有価証券報告書による人的資本情報開示
企業の先行対応を調べる過程で得た3つの気づき

公開日 2023/05/08

執筆者:サービス開発部 古井 伸弥

人的資本コラムイメージ画像

2023年1月の内閣府令改正により、有価証券報告書において人的資本情報の記載が義務化された。今回の改正は2023年3月期決算の企業から適用となるため、開示の実態が確認できるのは実際には6月以降からになるが、2022年12月期決算のプライム上場企業240社を調べると、先行対応(※)する企業が約8%(19社)存在した。この先行対応の状況については、コラム「人的資本情報開示に先行対応した企業の有価証券報告書から何が学べるか」で紹介したが、あらためて240社の有価証券報告書に目を通したことで得た3つの気づきを紹介する。

※なお、先行対応の内容は、以下の3点のいずれかを適用したケースとした
①「サステナビリティに関する考え方及び取組」の記載欄を新設し、新様式を適用
②「女性管理職比率」「男性の育児休業取得率」「男女の賃金の差異」のいずれかを記載
③「戦略」と「指標及び目標」の項目立て、人材育成や社内環境整備に関する方針の記載

  1. 人材に関する記載は「課題」から「戦略」へ
  2. 具体性を追求すると情報量が増え、逆に分かりにくくなる恐れ
  3. 重要なのは「経営戦略と人材戦略の結びつき」と「独自性」
  4. まとめ

人材に関する記載は「課題」から「戦略」へ

これまで有価証券報告書に「人材」に関する記載がなかったわけではない。もともと記載義務のある従業員数以外にも、「経営方針、経営環境及び対処すべき課題等」において人材に触れる企業はあり、「人材の確保や育成」を経営課題のひとつとして挙げる企業は多く見られた。しかし今、人材に関する記載が義務化される前提であらためて読んでみると、これまでの記述はかなり抽象度が高かった印象を受ける。

当社の持続的な成長のために、優秀な人材の確保と育成は非常に重要な課題と認識しています。そのため新卒と中途採用を積極的に行うとともに、優秀人材の離職を防止するための管理職研修、組織風土改革、人事制度の改定にも取り組んでいます。

これは特定の企業のものではなく、よく見かけるパターンを組み合わせて筆者が作文したものだが、こうした「書かれてはいるが具体性に欠ける」記述は比較的多く見受けられる。このような記述には、「どのような人材を優秀人材と捉えているのか」「新卒と中途をどのような割合で採用しようとしているのか」「そうした考え方は会社の持続的な成長とどのように結びついているのか」といった疑問符がつきやすい。

これまで「人材」は「課題」の一部として記述されてきたため、記載さえ確認できれば、「課題」が認識されているものとポジティブに評価することができた。しかし「戦略」が期待されるようになると、具体性に欠け不十分と感じやすくなるのではないか。今後は自社の人的課題を踏まえつつ、それをどう克服するかという人材戦略を、より具体的に、読み手がイメージしやすいように記述すると良いのではないだろうか。

具体性を追求すると情報量が増え、逆に分かりにくくなる恐れ

有価証券報告書で人的資本の情報開示を先行対応した企業の記述は、対応していない企業に比べ人材に関する記述が詳細で、このコラムの中で紹介するにはボリュームが多すぎるほどだ。具体的かつ網羅的なので、先ほどのような疑問は感じにくい。しかし今度は情報量が多いことで、逆に読み手の理解を妨げることにつながらないか、という懸念が生じてくる。

先行対応した企業の中には、統合報告書など他の開示資料と同じ内容を転記する企業が見られた。パワーポイントのスライドや印刷媒体用に作成したと思われるビジュアルを活用しており、テキスト情報だけの場合と比べて視覚的にも伝わりやすくなっている。その分情報量が多くなり、頁数がかさむケースも散見される。

こうした背景には有価証券報告書を作成する現場の「都合」もあるだろう。開示媒体が多数ある中で、同じ情報はある程度は共通化したい。媒体ごとにいちから作成していては、担当者にも承認者にもかなりの負荷になりかねない。また、企業によっては承認プロセスに時間がかかるケースもあるだろう。どの開示媒体も期限はだいたい決まっているため、スケジュール管理は担当者にとって大いにプレッシャーになる要素だ。

しかし読み手の立場からすると、分かりやすさは重要だ。情報量が多くなると読み手の整理が追い付かず、結局のところ実態が掴みにくかったり、知りたい情報にたどり着きにくかったりもする。かえって企業が伝えたいことが読み手に伝わらない可能性もある。有価証券報告書を読み慣れた投資家は問題ないかもしれないが、企業研究する学生はどうだろう。その会社に対する関心を失ったり、印象を下げたりすることはないだろうか(※)。人的資本の開示に積極的な企業ほど、開示できる情報は多くなるため、こうした落とし穴に陥る恐れがある。

※パーソル総合研究所が行った調査「人的資本情報開示に関する調査【第2回】~求職者が関心を寄せる人的資本情報とは~」によると、就職先の検討に「有価証券報告書や決算書」を使用する学生は12.6%。

重要なのは「経営戦略と人材戦略の結びつき」と「独自性」

ではどのように情報量のバランスをとるのか。筆者は「経営戦略と人材戦略の結びつき」と「独自性」がカギになると考えている。

本改正とともに公表されたガイドライン「記述情報の開示の好事例集2022」では、投資家・アナリストが期待する開示ポイントとして以下が挙げられている。

●人的資本可視化指針で示されている2つの類型である、独自性(自社固有の戦略や、ビジネスモデルに沿った取組み・指標・目標を開示しているか)と比較可能性(標準的指標で開示されているか)の観点を 適宜使い分け、又は、併せた開示は有用
●KPIの目標設定にあたり、なぜその目標設定を行ったのかが、企業理念、文化及び戦略と紐づいて説明されることは有用
●マテリアリティをどう考えているのかについて、比較可能性がある形で標準化していくことは有用
●グローバル展開をする企業は、サステナビリティ情報の開示において、例えば、人権に関する地政学リスク等、ロケーションについて着目することも有用
●独自指標を数値化する場合、定義を明確にし、定量的な値とともに開示することは有用
●過去実績を示したうえで、長期時系列での変化を開示することは有用
●背景にあるロジックや、前提、仮定の考え方を開示することは有用
●人的資本の開示にあたり、経営戦略をはじめとする全体戦略と人材戦略がどう結びついているかを開示することは有用

出所:金融庁「記述情報の開示の好事例集2022」有価証券報告書におけるサステナビリティ情報に関する開示
2.「社会(人的資本、多様性 等)」の開示例

人的資本情報の開示を人的資本経営との両輪で推進していくことを訴える「人材版伊藤レポート1.0/2.0」では、上記開示ポイントの最後にある「経営戦略と人材戦略の結びつき」の重要性が一貫して強調されていた(「人材版伊藤レポートを読み解く」を参照)。有価証券報告書を実際に読み、各社がどのような開示を行っているのかを理解しようとすると、その重要性がさらに実感できる。人材育成方針や社内環境整備方針を人材戦略の一部と捉えると、それらの方針と経営戦略が結びついているかどうかは極めて重要で、結びついていない場合、何が書かれていても現実感が伴わなかったり、「絵に描いた餅」に感じてしまったりすることもある。したがって、「戦略」欄では、経営戦略にあらためて触れつつ、人材育成方針・社内環境整備方針とのつながりを示すといった工夫が必要になってくるように思われる。今回確認した中でも、人的資本情報開示の先行対応した企業では、人材育成方針や社内環境整備方針を、経営戦略や経営理念と紐づけて説明する傾向にあった。もし経営戦略と人材戦略の紐づけが十分できていないようであれば、これはもちろん早急に取り組まなければならないだろう。

とはいえ、経営戦略と人材戦略の「結びつき」は、かなり主観に左右されるように感じる。実際に有価証券報告書を読んで結びついている/結びついていないを判定するのは必ずしも簡単なことではない。少なくとも「女性管理職比率」などの定量的な指標に比べれば、読み手によって解釈の余地が大きいことは間違いない。

そこで鍵となるのが「独自性」だ。企業はそれぞれ目的や目指す姿、置かれた条件が異なる。そうした中で、持続的な成長を遂げるために吟味された経営戦略・人材戦略は、自ずと企業独自のものになっていく。独自性で貫かれた経営戦略と人材戦略は、その結びつきが読み手にも伝わりやすい。今回確認した中でも、先行対応した企業では、経営戦略や中期経営計画で使用するフレーズを人材戦略の中でも使用するなど、関連づけて説明する傾向にあった。前述の情報量の問題も、「経営戦略と人材戦略の結びつき」と「独自性」を軸に、優先されるべきものが判断できるのではないだろうか。

まとめ

有価証券報告書において人的資本情報の開示を先行して行った企業を確認し、その過程で見えてきたことをやや主観的ではあるがご紹介した。

あらためて、以下3つの気づきに関して振り返っておきたい。
・人的資本情報に対する読み手の期待は「人的課題」から「人材戦略」へと移行する
・具体性が求められるが、増える情報量を整理し、分かりやすく伝えることもポイントに
・肝になるのはやはり「経営戦略と人材戦略との結びつき」、そして「独自性」

人材戦略への記述が増えていくことで、有価証券報告書はより企業の未来を予見するものになっていくのかもしれない。有価証券報告書による開示自体を戦略的に捉え直そうとする企業も出てくるのではないだろうか。

人的資本開示をどの部門がリードするのかは、企業によって異なる。少なくとも戦略的に行おうとするならば、部門間の連携は必須だ。開示の目的から現場の実務まで、一貫した戦略を持つことが重要になってくる。

一方で、人的資本情報の開示媒体は有価証券報告書だけではない。企業は投資家やその他のステークホルダーとの「対話」をどのような媒体を用いて行っていくべきか、有価証券報告書をどう位置付け活用すべきか——。そうした議論もぜひこれから積極的に行っていただきたいと思う。

執筆者紹介

古井 伸弥

サービス開発部

古井 伸弥

Nobuya Furui

日系・外資系のマーケティング会社で計16年、市場調査と消費者研究に基づく提言を行い、クライアント企業の意思決定を支援する。CSとESの関係性を扱うなかで、社員のモチベーションやリーダーの役割への関心を高め、人と組織の領域にキャリアを移す。2019年「はたらいて、笑おう。」に共感し、パーソル総合研究所に入社。ピープルアナリティクスラボにてHRデータ活用の研究開発、シンクタンク研究員として人的資本情報開示や賃金に関する調査研究に従事。2023年10月より現職。


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