テクノロジーと正しく向き合いHRの可能性を広げるチャンスに

公開日 2024/06/13

AIをはじめとした最新のデジタル技術により、HRの在り方が今、大きく変わろうとしている。人材戦略においてもデータやテクノロジーの活用は欠かせないものになるだろう。ニューヨーク大学で人的資本管理プログラムの学部長を務め、HRの新たな可能性について研究するAnna Tavis氏に話を伺った。

Anna Tavis 氏

ニューヨーク大学 プロフェッショナル学部(SPS) 臨床教授/人的資本管理学部 学部長 Anna Tavis 氏

未来学者、作家、講演家。人類の未来、情報化時代の教育、創発技術など、さまざまなテーマで講演・執筆を行う。2009年、『フォーリン・ポリシー』誌の「グローバル・シンカー・トップ100」に選出。2017年5月、そのライフワークが認められ、アドバンシング・テクノロジー大学から名誉博士号を授与された。

  1. データが語る《ストーリー》を客観的で最適な人事に生かす
  2. テクノロジーは意思決定を補助するツール
  3. 《新たな友人》として好奇心を持って受け入れる


――テクノロジーの波はHR領域にも押し寄せ、転換期に差し掛かっていると感じます。

テクノロジーはHRの在り方を大きく変えつつあります。アメリカのトップクラスの企業では、すでに採用か業務管理、給料の設定まで、あらゆる人事業務がデータに基づいて実施されています。人事部内にデータ分析の専門チームが設置されていることも珍しくありません。例えばマイクロソフトでは、人事部門に100人以上のデータ分析の専門家を雇っています。こうした在り方は、今後広まっていくでしょう。

私はニューヨーク大学で人的資本管理プログラムの学部長を務めており、講座には企業の人事部からも学びに来ています。私は受講生に「データを理解し、テクノロジーを管理するスキルを身に付けねばならない」と伝えてきました。なぜなら前提として、実際に起こっている事象を客観的に把握するための指標としてデータがあり、それらを効率的に収集・分析するのにテクノロジーが求められているからです。先述のとおり、それらはすでに先進的な企業の人事業務において中心的なスキルのひとつになりつつあります。

現時点では、データやテクノロジーを理解していなくても、これまでのノウハウや経験則を基に人事の仕事を遂行できるかもしれません。しかし、人事の専門家がさらにデータやテクノロジーの知識を得たなら、今後の社会において、間違いなく自らの可能性を広げることができるはずです。

データが語る《ストーリー》を客観的で最適な人事に生かす

――データやテクノロジーに対して、HR領域ではどのように向き合うべきでしょう。

データとは、単なる数字の羅列ではありません。そこにあるのは事実の断片にほかならず、それらを集め、組み上げることで、人々が現実を偏見なく受け入れ、共感し、納得するための《ストーリー》となります。そして、幅広くデータを集め、分析し、誰もに伝わるストーリーに仕立てるのに、テクノロジーの力を借りるのです。

HRにおいても、データとテクノロジーから生まれたストーリーを基にして、誰もが納得する客観的な人事評価や、より適した人材配置などを行うことで、業務の質や生産性の向上が期待できます。中でも私が着目してきたのが、「コーチング」への活用です。

いくつかの企業では、人材開発の手法としてコーチングが採用されていますが、それを受けられるのは多くの場合、上級管理職でしょう。あらゆる従業員がコーチングを受けられるようにするにはどうすればよいか。そこでテクノロジーの出番です。すでにオンラインで会議ができるプラットフォームが登場し、場所の制約を受けずにコーチングを実施できるようになりました。さらに、もし人間ではなくAIがコーチとなってくれるなら、時間の制約もなく、365日いつでも好きなタイミングでコーチングを受けられます。

そうして従業員の個人データを学習したAIが、その人に合わせたストーリーで育成や成長をサポートする「デジタルコーチング」は、私の研究テーマのひとつです。AIというデジタルコーチのユニークな特徴といえるのが、「安心感」です。実際に、人間のコーチよりもデジタルコーチのほうが安心できるという興味深い研究結果も出ています。この事実は、デジタルコーチングのニーズの広がりを予感させます。

HRにおけるAIテクノロジーの活用事例を挙げるなら、従業員のマネジメントにAIアシスタントを導入しているマイクロソフトです。同社が開発した従業員支援のプラットフォーム「Microsoft Viva」は、スキルや健康状態、満足度といった従業員の体験(EX)を向上させるための幅広い機能を持っています。なお同社では、このAIアシスタントを「コパイロット(副操縦士)」と呼んでいます。組織運営を飛行機の操縦に例えるなら、確かに従業員をコーチングし、フィードバックもくれるAIは、目的地へと人々を導く手伝いをする副操縦士のようなものです。ただし、目的地を設定するのはあくまでパイロット(機長)たる人間であり、ここにテクノロジーとの向き合い方を考える上で重要な示唆が含まれています。テクノロジーは、人間に完全に取って代わるものではないということです。

テクノロジーは意思決定を補助するツール

――AIが人間の仕事を奪うという論調もありますが、テクノロジーは時に脅威ともなり得るものでしょうか。

アメリカにおいては、確かに一部の仕事の担い手が人間からAIへと移っています。その背景にあるのが、アメリカではあらゆる企業、すべての市場において、生産性が競われているということです。さらなる生産性向上を目指し、どの企業もAIの導入に戦略的に取り組んでいます。特にコロナ禍では、AIやロボットへの投資に舵を切った企業が目立ち、テクノロジーの導入が加速した印象です。

そして今、HRで起きているのが、レイオフ(解雇)による高度人材の流動化です。アメリカの雇用市場は好調で、失業率は3%台といわれていますが(2024年2月現在)、その一方で何千もの人々がレイオフの対象となっています。つまり、テクノロジーによって人間の仕事の一部が代替された結果、レイオフが活発化したのです。管理部門もその例に漏れず、高度に訓練された人材の業務ですらAIが担うようになり、その結果、プロフェッショナル(高度人材)の他業界への転職が進みつつあります。これは金融テックなど、最新鋭のテクノロジーを活用する業界から始まった潮流です。市場全体で見れば、以前は高度人材を採用する余力がなかった業界にも、そうした高度人材が供給されるという点は朗報ともいえます。

AIによって代替される業務はありますが、最終的な決定を下すのは人間であり、テクノロジーはあくまで人の意思決定を手助けするツールにすぎないということを忘れてはいけません。HRにおいても、導入されたテクノロジーを使いこなし、正しい目的地を定めて進んでいく人材が居場所を失うことはないでしょう。ですから、新たなテクノロジーの導入を過度に恐れる必要はなく、むしろ正しく向き合い、活用を考えることが大切です。

《新たな友人》として好奇心を持って受け入れる

――HRは今後、どのように変わるべきでしょうか。

これまでのHRは、どちらかというと経営戦略の後追いで、受動的に仕事をしてきたように感じます。しかしこれからは、データやテクノロジーを駆使して市場の変化を予測し、積極的に経営に携わり、組織としての価値の創出に貢献すべきであると考えています。人事部門は単なるビジネスの付加物ではありません。人事トップは経営者やリーダーたちとともに意思決定を下す場に加わる必要があります。

アメリカでは現在、労働者たちが組織化し、組合をつくるという大きな波がきています。企業側も労働組合と提携し、従業員の雇用の形やヘルスケアについて、戦略的に再構築する必要が出てきました。人事部門が果たすべき役割は、より大きくなっています。

雇用において新たなポイントとなるのは、ジョブベースからスキルベースへの転換です。あらゆる業務を個別のスキルに分解し、そのうちどれがテクノロジーで代用できるかを色分けすれば、人がやるべき業務が明らかになります。従業員も、現在の仕事が変わると分かっていれば、より高いレベルの仕事に移行するための努力ができます。人事部門としては、従業員にどのようなスキルを学習させ、どれだけの人を新たな役割に移行させるのかを検討し、その成果や可能性を積極的に経営陣に提案していくことが必要です。

――これからHR領域で働く人材には、どのようなスキルが求められますか。

必ずしも人事担当者が直接、データ分析を行うスキルを身に付ける必要はありません。HRという業務はとても複雑で、一人で行うものではなく、チームとして仕事をするのが前提です。今後は、そのチームの中にデータ分析などを行うテクノロジーの専門家が加わることになるでしょう。

せっかくデジタルツールを導入し、データが蓄積されても、人事はその膨大なデータが何を意味するのかを理解することはできません。一方で、テクノロジーの専門家は、データを分析することはできても文脈を理解していないので、データを基に人事施策の意思決定をすることはできません。人事は専門家とチームを組み、そのデータの意味を教わり、データと自分の業務との関連性を理解する必要があるのです。そのためにもまずおさえるべきは、データの取得から意思決定までのバリューチェーン(価値の連鎖)全体についてです。それが俯瞰できて初めて、テクノロジー導入後に自らが担うべき役割が見えてきます。

また、他部門で何が起こっているのかを観察するのも、データと自分の業務との関連性の理解につながります。例えばマーケティング部門は多くの場合、人事部門よりも先にデータやテクノロジーの導入が行われています。マーケティング部門で起きたであろう、デジタル化、情報の定量化、従業員の体験を知ることが、人事部門がどう変化するかを推し量るひとつの材料となるはずです。そのようにして、テクノロジーを活用するスキルについて学んでいくことが大切です。

それに加え、テクノロジーの基礎技術に関する知識を得るためのトレーニングを行うと、より理解が深まるでしょう。私の担当する学部では、受講生にプログラミング言語を使って記述するコーディングや統計学、データから有益な結論や知見を導き出すデータサイエンスの基礎を教えています。そうした知識やデータを俯瞰する意識を備えてテクノロジーと向き合うと、それまで無機質な数字の羅列にすぎなかったデータが生き生きと《ストーリー》を語り始めるのです。

今、世界中の人々が、テクノロジーとの正しい関係性を模索しており、当然ながらHRもそれを無視することはできません。1997年にチェスの世界王者がAIに敗北しましたが、こうしたことは他の分野でも起こるでしょう。その際、負けたという現実を嘆くよりも、デジタルの力で新たなチェスの扉が開かれ、多くの人がチェスに関心を持つようになったと考えるほうが、建設的です。

繰り返しになりますが、テクノロジーは人の意思決定を手助けするツールにすぎません。脅威として遠ざけるのではなく、《新たな友人》として受け入れ、出会いを自らの可能性を広げるチャンスに変えるべきです。テクノロジーに対する好奇心を持ち、積極的に学び続けていってほしいと思います。


※文中の内容・肩書等はすべて掲載当時のものです。


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