が30万円で老齢厚生年金が20万円の場合、合計が50万円なので年金はカットされない(図表1)。しかし、総報酬月額が40万円、年金が20万円の場合、合計が60万円となり、超過分の50%にあたる5万円の年金がカットされる。
図表1:年金の支給停止ケース
出所:筆者作成
2022年度末には、65歳以上の在職している年金受給権者は約308万人おり、そのうち50万人(約16%)が年金の支給停止対象となっている。図表1では、5万円カットされる個人のケースを示しているが、全体で見ると約4500億円が支給停止されている。
在労制度の背景には、年金は「稼ぐ力を失った人に対する生活保障」という考え方が前提にある。しかしながら、この制度が高齢者の就労意欲を削ぎ、「働き控え」を引き起こしているとの指摘が散見されている。内閣府が2023年に実施した「生活設計と年金に関する世論調査」によれば、「年金額が減らないように就業時間を調整しながら働く」と答えた高齢者が、60代で約4割、70代以上で約2割にのぼる※4。これは、パートタイマーが年収の壁で就業調整を行う事象と類似しており、少子高齢化や労働力不足が深刻化する中で、こうした事象がますます問題視されてきている。
※4 内閣府(2024)「生活設計と年金に関する世論調査(令和5年11月調査)」 Retrieved October 23, 2024 from https://survey.gov-online.go.jp/r05/r05-nenkin/
政府内でも在老制度の見直しを進める動きが見受けられる。例えば、2024年9月に閣議決定された高齢化対策の中長期指針である「高齢社会対策大綱」では、年金制度を、「働き方に中立的」なものにする方針が示されており※5、制度を改定する可能性の高まりがうかがえる。
また、2024年7月に公表された、財政の健全化を把握するために5年に1度行われる「将来の公的年金の財政見通し(財政検証)」では、在老制度を緩和・撤廃した場合の影響が試算されている※6。例えば、本制度における年金の支給停止基準額を65万円まで引き上げた場合、現状の支給停止額は、4500億円から1900億円まで減少し、2600億円もの追加給付が発生。また、在労制度を撤廃した場合、2030年には5200億円、2040年には6400億円の追加給付が見込まれる。在労制度を撤廃する場合、これらに見合った財源を確保しなければ、将来世代への年金受給水準が低下してしまうことが指摘されている。
※5 内閣府(2024)「高齢社会対策大綱(令和6年9月13日閣議決定)」 Retrieved October 23, 2024 from https://www8.cao.go.jp/kourei/measure/taikou/r06/hon-index.html
※6 厚生労働省(2024)「将来の公的年金の財政見通し(財政検証)」 Retrieved October 23, 2024 from https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/nenkin/nenkin/zaisei-kensyo/index.html
上記の財政検証の結果を見ると、在労制度を撤廃することはおろか、制度緩和さえもハードルの高さを感じる。他方で、今回の試算では、あくまでも財政面のみを考慮したものであり、高齢者の就業への影響は考慮されていない。では、在労制度を見直すことで、高齢者の就業にどの程度変化が見込まれるのだろうか。
萩原(2021)※7では、在老制度の見直しが経済効果に及ぼす影響について、理論モデルを用いた数値シミュレーションにより、定量的に検証している。その中では、制度の緩和・撤廃が高齢者の就業状況に与える影響も確認している。
※7 萩原 玲於奈(2021)「在職老齢年金制度の見直しによる経済効果」 三菱経済研究所 経済研究書 Retrieved October 23, 2024 from https://www.jstage.jst.go.jp/article/merierb/2021/140/2021_140/_article/-char/ja/
前述した通り、年金の支給停止となるのは、基準額を上回る所得のうちの50%となるが、萩原(2021)では、現行の停止率(50%)から引き下げた場合の労働参加率や労働時間増加分を明らかにしている(図表2)※8。どの条件を見ても労働参加率に大きな変動は見られないが、65歳以上雇用者の労働時間については条件を緩和するほど増加分が大きい傾向であることが分かる。すなわち、在老制度の見直しは在職者の労働時間選択に大きな影響を与えることが示唆されている。
※8 萩原(2021)では、停止率の引き下げだけでなく、支給停止基準額の引き上げによる影響も分析している。しかし、基準額引き上げについては、年金財政・経済厚生ともに悪化する可能性を指摘していることから、本コラムでは計算対象外とした。なお、条件引き下げについては、一定の引き下げであれば年金財政・経済厚生ともに改善する可能性を指摘している。
図表2:在職老齢年金制度の見直しが高齢者の就業状況に与える影響
出所:萩原(2021)を基に筆者作成
さて、パーソル総合研究所と中央大学が共同で実施した「労働市場の未来推計2035」では、2035年に1日当たり1775万時間の労働力不足が不足する見込みとなっている。この情報を念頭に置き、図表3を見てみよう。図表3は、上記で紹介した先行研究の結果を、われわれの推計データに当てはめて計算した結果である。
停止率を現行の50%から20%に緩和した場合、1日当たり47万時間分の労働力増加が期待できる。これは2035年の労働力不足(1775万時間/日)の2.6%を埋めるインパクトといえよう。停止率10%の場合は約1割相当、停止率5%の場合は約1.5割相当、そして制度撤廃時は2割以上を埋めるインパクトである。在労制度の存在が高齢者の就業に大きく影響していることが分かると同時に、制度の見直しが甘い場合に労働力増加はそれほど期待できない可能性も見えてくる結果だ。
図表3:在職老齢年金制度の見直しによる労働市場へのインパクト
出所:萩原(2021)、パーソル総合研究所・中央大学「労働市場の未来推計2035」のデータを基に筆者作成
もう一段踏み込んで考えてみよう。「労働市場の未来推計2035」によると、2035年時点の1時間当たりの労働生産性は5,033円になる見込みだ。そこで、概算にはなるが、労働力増加によって創出される追加の付加価値額を算出してみた。制度緩和時には約0.9兆円~4.6兆円、制度撤廃時には約6.9兆円の実質GDPが増加するという試算結果になる(図表3)。前述の通り、在老制度を見直すことで数千億もの追加給付が必要になるわけだが、制度改定によって創出される付加価値額も考慮すると、見方が変わってくるのではないだろうか。
また、在老制度を見直すことで、労働時間の増加が期待でき、働く人々の所得も増加していくことが考えられる。所得の増加は、所得税や消費税といった税収の増加にもつながり、これらの税収が追加給付の一部を賄う可能性も十分に期待できるのではないだろうか。
本コラムでは、在労制度の概要をおさえた上で、制度見直しによる労働市場へのインパクトを見てきた。在老制度の見直しは、労働力不足と年金財政の両方に関係しており、重要であるが非常に難しい課題だ。現行制度は高齢者の就業意欲を削ぐ要因となっており、制度を見直すことが労働市場にポジティブな影響をもたらす可能性が高い。しかし、それは財政面での痛みを伴うことを意味する。最終的には、さまざまなデータを見た上で「落としどころ」を模索していくことになるかと予想されるが、その際にポイントとなるのが、制度改定によってどの程度の労働力増加や付加価値創出が期待されるか、といったデータではないだろうか。
今回のデータ(図表3)を見ると、中途半端で緩い制度改定では労働力増加や付加価値創出があまり期待できない可能性が示唆される。この情報を踏まえて制度改定を考えた場合、制度改定するなら「バランス重視の曖昧な制度改定」ではなく、停止率の積極的引き下げや制度自体の撤廃といった「勇気のある大胆な制度改定」でないと意味がないということになるだろう。また、制度改定で増加する労働時間が税収(所得税、消費税など)を増やし、それが追加給付分を賄う可能性も考えられる。
もちろん、今回の結果だけで制度改定の在り方を判断するのが難しい点はいうまでもない。政府には少なくとも、この先の労働市場に関するデータも踏まえながら、総合的な検討を期待したい。本コラムがその一助となれば幸いである。
※このテキストは生成AIによるものです。
在職老齢年金制度
在職老齢年金制度とは、60歳以降も働きながら年金を受け取る場合に、賃金と年金の合計が一定額を超えると報酬比例年金の一部または全額がカットされる仕組み。昨今の厚生年金支給開始年齢の引き上げ(60歳→65歳)に伴い、近い将来60~64歳は対象外となることが分かっているため、本コラムでは65歳以上の層に絞って解説している。
賦課方式
賦課方式とは、現役世代の保険料で高齢者の年金を支える公的年金制度の仕組み。少子高齢化の進行とともに、現役世代に大きな負担を強いる結果となっている。
シンクタンク本部
研究員
中俣 良太
Ryota Nakamata
大手市場調査会社にて、3年にわたり調査・分析業務に従事。金融業界における顧客満足度調査やCX(カスタマー・エクスペリエンス)調査をはじめ、従業員満足度調査やニーズ探索調査などを担当。
担当調査や社員としての経験を通じて、人と組織の在り方に関心を抱き、2022年8月より現職。現在は、地方創生や副業・兼業に関する調査・研究などを行っている。
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