真に価値のある「人的資本経営」を実現するため、いま人事部に求められていることは何か

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政府は2023年度より、上場企業に対して有価証券報告書に人的資本の情報開示を義務化する方針を示しています。各社が対応に追われるなか、「どのような情報を開示するべきか」と戸惑いの声も多く聞かれるようになりました。真に企業価値を高める取り組みへとつなげるためには、どのような考え方や具体的な施策が必要なのでしょうか。2023年2月に著書『日本の人的資本経営が危ない』を上梓する筆者がインタビューに答えました。

  1. 企業における人材育成は、コストから投資の概念へ
  2. 人的資本の情報開示にあたり、経営ポリシーと成長ストーリーを策定する
  3. まずは自社の現状を分析し、経営戦略と人事戦略の連動を目指す
  4. 変革の担い手として、内向きではない人事部をつくる

企業における人材育成は、コストから投資の概念へ

――改めて、人的資本経営とはどのようなものなのかを教えてください。

人的資本経営のもとをたどると、経済学に行きつきます。人材を資本と捉える考え方は、さかのぼること18世紀にはアダム・スミスによる『国富論』の中ですでに唱えられていました。その後1960年代になると、アメリカの経済学者ゲイリー・ベッカーによってその考え方が「人的資本」として再定義され、教育経済学、つまり教育がどのくらい経済効果に影響を与えるのかという研究とひもづくようになります。さらに1990年代には、欧米を中心に、人材への投資がいよいよビジネスの現場で実践化されていくようになりました。

実はこのように、人的資本経営は古い歴史を持つ考え方なのですが、それ以前に人材は「資源」と捉えられてきました。人的資源と人的資本は、何が違うのでしょうか。資源は既に持っているものであり、それが消費されていくという考え方です。実際に、企業経営において人材を育成する教育訓練費は「コスト」として扱われます。企業が利益を生み出すために、削られがちな部分でもあります。一方、資本はこれから価値を生み出すものとされ、投資の概念が入ってくるのです。これは大きな違いだと言えるでしょう。

――なぜ今、人的資本経営が求められているのでしょうか。

背景には二つの要因があります。一つは、現代社会において、企業にイノベーションの創出が求められるようになっていること。日本の企業は、長らくメンバーシップ型雇用のもと、先輩が後輩を育てるOJTが人材育成施策の中心でした。モノを作れば売れる高度経済成長期においては、こうした施策がうまく回っていました。教育研修費などのコストをかけなくても人材育成の仕組みが構築されており、企業が成長し続けられたのは素晴らしいことではあります。

しかし、変化が激しく技術も日々発展する現在、社内によるOJTだけでは人材育成が追い付かなくなっています。そのため、テクノロジーや設備などへの投資から、人材への投資がより重要視されるようになってきたのです。

教育に投資しなければイノベーションは生まれないことにいち早く気づいたのは、GAFAに代表されるアメリカのIT企業群でした。これらの企業では創業当初から人材育成の重要性に気づき、個人のスキルや能力を最大限に生かす仕組みについて独自のノウハウを培ってきました。人材育成への投資が企業成長にも現れており、他の企業でも追随する動きが生まれてきたのです。

もう一つは、ステークホルダーの意識が変化したことです。現在ではESG投資に代表されるように、企業活動において自社の利益だけを求めるのではなく、いかに環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)に配慮して社会的意義や持続可能性を高めているかが問われるようになってきました。

SDGs/ESG/CSR/HCMの位置づけ

SDGs/ESG/CSR/HCMの位置づけ

出所:筆者作成


人的資本は、ESG投資の中で「Social」の部分に該当し、重要な投資評価項目の一つとなっています。経営者からすると、設備や技術など、利益に直結する目に見えやすい効果があるものに投資することを求められていると考えてしまいがちではないでしょうか。しかし、投資家をはじめとするステークホルダーは、その企業が人材へどのような投資を行っているかを見ています。

そこで、人材への投資状況を見える化し、人的資本情報をステークホルダーに示す必要性が生じました。情報開示の必要性や義務づけは世界的な潮流となったのです。動きがやや遅れているものの、日本でも経済産業省が中心となって人的資本経営のあり方をまとめた「人材版伊藤レポート」を公開したり、情報開示の義務化に踏み切ったりと、ようやく本格的に着手し始めました。

人的資本の情報開示にあたり、経営ポリシーと成長ストーリーを策定する

――日本企業における人的資本経営の状況をどのように見ていますか。

バブル崩壊後の「失われた30年」の間に、日本企業が人的資本経営に取り組むことはなく、状況はあまり変わっていません。海外と大きな差がついている現状を放置すると、ますます差が開くばかりだと危機感を抱いています。

2023年以降、上場企業では有価証券報告書における人的資本の情報開示が義務化されました。そこで重要なのは、企業の投資価値を示すために、どのような情報を開示するのかということです。ところが現状を見ると、「女性管理職比率」や「男女間の賃金格差」などの必須項目以外は「他社の開示項目を見て模倣しよう」という安易な施策に落ち着こうとしている企業が少なくないように感じます。

人的資本情報の開示に関して重視する要素

人的資本情報の開示に関して重視する要素

出所:パーソル総合研究所「人的資本情報開示に関する実態調査」


ある大手企業の人事部長を務める方からも、同様の声を聞きました。日本を代表する企業のトップがこのような考えを持っていることに驚くと共に、現状の深刻さを痛感したのです。この出来事に直面したことがきっかけとなり、著書『日本の人的資本経営が危ない』の執筆に至りました。

――人的資本の情報開示を行うにあたって、企業にはどのような視点が必要なのでしょうか。

いかに人材へ投資して、新しい価値を生み出す環境をつくっていくのか。つまり、何のために、どういう期待を持って、どのような投資をするのかという一連のストーリーを提示する必要があります。なぜこの項目を開示したのかという理由や背景を説明できなければ、投資家からの共感と支持は得られません。

どの項目を開示するかを考えるにあたって陥りがちなのが、つい自社の良いところだけを見せようとして、都合の悪い数値は隠してしまうケースです。たとえば、エンゲージメントサーベイが低スコアであることは、投資家のみならず求職者にとってもネガティブな印象に映りかねないため、企業側はあまり表に出したくない事実でしょう。しかし、投資家をはじめとしたステークホルダーは、そういった現状に対していかに改善を図ろうとしているのか、具体的にどのような施策に取り組むつもりなのかをデータで示してもらえることを期待しています。人や組織が成長・変化するには時間がかかります。即効性が低い分だけ、ストーリーが重要視されるのです。

企業の人的資本経営におけるポリシーや将来像がなければ、ストーリーを構築できず、開示するべき重要な項目を抽出することもできません。他社にならって無難な情報を開示することがゴールなのではなく、企業のポリシーに応じた独自性のあるストーリーと人的資本の開示をすることを目指してほしいと思います。

――まずは自社の人的資本経営におけるポリシーを定めたうえで、それにひもづく独自の指標を設定するとよいのですね。優れた取り組みの事例があれば、お聞かせください。

大手金融機関である三井住友フィナンシャルグループの取り組みが特に印象的です。同社では、内部通報の件数を開示しています。つまり、社内で起こっている不正行為や不祥事を、会社がどのくらい把握しているのかを明らかにしているのです。金融業界において信用は第一。まずはメッセージとして、社内で不正の早期発見・解決を行い、組織の自浄作用を高めていこうとする意思表示だと感じます。ネガティブな情報すらポリシーを持ってしっかりと開示する姿そのものが、誠実さや信頼感につながっていくのです。

三井住友フィナンシャルグループの取り組みは、経営戦略と人材戦略がきちんと連動しているからこそできることだと思います。ただ、日本でそれができている企業はあまり存在しないのが実情です。先日、パーソル総合研究所は国内の業界トップ企業を集めて人的資本経営に関する研究会を立ち上げました。そこで各社に人的資本経営のストーリーを描いてもらうワークショップを行ったところ、まさにその傾向が見られました。たとえつながっていたとしても、どの部門が主管で施策を行うのかという議論が宙に浮いたままのケースもよく見られます。そもそも経営戦略と人材戦略を切り離して考えている企業がほとんどで、両者をつなげる重要性はまだまだ認知されていないと感じます。

まずは自社の現状を分析し、経営戦略と人事戦略の連動を目指す

――では、どのように経営戦略と人事戦略を連動していけばよいのでしょうか。

先ほど話題にあげた研究会の中でまず取り組んだのは、経営戦略と人材戦略をつなぐための要素を集めることでした。具体的に言うと、バランススコアカードという、定量的な財務業績だけでなく、多面的に評価してバランスよくマネジメントするための経営管理手法を活用しました。

財務・顧客・業務プロセス・学習と成長、これら四つの視点から企業の未来に向けたストーリーを展開することで、経営戦略と人材戦略がしっかり連動しているかを可視化する狙いがありました。予想通り、それぞれベクトルが異なっているケースが散見されたのですが、四つの視点を通じて現状が把握できたのは企業にとって大きな進歩ですよね。まずは自社の現状を分析することが第一歩だと思います。

――まずは企業が自社の現状を正しく見つめることが、取り組みのスタートなのですね。

そのうえで、経営に最もインパクトを与える取り組みを考えると、どのような指標を注視すればよいのかが見えてくるはずです。そもそも、経営戦略と人材戦略のどちらが上位に来るかと考えるとき、一般的には経営戦略が優先されるケースが多いと思います。経営戦略を実現するためにどのような人材戦略を行うべきか、といった順序で考えるのは理にかなっていると言えるでしょう。

しかし多くの企業は、社会の変化に合わせて経営戦略を柔軟に変えていかなければなりません。そうすると、人材戦略を検討したり具体的な打ち手を講じたりするスピードが追い付かなくなってくるため、なかなか人材戦略を描きづらいのが実情です。

一方で、その逆をいく考え方もあります。戦略は組織から生み出されていくものであるとして、企業やそこで働く人たちが持っている強みを生かした戦略を考えるという発想です。人材戦略から先に考えられる企業は、個々の人材が市場の動きを把握して仮説を立ててビジネスを遂行しているので、変化にも強い。今後は、人材戦略を通じて経営戦略を考える企業も増えていくとよいのではないでしょうか。

――ほかに、経営戦略と人事戦略を連動するうえで必要なことはありますか。

投資家との対話の機会を増やすことが重要です。これまではIR担当や経営陣がメインで対応し、人事はあまり関わってこなかったのではないでしょうか。投資家の声を聞くことは、顧客の声を聞くことと同じ。そこから企業の未来をどのように描くべきか、どのような情報開示を行うべきかのヒントがたくさん得られると思います。

変革の担い手として、内向きではない人事部をつくる

――人的資本経営を実現するための具体的なアドバイスについてうかがってきました。これまでのお話をふまえて、人事部の役割はどうあるべきでしょうか。

人的資本経営の推進者は、間違いなく人事部の方々です。だからこそ、人事部自体が変革していかなければなりません。しかし、そこには課題も数多くあります。

2022年に、パーソル総合研究所は企業人事部の戦略人事の実態を明らかにする調査を行いました。 そこで分かったのは、人事部は目の前の仕事に追われ、中長期的な戦略を描く「攻め」の施策よりも「守り」の施策に終始してしまい、創造的な組織になれていないという現状です。既存の制度の運用や事務処理などのオペレーション業務が多いため、無理もありません。ただ、これではなかなか人的資本経営は進まない。管理部門という機能上、部署の人員を増やすのも簡単ではないでしょう。

まずは、業務のアウトソーシングなど外部の協力を得て、創造的な仕事を行う時間を確保する環境を整えることが先決です。余白が生まれることによって、企業の中長期的な未来を考えることができ、そこから人的資本経営が生み出されるはずです。業務のアウトソーシングは資金面でコストだと捉えられがちですが、時間を生み出す投資だと思考を切り替えてほしいですね。

創造性を持つため、視点が内側にばかり向いていては良くありません。今、企業では、人事のトップに長年営業での現場経験がある人や、IR担当でステークホルダーとのコミュニケーションを第一線でやってきた人など、異職種で活躍してきた人材を据えるケースが増えています。人事経験の長い方がトップに不適任だという話ではなく、人事部に多様な視点がもたらされることが、変革に着手しやすい組織をつくることにつながるのです。

私の著書では、人的資本経営の歴史的な背景から現在までの軌跡、フレームワークの正しい理解や情報開示に関する誤解・死角を示したほか、有識者との対談で、さまざまな企業の人的資本経営におけるリアルな取り組みをうかがっています。具体的にどのように改革を進めていったのか、等身大の姿を知ることができる内容になっていると思います。客観的に自分たちを振り返る機会を持ちつつ、本格的な人的資本経営に舵を切る変革の担い手として、ぜひ一歩を踏み出してほしいですね。

※このページは「日本の人事部」に掲載された内容を転載しています。

執筆者紹介

佐々木 聡

シンクタンク本部
上席主任研究員

佐々木 聡

Satoshi Sasaki

株式会社リクルート入社後、人事考課制度、マネジメント強化、組織変革に関するコンサルテーション、HCMに関する新規事業に携わった後、株式会社ヘイ コンサルティング グループ(現:コーン・フェリー)において次世代リーダー選抜、育成やメソッド開発を中心に人材開発領域ビジネスの事業責任者を経て、2013年7月より、パーソル総合研究所 執行役員 コンサルティング事業本部 本部長を務める。2020年4月より現職。また立教大学大学院 客員教授としても活動。


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