公開日 2022/08/31
証券会社やベンチャーキャピタルを経て、「ESGを通じた企業変革」を研究する慶応義塾大学総合政策学部教授の保田氏。コーポレートファイナンスの専門家の観点から日本企業における人的資本経営の実態について伺った。
慶応義塾大学総合政策学部 教授 保田 隆明 氏
1974年兵庫県生まれ。リーマンブラザーズ証券、UBS証券で投資銀行業務に従事した後に、SNS運営会社を起業。同社売却後、ベンチャーキャピタル、金融庁金融研究センター、神戸大学大学院経営学研究科教授等を経て、2022年4月から現職。2019年8月より2021年3月までスタンフォード大学客員研究員としてアメリカシリコンバレーに滞在し、ESGを通じた企業変革について研究。上場企業の社外取締役も兼任。主な著書に『ESG財務戦略』、『地域経営のための「新」ファイナンス』、『コーポレートファイナンス 戦略と実践』等。博士(商学)早稲田大学。
――なぜ今、「人的資本経営」の必要性が高まっているのでしょうか。
端的に申し上げると、「企業が収益を上げていないから」です。収益を上げるためには事業ポートフォリオを変える必要があり、そのためには「新しい事業を立ち上げるための“人材”」、あるいは「新しい事業に適応できる“人材”」が必要なのです。つい数年前までは「新しい技術の獲得」などが重視されてきましたが、現在は新しい技術を獲得してもビジネス化できなければ収益に繋がらないことが分かり、人的資本経営に注目が集まっています。
――日本企業は欧米企業と比べて、「人的資本経営」への対応は遅れていると思いますか。
あまりネガティブな表現はしたくありませんが、残念ながら遅れをとってしまいました。従来、日本企業が得意としていた「中長期視点での企業経営」が、株主からの要請で「短期利益」を追い求めている間に失われてしまったからです。例えばヨーロッパのシーメンス(ドイツ)、ネスレ(スイス)、ユニリーバ(イギリス)では現在、10年20年30年先のメガトレンドを見据えて、「社会はこう変わるから、我々の事業をこう変えて、それに適合する人材を教育しよう」という話をしています。一方、日本企業は、こうした中長期的なメガトレンドを予測して事業を創造することをやらずにきてしまいました。
――「ROE(自己資本利益率)経営」の重要性もうたわれていますが、これは「長期投資視点」と一致するものですか。
一致すると思います。私たちはよく「プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント(PPM)」の概念を「市場成長率」と「市場占有率」の高低からなる四象限マトリクス「花形」、「金のなる木」、「問題児」、「負け犬」を用いるのですが、ESG経営に通じる事業戦略は、市場成長率「高」&市場占有率「低」の象限である「問題児」に該当すると考えます。
2017年ごろのテスラ(アメリカ)は「EV(Electric Vehicle、電気自動車)の時代はこの先来るけれど、まだ先だよね」という状況でした。「まだ」というのは「今やるべきではない」ということではなく「今は儲からない」ということ。そこから5年後の2022年現在、利益が出て、社会からも必要とされる事業になった。5年前までは問題児だったEVの事業が、今や時価総額100兆円に迫ります。経営者は、「今は問題児であってもこの事業が5年後10年後必ず儲かる」という「ストーリー」を社内外に説明する必要があるでしょう。
――日本は「PBR(株価純資本倍率)」が1.0倍を切る企業が4割といわれていますが、どうお考えですか。
株式市場は「PBR(株価純資本倍率)」が1.0倍を切る企業を、「将来、株式資本を増やすことができない企業」つまり「利益を上げられない企業」だと認識します。PBRとROEの関係性を示した研究結果(※)を見たところ、ROEが8%を超えると、PBRも高くなることが明らかになっています。
※ニッセイ基礎研究所 基礎研レポート(2020年5月27日)
ではなぜROEが上がらないのかというと、「利益率が低いから」、「資産を有効活用できていないから」、「借入金を有効活用できていないから」が挙げられます。特に日本企業と米国企業を比較すると「利益率が低い」、つまりコストがかかりすぎていることが目立ちます。
その理由は2つあり、一つには薄利事業の売却を決断できていないことです。売却する事業に紐づく人材の処遇が足枷になっているため、心的要因が大きいといえます。もう一つは、GAFAのような収益率の高い事業を仕込めていないことです。「ROE=8%」という指標はここ2019年ごろから登場したものです。日本企業はこれまで「赤字じゃなければ良い」と考えてきましたが、判断軸が「ROE=8%」に変わったことを意識して経営するのが良いでしょう。
――投資家が特に注目する「人的資本経営」の観点とは何でしょうか。
変化への対応力だと思います。VUCAの時代において、企業の変化対応を可能にしているのは人的資本です。ウォルマート(アメリカ)は、コロナ禍において店舗を倉庫化し、従業員をオンライン対応用に増やし、本気でアマゾン(アメリカ)に対抗しようとしています。経営陣が時代の変化に合わせて新たな事業を構築し、それに従業員がついていった好事例です。
「人的資本経営の主幹」は誰かといえば、それは「経営者」です。経営陣によってメガトレンドを予測した事業ポートフォリオを創造し、人事部門はそれに対応する人材の採用や育成などの人材戦略を実行に移すことが急務です。
――人的資本の情報開示において企業が気をつけるべきポイントを教えてください。
一つは「人的資本開発」です。人材を育成するためのプログラムがあるかどうか。参加率はどれくらいか。プログラムによって社員のスキルアップや満足度向上に寄与したか。これらの情報開示が評価対象となるでしょう。正直、現状まだできていないことは、投資家も織り込み済みです。下手な化粧はせずに、「今後の実行プラン」をしっかり組み立て、開示してほしいです。
また、ある研究では、「ダイバーシティスコアが高い組織はイノベーティブであり、売上も高い」という結果が出ています。「ダイバーシティは収益向上のための一つのツール」といえるのです。
その際気を付けることは、開示指標の項目達成自体が目的化しないことです。企業経営の目的は収益を向上させることですから、投資家としては「それをやることで、どう収益向上につながるか」を見ています。
――人的資本経営を推進する人事部門に対してメッセージをお願いします。
人事部門がリードをとって取り組めることの一つが、「ダイバーシティ&インクルージョン」です。前述の通り、業績につながるからです。推進のための「社内コミッティ」を設計することをお勧めします。
もう一つ人事部門が取り組むべきことは、組織変革のための制度や研修の設計でしょう。組織変革には「システム的」、「文化的」、「行動的」という3段階でアプローチしていくことが良いと考えています。システム的とは育休やテレワークの導入など制度を整えていくこと。文化的とはアンコンシャスバイアスを変えるようなアウェアネスのトレーニングなど。刷り込むくらい実践していただくと組織は行動的に変革していきます。
――最後に、日本企業に向けて応援メッセージをお願いします。
ここ数年、トヨタをはじめとした企業から「パーパス経営」といった言葉が聞かれるようになりました。そもそも企業が収益を向上させるのは、「パーパスを実現するため」です。影に隠れていたパーパスやミッションに今一度着目し、収益を上げるための「拠り所」としてもらえたらと思います。
※文中の内容・肩書等はすべて掲載当時のものです。
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