公開日 2022/09/22
人的資本経営の取り組みとその情報開示に関しては、取り組む企業、評価する投資家とは異なる「第三者の意見」も参考にしたい。「人材版伊藤レポート1.0」の検討にあたった「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会」の参加者であり、ダイバーシティや働き方といった領域に詳しいジャーナリストの浜田敬子氏にインタビューを実施。企業はどのような観点を持ち対策を講じるべきか。パーソル総合研究所・上席主任研究員の佐々木聡が話を伺った。
ジャーナリスト/前Business Insider Japan統括編集長/AERA元編集長 浜田 敬子 氏
1989年朝日新聞社に入社。前橋、仙台支局、週刊朝日編集部を経て、1999年からAERA編集部。副編集長などを経て、2014年からAERA編集長。編集長時代はネットメディアとのコラボレーションや1号限り外部の人に編集長を担ってもらう「特別編集長号」など新機軸に挑戦。2017年3月末で朝日新聞社退社し、世界12カ国で展開するアメリカの経済オンラインメディアBusiness Insiderの日本版を統括編集長として立ち上げる。2020年末に退任し、フリーランスのジャーナリストに。一般社団法人デジタル・ジャーナリスト育成機構を設立、代表を務める。「羽鳥慎一モーニングショー」「サンデーモーニング」のコメンテーターを務めるほか、ダイバーシティや働き方などについての講演多数。著書に『働く女子と罪悪感』、『男性中心企業の終焉』(2022年10月発売予定)。
佐々木:「人的資本経営」という言葉は1990年代から存在しています。この新しい概念が日本企業にどう入り込んでいくのか、30年間ウォッチしてきたのですが、特に変化はありませんでした。浜田さんは、「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会」のメンバーでしたが、どういったお立場で参加されていたのですか?
浜田氏:「働き手側の意見がほしい」ということだったと理解しています。当時、Business Insider Japanの編集長でしたから、働く20代・30代の代弁者として、フリーランスや副業・複業といった観点も絡めてお話したいと思い、参加しました。
佐々木:「人材版伊藤レポート1.0」には、「働き手の声」が反映していると感じますか。
浜田氏:人的資本経営の「本質」は、「企業が人材をどう考えるか」という視点にあると考えています。これまでのような企業が働き手を管理するような関係を続けるのか。はたまた企業と働き手を対等でフェアな関係だと捉え直すのか。そういった視点を議論したかったのですが、1.0では私が考えていたほどのレベルまでは議論が深まらなかった印象です。
佐々木:取材前に「懐疑的な部分もある」というお考えもあると仰っていましたが、どういう点でそう感じるのでしょうか。
浜田氏:「看板の掛け替えに終わるのではないか」という危機感を抱いているからです。人的資本という言葉が突然現れたかのようにいわれていますが、「企業と個人の関係をどう考えるか」という議論は、バブル崩壊後の1990年代から継続して存在していますよね。働く個の存在、個のタレントを生かしきれていない。その結果、企業・組織でイノベーションが起こらない。ジェンダーギャップが解消されない。こうした議論を繰り返しています。
「人的資本経営」が、「女性活躍」、「1億総活躍」、「ダイバーシティ&インクルージョン」という“看板の掛け替え”を繰り返し、その総括もないままに進むことを危惧しています。人的資本経営のある指標で数値目標を達成しても、「人的資本経営を達成できている」とはいえませんよね。
佐々木:松下幸之助が「事業は人なり」と言ったのは、高度経済成長期のころです。その後、1987年に一橋大学の伊丹敬之先生が『人本主義企業 変わる経営変わらぬ原理』というご著書のなかで「日本は人本主義だ」と説かれています。それから30年、残念ながら変わっていないのが現実ですよね。
浜田氏:そう思います。私は、「人をどう生かすのか」という話をする前に、「企業がどの方向を目指すのか」という経営戦略が重要だと考えています。そうでなければ、「CHROを配置する」、「取締役会で人事領域の話をする」といった手段の話に終始し、人的資本経営は言葉だけで終わる可能性があります。
佐々木:少し視点を変えた質問をしたいと思います。「働き手」にとって、人的資本経営を推進する企業にはどんなメリットがありますか。
浜田氏:それについては前提から話さなければなりません。「人材版伊藤レポート」をはじめ、「人的資本経営」について語られる文脈の多くは「企業に属した人材」を前提に考えられています。しかし、人口減少が進み、労働力不足に陥っている昨今では、企業が望む人材を一社で抱え込むことは難しくなるのではないでしょうか。なぜなら、若い働き手は、「一社に属するのではなく、いろいろなチャレンジをしたい」、「地域に貢献しながら、企業の仕事もやってみたい」といったニーズを抱えているからです。
そのため、まずは「人材は誰のものなのか」という議論を行う必要があると思っています。そういった点から、私は人材を「公共財」と捉え直し、育成やリスキリングを担うべきだと考えています。
佐々木:企業と働く個人は、これまでの主従関係ではなくフラットな関係へ移行していこうとしています。日本型雇用からジョブ型への転換はその一例です。ただ、日本は雇用の流動性が低いため、なかなか思うように進んでいません。日本企業は海外企業を参考にすべきでしょうか。それとも日本固有のモデルを構築していくべきでしょうか。
浜田氏:欧米のジョブ型雇用はそのまま日本には当てはまらないと思います。例えば、新卒一括入社は「若年層の失業率を抑える」という側面もあります。かといって、そのまま終身雇用というのも時代に合わなくなっています。例えば新卒一括採用をして、30代・40代を迎えるところで一人ひとり、雇用関係を見直しするという仕組みも考える価値はあります。もし、ジョブ型雇用とするのなら、手に職をつけるための施策やリスキリングの施策を充実させるべきだと思います。
ジョブ型雇用に関しては、佐々木さんのお考えも伺いたいです。
佐々木:ジョブ型雇用の定義は広く、解釈はそれぞれです。広い概念では、「雇用そのもの」と捉えます。雇用とはつまり入口と出口ですから、日本の法律に則した方法で行う必要があり、それは欧米のようには推進することはできません。一方狭い概念では「マネジメント」と捉えます。つまり人事評価を変えるということ。人事領域だけの話に限ったことです。
メディアを含め日本では「ジョブ型」をよく定義せず、便利に使ってしまっています。日本でジョブ型を持ち出す際にはまず定義することが重要だと思います。
佐々木:さて、また視点を変えてお聞きします。ESG(Environment:環境、Social:社会、Governance:ガバナンス)という大きな概念がありますね。人的資本経営はESGの中でも「S=ソーシャル」に該当するものかと思います。日本企業におけるESG経営の取り組みのありようや、働き手にとってのメリットについてどう考えますか。
浜田氏:日本企業にとって、ESGの中でも「E=環境」は取り組みやすいテーマだと思います。一方、「S=ソーシャル」の概念が非常に弱いと感じています。私は「ソーシャル=人権」と考えています。ジェンダーやダイバーシティといったテーマを多く取材しているのですが、とある日本企業の経営者に、「目の前にいる女性を活用できていないことやジェンダーの不平等を解消できていないことは人権の問題です」とお伝えすると否定されたことがあるのです。人権問題と経営がどう関係するのかに、ピンときていない経営者や人事の方が多い印象を受けます。
佐々木:日本企業は、ジェンダー問題やダイバーシティ&インクルージョンの観点において、欧米企業から遅れをとっていると感じます。では、日本企業の経営者は、危機感をどうやって醸成していくべきでしょうか。
浜田氏:世界の企業がどこまで本気でダイバーシティ&インクルージョンに取り組んでいるのか、事例をご存知ないのだと思います。日本企業が世界と比べて「一人当たりの生産性」も「GDP」も下落している。その原因は、「組織に多様な人材がいないこと」、「企業の中に差別があること」だと思うのです。ESG経営に「人権」という概念が含まれている中で、ダイバーシティ&インクルージョンに取り組まなければ、サプライチェーンからも排除されるかもしれない。こういったことを繰り返し伝えています。
佐々木:日本企業の中で人的資本経営が実現できている、または実現が期待できると思う企業はありますか。
浜田氏:「こういったところから企業は変わっていくのだろう」という兆しが見える企業がいくつかあります。1社目は、富士通。代表に就任された時田隆仁さんが、日本企業の停滞、組織自体に危機感を抱かれて、人事制度改革を始められました。例えば、新任の課長は「手挙げ制」を採用し、結果、20代・30代の人材が課長になって年功序列が崩れているそうです。リモートワークを定着させたことで、ワーキングマザーが活躍できる環境が整い、結果、女性管理職も増えているそうです。一人ひとりの人材が大切にされていると感じている。結果的に人的資本経営になっているのだと思います。「人的資本経営」という概念が先に出てしまうと、何から手をつけて良いのかわからなくなってしまうのかもしれません。
佐々木:富士通はジョブ型を採用した企業の中でも先駆者的な存在ですね。概念から入るのではなく、「結果としてジョブ型になった」のではないかと推察しています。同じように、三菱ケミカルも「手挙げ制」を採用し、企業からの転勤・異動辞令もなくしたと。非常に画期的だと思いました。やはりトップが変わらないと、組織も変わらないのでしょうか。
浜田氏:トップが「本質」を理解しているかどうかではないでしょうか。人的資本経営という言葉があろうとなかろうと、自社の課題を見つけ、あるべき姿を描き、いかに働きやすい会社にするのか。それを個社ごとに考える必要があると思います。繰り返しになりますが、会社と個人の関係性が対等になってからでないと、人的資本経営はできないと思います。
他にも事例を紹介します。まずはメルカリです。スタートアップ企業は体力があり24時間戦うのが当たり前だった中、代表の山田進太郎さんはシリコンバレーにある会社を見てきて、男性単一性の組織ではビジネスは成長しない、ビジネスを成長させるためにはダイバーシティ&インクルージョンが有効だと考えたそうです。差別をなくすこと、マイノリティ(メルカリでは女性と外国人)を活躍させることで、一人ひとりを尊重する会社を築いています。
仙台銀行の取り組みも学びがあります。仙台銀行は、男性は営業職、女性は事務職と役割が固定化されていましたが、東日本大地震による業績悪化を機として、女性にも営業活動を担ってもらうことにしたそうです。すると、女性のほうが共感力も傾聴力も高く、業績が紐づいていったと。危機感があった企業ほど、「眠っている能力を引き出す」という考えに素早く切り替えられているなと思います。
愛知県瀬戸市にある大橋運輸は、「新・ダイバーシティ経営企業100選プライム」※に選ばれています。1990年代にトラック運送の規制緩和があり、誰でも参入できる業界になった結果、運転者の確保が難しくなってしまいました。そこで、今まで男性ばかりを採用していたところを女性も採用するようになり、安全管理に関わる仕事などを任せることで事故率が減ったそうです。外国人、LGBTQ、障がいを持つ人など、いろいろ立場の人を積極的に採用し、働く個人の能力をいかに引き出すかに腐心されています。
佐々木:素晴らしい取り組みですね。最後に、日本企業の経営者や人事関係者に向けてメッセージをお願いします。
浜田氏:「人が大事」と誰もがおっしゃいます。しかし、企業による管理・監視の考え方から離れられていないと感じます。大切なのは「信頼」です。個人の自由と裁量をどこまで尊重しているのか。そこに、会社の本質的な姿勢が出ると思います。この評価は対等になっているか、この制度は社員を尊重することにつながっているか、といったことを一つひとつ見直されるのがいいと思います。
佐々木:浜田さん、貴重なご意見をありがとうございます。私にとっても学びのある時間でした。
※https://www.meti.go.jp/policy/economy/jinzai/diversity/kigyo100sen/
※文中の内容・肩書等はすべて掲載当時のものです。
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