公開日 2023/06/23
有価証券報告書に人的資本情報の記載が求められるようになった。有価証券報告書の提出が決算から3カ月以内であることから、このコラムが公表される2023年6月には、最初に義務化対象となる2023年3月期決算企業の開示状況が明らかになる。他社の状況を見て、今後の開示に活かそうとする企業・担当者の関心も高いのではないだろうか。実際、2022年に行った「人的資本情報開示に関する実態調査」でも、人的資本情報の開示に関して重視する要素として、「他社の動向」に対する関心が確認されていた。
そこで、本コラムでは2023年3月期より前に決算を迎えながらも、有価証券報告書に人的資本情報を記載した先進的な事例を通して、人的資本情報開示のトレンドを探り、また記載の注目ポイントについて考えてみたい。
コラム「人的資本情報開示に先行対応した企業の有価証券報告書から何が学べるか」では、プライム市場に上場し、2022年12月期決算の240社の人的資本情報の記載状況を紹介した。今回は、この240社に加え、2023年1月期決算と2023年2月期決算の企業を加えて、その先行対応状況を確認したい。プライム市場の上場判定については、有価証券報告書の提出が決算から3カ月以内であることから、決算月から3カ月後の末日時点とした。先行対応した人的資本情報の記載例の抽出方法は先日のコラムと同様、次のいずれかの場合に「記載あり」としてカウントしている。
プライム市場に上場し、2022年12月期から2023年2月期に決算を迎えた企業は357社であった。このうち、人的資本情報開示の先行対応を行っていたのは34社、9.5%であった(図1)。
図1:人的資本情報の先行開示状況
出所:パーソル総合研究所作成
今回の改正によって、新たに有価証券報告書に記載が求められる人的資本情報の記載欄は、2カ所に分かれている(図2)。コラム「人的資本情報開示に先行対応した企業の有価証券報告書から何が学べるか」では「多様性に関する3指標(女性管理職比率、男性の育児休業取得率、男女の賃金の差異)」について、コラム「有価証券報告書による人的資本情報開示 企業の先行対応を調べる過程で得た3つの気づき」では人的資本に関する「戦略(人材育成方針、社内環境整備の方針)」について、それぞれ重点的に取り上げた。そこで、ここからは人的資本に関する「指標及び目標」について、特に指標の選択、入替、責任の観点から考えてみたい。
図2:有価証券報告書に記載が求められる人的資本情報の記載欄
出所:パーソル総合研究所作成
今回、人的資本に関する「戦略」(人材育成方針、社内環境整備の方針)、「指標及び目標」を記載していたのは27社であった。その上で、各社がどのような指標を記載しているか確認するために、人的資本可視化指針[注1]の19項目の枠組みを用いてカウントし、トップ10にまとめた(図3)。なお、義務化対象となる「多様性に関する3指標」と、従来から「従業員の状況」に記載欄がある労働組合についてはカウント対象外とした。
図3:記載された人的資本に関する項目別の指標記載頻度
出所:パーソル総合研究所作成
最多の記載が確認されたのは、「ダイバーシティ」の19社であった。上記の通り、カウントでは「多様性に関する3指標」を除いているが、障害者や外国人の比率、管理職ではなく女性役員比率などが用いられたことで、最も高い利用数を記録した。次に多かったのは、「エンゲージメント」で、11社が利用していた。これにはエンゲージメントが従来から収集されている指標という実務的な側面もあったと考えられる[注2]。以下、「育成(研修受講など)」、「スキル・経験(DX・ITスキル、部門間異動など)」、「採用(新卒・中途採用など)」と続いた。
こうした指標には一定の傾向が感じられる。これらに共通する特徴は、個人の状態や属性をデータとして収集し、平均値や比率を算出することで組織の状態を示す指標として利用する点にある。組織力を平均値から捉える場合、個々の従業員にサーベイを行い、その結果の平均を算出して解釈する。例えば3人の従業員のサーベイの結果が、70点、80点、90点ならば、平均値は80点である。これを組織力と考える。比率も類似のプロセスをとる。例えばある組織に男性が7人、女性が3人所属していれば、男女比率は7:3である。こうした比率は新卒・キャリア採用などでも同様に考えることができる。
こうした平均値や比率以外に、関係性から組織力を捉えることもできる。端的に表現するならば、組織力の源泉を部署間や従業員間のコミュニケーションにあると考えるものである。最近では賞賛や承認を送り合うピアボーナスを支援するサービスが増加しており、関係性の観点から組織力を捉えやすくなっている。例えば、ピアボーナスを送った回数や送った相手の数の増加は、組織内のネットワークがより強固になった情報として理解しやすい。また、創造性が求められる組織や産業では、知のネットワークの重要性も高い。組織内での情報共有を支援するサービスも多々あり、知を介したネットワークの強化も行いやすくなっている。このような組織の関係性を支援する技術は日進月歩であり、導入を検討する企業は今後増加するだろう。それに伴って、指標としての記載も前向きに検討されるのではないだろうか。
先に項目別の記載頻度を紹介したが、次は個社別に確認してみよう。ここでも人的資本可視化指針の19項目の枠組みを用いて、項目に該当するかの観点で確認した。なお、ある項目に該当する複数の指標を記載した場合でも1とカウントしている。例えば、障害者雇用率と外国人比率という2つの指標が記載されていても、ここでは「ダイバーシティ」の1項目の記載としてカウントした。人的資本に関する「戦略」(人材育成方針、社内環境整備の方針)、「指標及び目標」を記載していたのは27社だったが、半数を超える15社の項目数は3以下であった(図4)。最小数は0で、これは戦略を記載したものの、指標及び目標の記載は見送っていた企業である。一方、最大数は9と、人的資本可視化指針で示された19項目のおよそ半数について記載していた。
図4:記載された人的資本に関する指標の項目数
出所:パーソル総合研究所作成
このように見ると、個社ごとに記載する項目数に幅があることが分かるが、「数が多ければ良い」「数が少なければ悪い」というものでもない。自社の戦略と関連性の高い指標に絞り込み、ストーリーとして分かりやすく伝えることに焦点を当てれば、指標の数は少なくなりやすい。一方、自社の人的資本経営の現状を網羅的に伝えようとすれば、指標の数は多くなりやすい。
いずれの考え方で記載を行う場合でも共通するのは、それが現時点で重要な指標ということである。しかし、ある時点で重要と考えた指標であっても、未来永劫、重要であり続けるとは限らない。そのため、今後各社の課題として見込まれるのは、指標の入替である。
この点、象徴的な一例を取り上げたい。今回確認していたところ、前年に記載されていた指標が最新の有価証券報告書では記載されなくなっていた事例があった。前年までに当初目標を達成したことを理由に記載を見送ったと推察されるが、その理由は明らかではない。多くの場合、何かを始めることよりも、何かを止める方が困難であることから、この判断は興味深い。一方、戦略上重要な指標であるならば、達成の有無にかかわらず、記載の継続という判断もあり得たように感じた。また、当該指標が戦略上重要でなくなったのであれば、その点について説明があると納得感を得やすかったのではないかとも考えた。
人的資本情報の記載が求められるようになった現時点では、何を独自の指標として利用し、開示するかに関心が向かいやすい。しかし、上記事例からは、戦略との関連で将来的に指標をどのように整理するか、またその際どこまで説明するかについての議論の必要性も感じさせられた。
人的資本経営を推し進める際、上記のような指標の選択や入替について重要な役割を担うのが役員である。その一方、人的資本経営元年と呼ばれた2022年にも、「人的資本経営を推進したくとも、トップの理解がなかなか得られない」という人事の声を耳にした。「そんなことはない」という企業も多々あると信じたいが、役員が人的資本経営にどの程度本気で取り組むか、対外的には分かりにくいことが多い。
とはいえ、人的資本経営に対する役員の意識がまったく読み取れないわけではない。役員報酬の設計から、本気度が見えることがある。従業員関連指標が業績連動報酬に用いられていれば、人的資本経営を重視している役員の姿勢がうかがい知れるからだ。
従業員関連指標の利用は、人的資本投資と企業価値向上の間にある時差の観点からも有用と考えられる。一般に、従業員に対する取り組みと企業価値の関係が現れるまでには時差がある[注3]。役員の賞与が当期利益のみと連動していれば、人的資本への投資を控えた方が賞与額は大きくなるだろう。しかし、従業員関連指標を業績連動報酬に組み込めば、こうした短期主義的な判断を抑制する効果を見込める。実際に組み込む際には、従業員関連指標として何を用いるか、ウエイトをどのように設定するかなどの実務的課題に直面するが、その点も含めて本気度が現れるのが役員報酬である。
人的資本情報の開示を念頭に置いたとき、「多様性に関する3指標」が記載される「従業員の状況」や、人的資本に関する「戦略」(人材育成方針、社内環境整備の方針)、「指標及び目標」が記載される「サステナビリティに関する考え方及び取組」に注目しやすい。しかし、経営のコミットメントはこれらの欄外に表れている点に注意が必要だ。
本コラムでは、人的資本に関する「指標及び目標」について、指標の選択、入替、責任の観点から検討してきた。指標ひとつとっても、各社の考えが随所に現れる。一方、組織力を部署間や従業員間の関係性の観点から捉える指標、記載が見送られた指標、役員報酬と連動した指標など、ここまでご紹介してきた注目ポイントは必ずしも見えやすい部分や意識している部分ではないと考えられる。こうした観点から有価証券報告書を捉え直すことで、人的資本の情報開示は一層興味深く捉えることができるのではないだろうか。
【参考】
[注1]内閣官房「人的資本可視化指針」(https://www.cas.go.jp/jp/houdou/pdf/20220830shiryou1.pdf)
[注2]把握している人事データのうち、現在最も把握されているのはエンゲージメント関連指標。リクルートマネジメントソリューションズ「経営・人事や従業員に有益な人事データ活用とは」(https://www.recruit-ms.co.jp/issue/inquiry_report/0000001158/)
[注3]Edmans. A. “Does the stock market fully value intangibles?” Journal of Financial Economics, 2011、柳良平「CFOポリシー〈第3版〉」中央経済社、2023年
シンクタンク本部
研究員
今井 昭仁
Akihito Imai
London School of Economics and Political Science 修了後、日本学術振興会特別研究員、青山学院大学大学院国際マネジメント研究科助手を経て、2022年入社。これまでに会社の目的や経営者の報酬など、コーポレートガバナンスに関する論文を多数執筆。
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特別号 HITO REPORT vol.13『動き出す、日本の人的資本経営~組織の持続的成長と個人のウェルビーイングの両立に向けて~』
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