重要度が増すウェルビーイング。HRMができることを探求し続ける

公開日 2022/12/05

昨今、重要性が増している職場におけるウェルビーイング。従業員個々のより良い生き方に注目した施策だが、実際の現場ではどのような効果がもたらされ、何が期待されているのか。企業人事に従事した経験を持ち、人的資源管理の専門家として長年、研究を続けてこられた平野光俊氏に見解を伺った。人事部の現状に見る課題感と解決に向けてカギとなる観点とは。経営におけるウェルビーイングの捉え方をはじめ、ウェルビーイング向上のヒントを実例とともに詳しく教えていただいた。

平野 光俊  氏

大手前大学 学長 平野 光俊 氏

早稲田大学商学部卒業後、ジャスコ(現イオン)株式会社入社。人事部長、経営企画室次長として22年間勤務したのち、2002年神戸大学大学院経営学研究科助教授、2006年同教授。2019年大阪商業大学教授。2021年大手前大学教授・副学長、2022年4月から同学長。神戸大学名誉教授。専門分野は人的資源管理、組織行動、キャリア開発。

  1. ウェルビーイング向上に重要な役割を担う2つの部門とその課題
  2. HRMにおけるウェルビーイングと組織的成果の関係
  3. 事例から紐解く、「インクルージョン認識」と「セルフの意識」の重要性
  4. 社会がパラダイムシフトする今、《その人らしさ》が重要に

ウェルビーイング向上に重要な役割を担う2つの部門とその課題

――ウェルビーイング経営において、先生が考える問題点を教えてください。

先日、ある学会にて「健康経営とキャリア開発支援の補完的関係」をテーマにお話ししました。キーワードは3つ、「健康経営」と「キャリア開発支援」そして「ウェルビーイング」です。私は「健康経営とキャリア開発支援は同時に行うことで相乗効果が生まれ、ウェルビーイングがより向上するのではないか」といった観点から研究をしています。


健康経営とキャリア開発支援は、重要な要素として多くの企業人事で取り組まれているでしょう。そこで私が問題意識として持っているのは、この2つの活動を請け負うセクションが分かれ、連携が不足していることです。例えば健康経営は、産業保健や健康推進のセクションが担当。一方、キャリア開発支援は人材開発支援部門などが担い、この両者間のコミュニケーションは不十分です。大企業になるほど顕著で、そこに問題があると感じています。


――そもそも、ウェルビーイングとはどのようなものなのでしょうか。

ウェルビーイングは多義的な意味合いを持つものです。その分類の仕方はさまざまですが、大枠で3つに分類できると考えられています。まずは、心身の健康から見た「医学的ウェルビーイング」。フィジカル、メンタルにおいて不全がないかを見ています。2つ目は「快楽主義的(Hedonic)ウェルビーイング」で、心と体の《快》と《不快》を差し引き、《快》が多いほど幸福度が高いと考えるものです。


3つ目が「持続的(Eudaemonic)ウェルビーイング」で、アリストテレスが唱えた人間の最高善(Eudaimonia)に基づいたものです。「人間が心身の潜在能力を発揮し、意義を感じ、周囲の人との関係の中でイキイキと活動している状態」として定義されています。人生の目標・課題達成、成長といった幸福を高める生き方(過程)に焦点を当てるものです。


3つ目の持続的ウェルビーイングはポジティブ心理学の領域になりますが、同域で著名な学者・セリグマンによると、持続的なウェルビーイングの状態は「PERMA」で測定できるといいます。「PERMA」とはP(Positive emotion:前向きな感情)、E(Engagement:没頭、積極的な関わり)、R(Relationship:良い人間関係)、M(Meaning:人生の意義の自覚)、A(accomplishment:達成感)のことで、この4つが高い状態がウェルビーイングだと主張しています。

HRMにおけるウェルビーイングと組織的成果の関係

――企業の経営において、ウェルビーイングはどのように認識されてきたのでしょうか。

大きく3つに整理されるウェルビーイングは、人的資源管理(以下、HRM)の世界ではどのように扱われてきたのか。実は、1984年に発表された「ハーバードモデル」ですでにウェルビーイングという概念は登場しているものの、現在までウェルビーイングの概念そのものは直接的には扱われてこず、「Happiness(心理面)」「Relationship(社会面)」「Health(健康面)」という3つのウェルビーイングに近似した概念で扱われてきました。「Happiness」は組織的なコミットメントや仕事への満足度のことです。


「Relationship」は、組織的な支援、組織の中の信頼関係など、「Health」はこの場合、ストレスなどメンタル面だけをいいます。


全米心理学会が提唱する「心理的健康職場」を見ると、従業員のウェルビーイングは、①身体的・心理的健康、②ストレス、満足、モチベーション、コミットメント、③モラル、風土に構成され、一方の組織的機能は①業績、生産性、②アブセンティーズム(休業状態)、離職率、事故・負傷率、コスト削減、③製品・サービスの品質、顧客満足で測定できると据えられています。


さらにウェルビーイングを高める人事側の施策は5つ──①ワークライフバランス、②健康と安全、③従業員の成長と開発、④従業員の承認、⑤従業員の巻き込みがあります。この概念は、従業員ウェルビーイングと組織的機能の2つの間のMutual Gain(共通利益)、つまり両方が矛盾なく高まる関係性を見ているものです。ウェルビーイングが高まれば組織的成果が高まる。逆も然りです。人事管理の施策がこれらに対してプラスに作用すると考えられていますが、必ずしもそうなるとは言い切れません(図)。

図:従業員ウェルビーイングに資するHR施策

図:従業員ウェルビーイングに資するHR施策

The psychologically healthy workplace: Building a win-win environment for organizations and employees. American Psychological Associationを基に一部修正


――実際に、施策とウェルビーイング、組織的成果はどのように作用しているのでしょうか。

「HRM施策」と「ウェルビーイング」、「組織的成果(業績など)」の3者間の関係性を見ると、必ずしもウェルビーイングが高ければ組織的成果も上がるとは限りません。ただ、さまざまな研究結果をまとめると「Happiness」と「Relationship」は概ね組織的成果にポジティブな効果があり、「Health」には「仕事に没頭して成果を上げているがバーンアウトする」といったような逆効果のケースがあり得るといった関係性にあります。


――必ずしもウェルビーイングがすべてによく作用するわけではないのですね。

「Happiness」と「Relationship」には、ポジティブ心理学のベースになる考え(拡張形成理論)があります。あることで幸せを感じられると別の領域でも幸福感が高まり、拡張していく。例えば家庭環境がポジティブであれば、仕事にもスピルオーバーするし、逆もあるという考え方です。


「Health」と組織的成果が必ずしもMutual Gain(共通利益)にはならない理由は「没頭」という考えです。ワークエンゲージメントには、「没頭」「熱意」「活力」の3つの概念があります。没頭しすぎると、生活時間を圧搾する。要するにワークライフバランスが崩れ、生活の満足度も下がるというものです。これは一枚岩ではありません。没頭しすぎないことが重要で、その点、働き方改革には意味があると思います。我々は知らず知らずのうちに働きすぎますから。土台となるのは健康です。十分に健康管理した上で没頭できればいいのではないかと考えます。


――企業で取り組む上では、どのような点が重要となってくるとお考えですか。

健康経営は「Health」に、キャリア開発支援は「Happiness」や「Relationship」に影響します。現状、人事部内の別々のセクションが独立してそれぞれの目的に応じて取り組んでいるわけですが、私は両者を同時に取り組むことによって相乗効果が生まれ、すべてを良くする関係性があるのではないかと考えています。また、そこでカギとなる観点は何かを探っているところです。

事例から紐解く、「インクルージョン認識」と「セルフの意識」の重要性

――健康経営とキャリア開発支援、2つを両立している企業はあるのでしょうか。

最近、その糸口を、健康経営を行う2社の事例に見いだしました。味の素とデンソーで、経済産業省が毎年表彰する健康経営銘柄でおなじみの企業です。そこでは2つのカギとなる観点が見えてきています。


1つは「インクルージョンの認識」です。コロラド州立大学のショア教授によると、インクルージョン(包摂)は「自分らしさの価値」の高さと、「帰属感」から認識されます。職場で自分らしさが認められているか、偽りのないオーセンティックな(本物の)自分でいられるか。さらには職場との一体感を感じていられるか。すなわち個性が尊重されながらも、職場に所属していると感じられる状態を指します。現在の日本企業に多いのは、「自分らしさの価値」は高いものの、「帰属感」の低い「同化」でしょう。帰属するには皆と同じような振る舞いや考え方が求められ、それ以外は排除されがちです。


その点、デンソーの事例には学ぶべき点が多くあります。デンソーは「心身の健康増進に向けた集団アプローチ」を実施しています。これまで同社では病気の人やリスクがある人を対象としていましたが、全従業員に対して予防や対策を職場ぐるみで行なうようにしました。ポピュレーションアプローチといい、全体の底上げを図るものです。デンソーの取り組みの特筆すべき点は、職場単位で健康リーダーを設置していること。リーダーを中心に社員が自主的に取り組む、すなわち従業員を巻き込んだ施策(インボルブメント)ができているのです。キャリア開発支援の中で「自分らしさの価値の向上」に取り組みながら、健康経営面では職場の一体感を醸成する施策を行なっています。一見、違う取り組みに思われるかもしれませんが、いずれもインクルージョンを高めることにつながっています。つまり、健康経営とキャリア開発支援の取り組みの相乗効果の結果といえます。


――「インクルージョンの認識」ですね。2つ目は何でしょうか。

「セルフの意識」です。味の素の例を見ると、キャリア開発支援では、キャリア研修やキャリア面談を含む、セルフキャリアドックを導入しています。人材育成からフォローアップ介入、連携までの一連の流れの中に設定し、自己への気づきなど「セルフの意識」を醸成するものです。一方、健康経営では「セルフケア」をコンセプトに置き、産業医や看護師が全社員を対象に個別面談を実施。心身の不調を発見する入り口となっています。この両者の施策が補完的にセルフの意識を高めているのです。


このように、健康経営とキャリア開発支援という、いずれも従業員のウェルビーイング向上を最終的な目標とした取り組みは、別々に行うのではなく連携されることによってより大きな効果が期待できると考えます。その際、「インクルージョンの認識」と「セルフの意識」の2つの観点から、互いに相乗効果を高められるよう、活動内容をすり合わせることをお勧めします。

社会がパラダイムシフトする今、《その人らしさ》が重要に

――現在の社会をご覧になって感じることはありますか?

そもそもウェルビーイングとは、《Being》とあるように、人の生き方や自分の価値に重きを置いたもの。このようなウェルビーイングが昨今注目されている背景には、社会のパラダイムシフトがあると思います。


例えば、ハーバードビジネススクールは、創立100周年を迎えた2008年から大きな教学の転換を行いました。きっかけはリーマンショックやエンロン事件です。優秀なビジネスリーダーを育成してきたにもかかわらず、結果として社会的な悪をも生み出してしまった。その反省から、従来の「Knowing(知識)」と「Doing(スキル・能力)」に加え、「Being(価値観)」の重視を打ち出しました。つまり《人間力》を育むことに注力するようになったのです。


この転換は経営学全般にも大きな影響を与えました。リーダーシップ研究では、それまでのカリスマ的なリーダーシップから、「オーセンティックリーダーシップ」や「シェアドリーダーシップ」などのように、皆がリーダーである、リーダーシップをシェアする、といった考え方が広まりました。また、最近話題のパーパス経営もその一例でしょう。


加えて、社会的に良いこと、社会的正義・社会的厚生をより重視する社会になりました。キャリアや人生の目標において、「自分なりに社会的な意義を考え、強みや価値観を大事する。それを仲間とともにシェアしながら邁進する」と、随分考え方は変わりました。健康経営やキャリア開発支援、ウェルビーイングもその一環にあるといえるでしょう。競争して利益を追う《効率的》な経営モデルから、《社会的正義》へと大きく価値観が転換しつつある中で、企業はどのような経営をしていくべきか、同時に我々自身はどう生きていくべきか。また大学はそのような心をどのようにして学生に育んでいけばよいか。それぞれに問われています。


――先生は大学の学長も務めておられますが、教育や人材育成に対してどのような思いをお持ちですか。

学生を育成する中で思っているのは、胸を打つ教育、心に火をつけるような教育をせねばならないということです。そのためには学生自身が己をよく知らねばなりません。最近はホーム(座学)だけでなくアウェイ(フィールド)に出て学ぶ越境学習など、授業の中で学生たちが内省(リフレクション)できるような機会を設けています。例えば、子供食堂を手伝って、貧しい子どもたちにご飯を食べてもらいながら一緒に学び遊ぶ。目的を持って実践した経験を通じて、何を身につけて帰ってくるか。すなわちBeingを育む教育で、これは企業の従業員にも通じることです。


自分の価値とは何か。基軸をどこに据え、社会的に意義があることに自分の人生をどう使っていくのか。そうした一連のBeingをそれぞれが育んでいく。それは個人のものですから、企業が決めることはできませんが、例えばパーパス経営において、企業の理念やビジョンといった企業のBeingが、個人のBeingと部分的に重なり合えば、互いにWin-Winの関係になります。今、一番大事なことはそういうところにあるように思います。こうしてみると、人事というのは哲学的です。人事の方々もKnowing(知識)ばかりにとらわれることなく、ぜひ「自分なりの哲学」を持って取り組まれるといいのではないかと思います。


※文中の内容・肩書等はすべて掲載当時のものです。


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