公開日 2023/06/08
「AIによって仕事が奪われるのでは」と懸念される一方で、AIによる業務の代替は働く人の生産性に寄与しているという声もある。ChatGPTなどの生成AIの登場により加速度的にAIが普及しているが、AIは今後、果たして働く人々の脅威になるのか、あるいは助けになるのか。労働経済学の観点で、AIとウェルビーイングの研究を行っている慶應義塾大学商学部の山本勲教授に、ChatGPTをはじめとした生成AIが働く人のウェルビーイングにどのように影響するのかを伺った。
慶應義塾大学商学部 教授 山本 勲 氏
慶應義塾大学経済学部附属経済研究所パネルデータ設計・解析センター長、慶應義塾大学産業研究所兼担所員、慶應義塾大学人工知能・ビッグデータ研究開発センター兼担所員、総務省情報通信政策研究所特別研究員。応用ミクロ・マクロ経済学、労働経済学、計量経済学を専門領域とし、労働市場の豊富なデータをもとに、人的資源管理のあり方や労働者のメンタルヘルス、ウェルビーイングなど、広く働き方の研究を行っている。
――ChatGPTをはじめとした生成AIの導入によって、人々の働き方やウェルビーイングはどのように変わるのでしょうか。
AIに限らず、新しいテクノロジーはどう活用するかによって人に与える影響も変わってきます。AIを導入しても、人のやることが従来と変わらないのであれば、雇用を奪ってしまうでしょう。しかし、これまで見た限りではそういった事例はまだ少ないように感じます。
われわれの専門領域では、人が担っている業務内容を「タスク」と呼んでいますが、このタスクを変えるために、むしろAIを活用している事例が増えています。つまり、AIができることはAIに任せて、人はもっと高度な、人間にしかできないタスクをやるということです。このような活用であれば雇用はなくならないと同時に、生産性やウェルビーイングが向上するケースが多いようです。
なぜなら、AIによって業務の変革、つまり「タスク・トランスフォーメーション」が行われると、効率化や新たな付加価値の創出によって生産性が高まったり、単調な仕事ではなく創意工夫しながら働くことで、やりがいやエンゲージメントといったウェルビーイングが高まったりすることが充分に期待できるからです。ただし、ChatGPTなどの生成AIはまだまだ発展段階ですので、今後の予想がしにくく、真に大きなインパクトが生じるとしても、これからだと思います。
――AIなどの新しい情報技術の導入とウェルビーイングとの関係について、さらに詳しく教えていただけますか。
2019年から2021年にかけて、全国の人々を追跡調査した「日本家計パネル調査」を用いて、AIなどのテクノロジーの職場での活用による賃金・労働時間やウェルビーイングの変化を分析しました。ここではワーク・エンゲイジメントやメンタルヘルス、主観的生産性などの指標を総称してウェルビーイングと呼んでいます。その結果、「AIを導入した」「AI導入の計画のみ」「AIを導入しなかった」の3つで比較したところ、「AIを導入した」職場で働く労働者は賃金や主観的生産性、ワーク・エンゲイジメントが向上し、労働時間の減少が見られました。また、コミュニケーションや分析といった非定型のタスク(抽象タスク)がAI導入後に増加したということも分かっています。
つまり、AIを導入した職場ではタスク・トランスフォーメーションが起こっており、それに伴って賃金やウェルビーイングの向上が生じているのだと思います。
図:AI導入によるウェルビーイングの変化
出典:山本勲教授と小林徹准教授(高崎経済大学)による共同研究の分析結果
――AI導入によってウェルビーイングが良くなったというのは大変興味深い結果ですが、AIをうまく活用できない人はウェルビーイングを低下させてしまうこともあるということでしょうか。
そうですね、効果的に業務をAIに代替させて生産性を伸ばし、ウェルビーイングを高められる人と、そうでない人に分かれる可能性はあります。ただ、AIはスキルが低い人の仕事をサポートするのに役立っているという研究結果もあります。ChatGPTのような生成AIは、「文章を書くことや調べることが苦手」「プログラミングができない」といった人たちをサポートしてくれます。将来的にはAIに雇用自体が取って替わられる可能性もありますが、そこまでAIが進歩してない段階では、AIを補助として使うことでスキルの低い人もより高い生産性で仕事ができるようになり、一時的にウェルビーイングが高まる可能性はあると考えています。
政府が推進している「リスキリング」が話題になっていますが、各自がAIを活用するスキルを高めていけば、結果として組織全体の生産性やウェルビーイングが高まっていくでしょう。
――では、AIを活用するスキルを身に付けるために、どのように取り組んでいけばよいでしょうか。
これからの社会にAIの研究者や専門家はもちろん必要ですが、ビジネスの場においてテクノロジーだけに詳しい人を増やしてもあまり意味がないと考えています。ビジネスを知っていて、かつどの局面でどのテクノロジーを使ったら付加価値が高まるか、イノベーションが生まれるか、効率化ができるのかなどをうまく適合できる人が求められるでしょう。これらがまさに「リテラシー」です。
リテラシーを高めることは、AIの専門スキルを持たないビジネスパーソンでも十分できるはずです。まずは「AIなんて分からない」「私には関係ない」といったスタンスを変えていく必要があるでしょう。経営層や人事の方が、「今、求められているAIリテラシーは何か」を実感することで、組織全体に伝えやすくなると思います。
――企業はそもそもどのような目的でAIを導入・活用しているのでしょうか。
企業では、より高い付加価値を求めていたり、効率化のためだったり、スキルの底上げのような形でAIを使っているケースもあります。底上げの例としては、営業で鍛えた長年の勘をAIの作り出すモデルに落とし込み、それを共有知として使うことで、スキルの低い社員が営業を成功させるといった活用法です。
ただし、前述したように今はスキルの低い人の仕事をフォローして、ウェルビーイングも改善されるかもしれませんが、さらに進んでいくと人の仕事がなくなってしまう可能性もあります。
――AIの活用が進むほど、働く人の不安が増してくるかもしれないですね。
ある程度の不安感は、むしろ持ったほうがいいと私は思っています。「AIに仕事を奪われないように、どのようなスキルを身に付ければいいのか」という意識を持つことは大事だと思うからです。もちろん、組織はやみくもに不安を煽るのではなく、先ほどのウェルビーイングのデータのようなエビデンスに基づいて方針を決めて、明確な活用法を示す必要があります。
タスク・トランスフォーメーションが起きて、人間が高度なタスクを担えるようになれば、悪いことは起きない、むしろ良いことが起きるという道筋を示す。そのためには高いスキルを身に付け、AIを使いこなせるだけのリテラシーを持たなければいけない。「AIがやってくれる以上のことをやる」「AIを活用して、新たな付加価値を生むためのスキルを習得する」という意識が必要になると思います。
――AIに仕事を奪われるかどうかを議論するよりも、ウェルビーイングの向上にも影響があるAIと、これからどのように協業していくかを考える時代になってきているのですね。
実はAIがやっていることは、これまで世の中に蓄積されてきた情報やノウハウをアウトプットしているにすぎません。拒否反応を示すものでもなく、むしろバラつきや好みが入ってしまう人間より、中立的で効率的ともいえます。
コロナ禍を経てテクノロジーが進展・普及し、ChatGPTなどによってAIが身近なものになりましたが、ChatGPTは正しいことも間違ったことも同じように生成するので、疑ってかかることを前提とすべきでしょう。自社でAIを導入した場合は、繰り返し学習させて精度を向上させる必要があります。いわば、社員の人材育成のように、「みんなでAIを育てていく」という感覚を持つことも大事だと考えています。
※文中の内容・肩書等はすべて掲載当時のものです。
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