公開日 2022/10/05
世界で進む人的資本に関する情報の開示。企業価値向上のため、非財務情報を可視化し、投資家の判断に有用な情報を提供するためだ。日本においてもその流れは加速するとみられるが、当の投資家はこの動きをどう捉えているのだろうか。アジア有数のESG投資の旗手であるアセットマネジメントOneの国内株式担当ファンドマネジャー浅井哲行氏に伺った。
アセットマネジメントOne株式会社
運用本部 株式運用グループ 国内株式担当 ファンドマネジャー 浅井 哲行 氏
2001年NEC入社。デバイス部門の経営戦略部を経て、IR(投資家向け広報)を担当。2007年みずほ信託銀行入社。国内株式アナリストとして情報通信・精密セクターを担当し、2013年より国内株式ファンドマネジャー。2016年会社統合でアセットマネジメントOne入社。株式運用経験年数15年超。日本証券アナリスト協会 認定アナリスト(CMA)。京都大学経済学部卒業。
現在、企業の人的資本に関する情報はブラックボックスです。しかし、持続的な企業価値向上のために、経営の根幹をなす「人」の価値を最大化させる必要性は自明であり、当然投資家も注目しています。
投資判断に有用かつ重要な材料として、すでに海外では人的資本に関する情報開示の機運が高まり、アメリカでは2020年に米国証券取引委員会が上場企業に対して義務化しました。日本においても政府が人的資本の情報開示ルール作りに動いており、需要は高まるでしょう。
しかし現状は、一部の先進的な企業が統合報告書などで自主的に公開しているにとどまります。企業の人的資本経営への関心は高まっている一方で、何から手をつければよいか分からないと二の足を踏む企業が多い印象です。
ISOや現在政府が検討している開示項目は、主要な情報として参考にします。ただし、ESG投資に積極的な当社や投資家にとっては、そういった断片的な定量データだけでは、人的資本経営の証左とは判断できません。
サステナブルな観点から投資家が注目するのは、「人的資本に投資した結果、何が変わり、企業価値を高められたか」という本質的な変化です。
そもそも、会社の経営状況によっても重要視する項目は異なるため、一概に言い切れません。例えばROEが15%と高い企業なら、持続的に成長するためのダイバーシティ推進に優先度高く取り組むことは評価されます。翻ってROE5%と低い企業なら、まずは資本効率の向上に資するタレントマネジメントが喫緊の課題となるはずです。資本効率にかなった戦略になっているかを、投資家は注視しています。
ありたい姿を実現するために、「どの項目を改善するのか」「そのためにどんな施策を実施するのか」「その結果、どう企業価値が向上するのか」といった一連の企業価値創造ストーリーと、戦略の納得度の高さこそが重要だといえます。
次の3点に注目しています。
①経営者のコミットメント
感度の高い経営者はすでに統合報告書などでメッセージを発信しています。そうした企業の発信は、ただ情報開示すればよいという内容のものではなく、「何のためにやるのか」「その結果どうなるのか」というストーリーが明快です。トップの本気が中核社員や現場に波及すれば、取り組みは一層加速するでしょう。
②経営戦略と人材戦略の連動
経営戦略と人材戦略が連動して、企業の価値創造ストーリーが語られているかが重要です。①にも通じますが、危機感をもって積極的に取り組んでいる経営者ほどサクセッションプランが明確。企業のありたい姿からバックキャストして必要な人材を配置する、動的な人材ポートフォリオの策定を行っています。
➂従業員エンゲージメントを高める取り組み
従業員エンゲージメントが高いと、生産性、顧客満足度が高まり、業績に結びつくという研究結果も報告されています。人を大切にしているか、人材の価値を高めているか、経営と現場が対話しているかなどを測るツールであり、重要な指標として注目しています。
もちろん、人に投資した成果はすぐには表れません。4〜5年かかってようやく見えてくるもの。企業は腰を据えて、継続的に取り組む覚悟が必要です。しかし、今から将来に向けて、短期収益指向で人材をコストとして捉えた企業と、人の成長に投資した企業とでは、5年後には優劣がついているでしょう。今から取り組み始めなければ、大きな差が生まれてしまうと思います。
注目すべき企業の取り組みは、3つのグループに分かれると思います。
1つはグローバル企業です。世界を舞台にした熾烈な人材獲得競争に勝ち抜くこと、また多様な国籍の従業員マネジメントにはダイバーシティが不可欠であることから、人的資本経営は必須であり、多くがすでに進めている状況です。
2つ目はサービス業です。情報開示はまだまだこれからという段階の企業がほとんどですが、消費者の変化、デジタル化の影響をダイレクトに受ける業界であり、人材の活用次第で業績が左右されるので、人的資本経営を推進すべきグループとして、今後の変化に期待を寄せています。
3つ目は新興企業です。「人がすべて」となることの多いこれら企業においては、採用・育成が成長戦略に直結するので、高い関心を持って見ています。
確かに投資家は、リターンをシビアに問います。しかし人への投資は、中長期の視点で企業の価値向上に寄与するものであり、リターンを生む資本として評価すべきだと思います。改めて今こそ、人を「資源」ではなく「資本」へと捉え直す意識改革が必要だと感じます。資源は1回限りのものですが、資本は成長し、将来的に収益を生み出すもの。資本である「人」が成長することで、生産性、業績が高まり、経済発展、ひいては社会問題の解決につながり世の中が良くなるはずです。
実は以前、気候変動対策を講じない企業に対して、今後は投資対象として難しくなるかもしれないと伝えたことがあります。持続的な成長のための種まきや、社会問題への意識が希薄な企業は、サステナブルではないと判断したためです。日本では2022年が人的資本の情報開示元年といわれていますが、人を大切にしない企業に対しても、このような投資判断をする未来が遠からずくるのではないでしょうか。
そもそも、開示項目に必要なデータを集めるのも簡単なことではありません。各企業が設定した重点課題がどのように改善しているかをストーリーで投資家に語るには、経年データも必要です。ビジョンを実現するために必要な指標を定め、データを集め、蓄積し、解析するには時間がかかります。待ったなしの状況なのです。
従来型を踏襲する同質的な集団の中、居心地の良さはあったかもしれません。しかし、グローバル化、気候変動、デジタル化、人口減少、コロナ禍による働き方の変化、働き手の価値観の変化と、世界は急速に変化しています。今までの日本的企業のやり方で、果たして持続可能でしょうか。事実、20年以上日本人の平均給与は上がっておらず、アメリカの約半分、隣国の韓国にも抜かれ、円の実力は下がっています。どれほど居心地が良くても、企業が存続しないことには本末転倒です。この現実を受け止め、危機感を持つ経営者であれば、人的資本経営に動き出すのではないでしょうか。
人的資本経営の潮流は、今後も続くと思われます。企業が人を本当の意味で大切にし、社員と共に成長し、持続的に企業価値を高めていく契機になると期待しています。
※文中の内容・肩書等はすべて掲載当時のものです。
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