公開日 2023/06/16
世界でも類を見ないほど少子高齢化が進行し、経済を支える労働力が不足しつつある日本。政府も危機感を持ち、高齢者や女性の社会進出のサポートや外国人の受け入れ拡大といった対策を打ち出しているが、未だ解消の道筋はついていない。そこで活用が期待されるのが、ChatGPTを始めとした最新のAI技術だ。ただ、AIによる仕事の代替は、人間が職を失うリスクと隣り合わせているといえる。AIは今後、雇用や労働市場にどのような影響を及ぼすのか、東京大学で労働経済学を専門に研究する川口大司教授に見解を伺った。
東京大学大学院経済学研究科・公共政策大学院 教授 川口 大司 氏
2002年にミシガン州立大学で経済学のPh.D.を取得したのち、大阪大学、筑波大学、一橋大学を経て2016年より現職。独立行政法人経済産業研究所のプログラムディレクターを非常勤で勤める。専門は、労働経済学・実証ミクロ経済学。
――2015年に「日本の労働人口の49%が人工知能やロボット等で代替できる」といった研究が発表されて以来、AIが人間の仕事を奪うというAI脅威論が、日本でも聞かれるようになりました。AIのさらなる進歩は労働市場にどのようなインパクトを与えるのでしょうか。
確かにAIの導入によって自動化される業務は数多くあり、現実としてすでに代替が進行していますが、日本ではまだ人の職業を奪うというレベルにはないというのが現時点での感想です。しかし2022年12月に登場したChatGPTに象徴されるように、AIが想像以上のペースで進化しています。今後も賄える業務の幅はさらに大きく広がり、例えばジョブ型の雇用契約を結んでいるような一部の労働者にとって、脅威となる可能性はあります。
ただ、世界一少子高齢化の進行が早い日本では、ますます労働量不足に陥るのが目に見えており、経済を支えるにはAIに頼らざるを得ない部分も出てくると思います。
――最近のニュースで報じられているように、著名なAI研究者やIT企業のトップたちも、生成AIが人類にもたらすリスクに対し警鐘を鳴らしています。
彼らが危惧している大きな理由は、生成AIがいったいどのように解答を導き出したのか、その思考回路をすでに人間が把握できなくなっているからです。例えばChatGPTでも、人間が入力したプロンプト(質問や指示)に対してAIがどう判断を下し、何を基準に答えを示しているかといった根拠が分かりません。この先、AIがより自律した存在となり、独自の判断が人類の生存と敵対するものであった場合、深刻なリスクとなりうる可能性は残念ながらゼロとはいえません。
――こうした脅威論がある一方で、AIを活用することで得られる社会的メリットも大きいと感じます。特に労働市場では、どういったことに期待できるでしょうか。
職業や業務内容によってAI技術との相性があるとは思いますが、一般的に生産性の向上が期待できます。例えば、私が参加した東京大学とサイモンフレーザー大学の共同研究において、タクシー乗務員の詳細な乗務データを用いて、需要予測AIがタクシー乗務員の生産性に及ぼす影響と、それが乗務員のスキルレベルにより、どのように異なるかを分析したところ、一部のタクシードライバーで生産性の向上が見られました。
本研究では、乗客がいる確率が高い地域にタクシーを誘導するというAI技術を用いました。生産性の指標としては、タクシーが客を乗せていない時間の長さに着目し、労働時間のうち空車の時間が占める割合を調べました。するとAI導入後には、全体で約5%、空車時間が削減。AIがもたらす恩恵はスキルの低い従業員ほど顕著で、7%もの削減がなされました。一方で、スキルの高い乗務員への影響は限定的なものにとどまりました。この結果には、AIが労働市場に与えるインパクトを読み解く鍵が隠されていると感じます。
AI技術の導入が、技能の低い労働者の生産性向上に寄与する一方で、高い技能の持ち主への影響が大きくないという事実は、AIによって職業内における賃金格差が縮小する可能性があることを示唆しています。タクシードライバーでいうなら、乗客がいる確率が高い地域を時間帯ごとに押さえているという知見が、空車率を下げるのに大きく貢献するのですが、その部分をAIが担ってくれれば、残されたタスクは自動車の運転のみとなり、乗務員の間でそこまで大きな開きがなくなります。研究で用いた需要予測は、幅広く活用できる汎用性の高いAI技術です。したがってタクシーにとどまらず、他の職業でも同様の結果が得られる可能性は十分あります。同じ職業の中で考えると、AIの導入は生産性格差を縮小し、賃金格差を縮小するといえるかもしれません。
ただ、注意が必要なのは、AIによって置き換わらないタスクの生産性格差が大きい職業の場合、もとよりあった生産性格差がAIの導入によってより拡大してしまう可能性もあります。また、ある職業がAIで縮小し、他の職業の需要が増えるといったことまで考えると、AIが格差に与える影響は複雑で、これまでの研究では明らかになっていない点だと思います。
――今後の日本において、AIは雇用にどのような影響を与えると考えていますか。
私はこれまで「ロボットと雇用」というテーマで、AIやロボットといった自動化技術の進歩が雇用にどのような影響を与えているか、その仕組みも含めて明らかにするプロジェクトに参加してきました。
例えばアメリカでは、産業用ロボットが増えると雇用や賃金が減っていくということが分かっています。スキルや実務経験を重視して人を採用するジョブ型雇用が中心のアメリカにおいて、ロボットと雇用は代替関係になりやすいからです。ロボットが導入されるほど、解雇される労働者が出てくるため、技術の導入に対する労働者からの反発は必至で、それが結果的にアメリカでのロボットの普及を遅らせてきました。
一方で、業務の内容や勤務地などを限定せず雇用契約を結び、人を育てていくメンバーシップ雇用が一般的である日本の大企業では、自らの業務がロボットに代替されたとしても、他の業務に配属されるだけであり、職を失うようなことはありませんでした。したがって、最新技術に対する抵抗感もほとんどなく、結果として日本は諸外国と比べて産業用ロボットの普及が約10年早く行われてきました。日本ではロボット化により生産規模が拡大し、組織が成長し、その恩恵を労働者が受けるという、ロボットと雇用が相補的な関係にあることが明らかになったのです。
より具体的にいうと、塗装や溶接の専門的な職人たちの一部は、ロボットが導入された際、ロボットの調整やメンテナンスという新たな業務に移っていきました。塗装や溶接の専門知識がロボットの効率的な運用に不可欠だからです。このスムーズな職務転換がロボット導入の生産性向上に貢献したのです。
アメリカで起こったこととの対比は、技術が労働に与える影響は、ジョブ型かメンバーシップ型かといった職務構造を含む雇用環境によって大きく変わりうることを物語っています。
――日本の雇用環境は、AIの導入と相性が良いといえるのでしょうか。
ロボットが盛んに導入された1980年代における、製造業大企業のメンバーシップ型雇用は強固なものでした。時代が変わり、ジョブ型の雇用が徐々に浸透していますし、AIが影響を与えるのは製造業だけではなく、サービス業も含めた幅広い産業になります。さらに、大企業だけではなく、中小企業にも影響が及びます。
そのため、ロボット導入の経験からAI導入で何が起こるかを予想するのは慎重にならざるを得ません。しかしながら、AIが仕事の一部を代替しても、それを担当していた人材がより高度な仕事に集中できるケースは多いでしょうし、あるいはより高度な職業に移っていくこともあり得ます。また、AIの導入においても、それまでその業務を担当していた専門家によるかじ取りが求められることもあるでしょう。
カギになるのは、そのような職務の移動がスムーズに行われるかどうかです。日本の労働者の読解力や数理的理解力で測った基礎的スキルが高いことは、OECD(経済協力開発機構)の調査などからも明らかで、他の先進国に比べれば移動に柔軟に対応できる力を持った人が多いのは事実だと思います。
AI技術の進歩は急速ですし、その影響が及ぶ産業や企業規模が広範なので、ロボットの経験から予断をすべきではないです。しかし、日本のフレキシブルな職務構造や労働者の高い基礎力を前提にすると、AIが人々の雇用を奪うような事例は欧米諸国に比べると限定的であり、相補的な関係で雇用が継続されていくケースが多くなると私は考えています。また、世界に類を見ない急スピードで労働力が減少していて労働力不足も深刻でAIによる自動化のメリットも大きいはずです。このように日本を取り巻く環境を考えると、AIが労働にもたらす影響はプラスの面が大きいと期待しています。
※文中の内容・肩書等はすべて掲載当時のものです。
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