公開日 2024/12/02
思考や認知の偏り・ゆがみを意味する「認知バイアス」。昨今、ビジネスで耳にすることも増えているが、差別や偏見のように誤って捉えられることも少なくない。「認知バイアスは善でも悪でもない。認知バイアスを理解することでさまざまなリスクを回避できる」という藤田政博氏に、認知の偏りはなぜ生まれるのか、認知バイアスはビジネスにどのような影響を与えるのかを伺った。
関西大学 社会学部 心理学専攻 教授 藤田 政博 氏
東京大学法学部卒業、同大学院修士課程修了後、心理学の道へ進み、北海道大学大学院文学研究科修士課程修了。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。政策研究大学院大学准教授などを経て、現職。専門は社会心理学、法と心理学、社会学。著書に『バイアスとは何か』(ちくま書房)ほか多数。
――藤田先生は法学を学びながら、なぜ心理学の研究をしようと思われたのですか。
高校生の頃から「社会のルール」について興味があり、ルールについて学ぶなら法律だろうと考えて、大学は法学部に進学しました。法学の中でも特に強い関心を持っていたのが、人間性や社会において何が大事かといったことがダイレクトに表れる「刑法」です。
刑法では、犯人が法を犯したときに、その認識があったかどうかによって責任の重さが変わります。子どものけんかでも「わざとぶったな!」「わざとじゃないもん!」という言い争いがよくあるように、人間は早い時期から、悪いことを認識しながらやったかどうかで、非難の程度を直感的に区別しています。それと同様に、悪いことだと知りながら犯した罪は罰が重くなるのですが、刑法の領域の中では、犯人の「認識」自体を科学的・客観的に捉える方法はありません。刑法を深く学んでいくほど、人間について科学的に扱わないまま議論するプロセスに疑問を抱くようになりました。
また、責任の所在をどう決めるかにおいても、刑法では刑事裁判を念頭に置いているので、責任を問うべき人は裁判に出てきた被告人であるという前提の下で、被告人の行為と事件の結果に因果関係があるのか、被告人は責任を負う能力があるのか、起こったことの責任をどのくらい負わせていいのか、議論を通して見つけていきます。一方、心理学では、まず「問題が起きた」という結果を起点に原因を探求し、原因がどのような現象にあるのかを考える、「帰属」という人間の思考過程を扱います。原因が人の行動にあればその人が非難されることになりますが、自然現象やものの動作に原因が帰属されれば、誰も非難されません。こちらの手法のほうが自分の考え方に合っているように感じたため、法律だけでなく、規範や責任について学べる心理学を研究したいと考えました。
しかし、心理学の分野は広いです。はじめは臨床心理学が気になったので、それから数年間、臨床心理学に関する本を読みつくすほど懸命に勉強しましたが、自分が求めるような研究内容が見つからず、焦りを感じ始めたときに出会ったのが、社会のルールと人の心理を扱う社会心理学です。個人の問題と社会の問題を結び付ける考え方に共感し、社会心理学の分野で集団や規範に関する実験的な研究を始めました。
――「認知バイアス」に関する研究を深めることになったきっかけはありますか。
認知バイアスは心理学の分野で長年研究されてきたもので、私が大学で教える授業でも扱ってきましたが、自分自身の研究では直接的に取り入れていませんでした。「認知バイアス」について深く考えるようになったのは、社会心理学の道に進んで15年ほど経った頃です。共に研究してきた先生に勧められて、一般向けの認知バイアスに関する書籍『バイアスとは何か』(ちくま新書)を書くことになったことがきっかけです。
執筆に当たり、「認知バイアスの正体」を解明しようと改めて追求する中で、「認知バイアスの研究=認識の研究」であるということが見えてきました。「認知バイアス」とは、人間がものごとを認識するときに、現実と異なるゆがんだ形で認識してしまう現象です。認知バイアスを追求していくと、どのような場合に認知がゆがむかが分かることで、いわば裏側から、私たちがものごとをどのように認識しているのかという、認識のメカニズムに迫ることになります。
そのメカニズムをひも解いていくと、人間関係や意思決定の基準など抽象的な概念も含めて、私たちが周りのものごとをどう捉えているのかが分かってきます。人間は、確率の計算などの数字の判断が苦手ですが、それでも決めるべきことを決めるべきときにさっと決めて今日まで生き延びてきました。このように考えると、私たちの祖先が20万年近く、どういう課題に直面してどう決めてきたのかの想像がつくようになります。つまり、認知バイアスを理解することは、私たちがどう生きているのか、なぜ生きているのかを考える手掛かりを増やすことなのだと思い至りました。
――近年、「認知バイアス」は広く注目されるようになりました。
拙著『バイアスとは何か』が出版された2021年は、ちょうど社会的に認知バイアスへの関心が高まり始めた時期でした。その背景には、2002年のダニエル・カーネマンのノーベル経済学賞の受賞があります。認知心理学者である彼は、1970年代以降、認知のゆがみについて研究しました。そして、「人間の判断は常に合理的だ」と考えてきた経済学に挑戦したのです。従来の伝統的な経済学では、「人間は常に最適な情報処理を行い、合理的な意思決定をして行動する」ことを仮定して成立していました。しかし、心理学者であるカーネマンは、認知バイアスの研究を経済学に応用しました。人の意思決定には合理的でない部分があることを、さまざまな場面で明らかにし続けたのです。その最も有名な成果が「プロスペクト理論」です。
この理論の効用についての結論は、「同じ金額のものを、もらったときのうれしさと、失ったときの悲しさを比較すると、失った悲しさのほうが大きい」というものです。つまり、私たちは今持っているものを失うことを恐れるようにできているのです。これは、「お金を得たり失ったりするときのうれしさや悲しさの感情の強さは、金額に比例する」という経済学の考え方を覆しました。
そのため、私たちは数学的には不合理な判断であっても、損失を避ける判断をしがちです。例えば、100%の確率で20万円をもらえる「Aくじ」と、50%の確率で40万円をもらえる「Bくじ」があった場合、ほとんどの人がAくじを選ぶ傾向にあります。期待値(報酬×確率)は同じであるのにAくじを選んでしまうのは、私たちの意思決定が認知バイアスによる影響を受け、合理的な判断ができないためです。
こうして、経済学と心理学を融合させてカーネマンと共同研究者が生み出した、「行動経済学」という新しい学問は高く評価され、その後、カーネマンが一般向けに執筆した行動経済学の本は世界的なベストセラーになりました。これによって、人間の判断や意思決定には、系統的に不合理なところがあることが広く知られるようになりました。それが企業の人事や経営の判断にも影響することが知られるようになった影響で、アメリカ西海岸の企業が2010年代に認知バイアスに関する研修を開催するようになり、経営上の意思決定だけでなく、組織運営においても重要な問題として注目されるようになってきたと私は考えています。
――ビジネスにおいて、認知バイアスを知っておく必要性やメリットとは何でしょうか。
認知バイアスについて学び、理解する大きなメリットは、まず意思決定の質が向上することです。例えば、改善する見込みのない事業でも、それまでに投じた労力や資金といったコストを無駄にしたくないという心理から、合理的な判断ができなくなってしまい、結果的に無駄にコストをかけてしまう「サンクコスト効果」と呼ばれる認知バイアスがあります。
特に会社や組織のリーダーが下す判断の影響は大きいですから、認知バイアスに捉われて誤った判断をすると、大きな損失を招きかねません。しかし、サンクコスト効果を知っていれば、例えば事業継続の判断をした際に、判断に偏りが生じているかもしれないと疑うことができ、より合理的な意思決定につなげることが可能です。ちなみに、このサンクコスト効果に対しては、「もし、すでに投じたコストがゼロだとして、今からその事業に投資するかどうか」を考えた上で判断すべきだという対応策が分かっています。
また、業績が悪化したとき、企業はその原因を社員の仕事に対する姿勢や能力だとして、風土改革に走りがちです。しかし、原因は組織の仕組みや労働環境にある場合も多く、間違った施策によって事態が改善しないケースは少なくありません。このように、問題に対して、性格や能力といった内的要因が原因であると考え、他の原因を考慮しない傾向を「基本的帰属の誤り」と呼びます。
なお、このようなケースに陥るのは企業に限ったことではありません。人間はいつでも誰でもこの誤りに陥っています。ですから、このバイアスの命名者であるロスは「基本的」と読んだのです。社会全体が基本的帰属の誤りに惑わされ、原因の所在を間違えたまま改革に突き進む場面はよく見られます。こうした状況を鑑みても、皆が認知バイアスの存在を認識し、正しく理解する必要性を感じています。
――人事領域ではどのようなことに役立ちますか。
認知バイアスの存在を知っておくことで、採用や人事評価における判断をより良いものにできるでしょう。例えば、難関大学出身の人が面接を受けに来た場合、「仕事の理解が早そう」「どんな仕事もうまくこなせるだろう」と、思い込んでしまうことがあります。このように、何かひとつ優れた点があると、すべてにおいて優れているという印象を持つ心理を「ハロー効果」といい、これも認知バイアスのひとつです。逆に、何か悪い点をひとつ見つけると、すべてにおいてネガティブな印象を抱く場合もあります。その人の特徴や印象の一部分に引きずられ、正しい評価ができなくなるのです。
認知バイアスは無意識に生じるもので、個人の意思で防げるものではありません。しかし、組織で認知バイアスに気付く仕組みをつくることで、その影響を軽減することは可能です。例えば、面接の評価表に、「性別が気になったか」「出身大学が気になったか」など、認知バイアスをチェックできる項目を入れておき、面接の途中や面接後に確認する方法が考えられます。さらに、面接に参加していない人を含め、複数人で評価について話し合い、客観的な意見を聞く場を設けることも有効です。実際に、自分の判断を言語化したり、判断の理由を説明したりすることで、認知バイアスの影響が軽減されるという研究結果もあります。
――認知バイアスが社会的に注目されている状況について、どのように感じていますか。
認知バイアスに関する研修が開催されたりして、学ぶ機会が増えていることは良い傾向といえるでしょう。しかし現状では、認知バイアスは差別や偏見と同義に捉えられ、「認知バイアスは悪いもの」という誤った受け取られ方をされているようにも感じます。
認知バイアスとは、単なる認識の傾向です。人間がものごとを認識して理解する際に必然的に生じるもので、善や悪ではかれるものではありません。人間にとって他者を1人ひとり個別化して認識することは、情報処理能力を多く使う大変な仕事なので、相手が少し距離のある人であれば、その人の属する集団で認識します。認識能力を節約するためなのですが、それによって個々人の違いが分からなくなり、集団に対するイメージが悪いとその人のイメージも知らないうちに悪くなります。これは、人間の脳の処理能力の限界からきているのですが、これを悪と決めつけると苦しくなります。人間が持っている脳の大きさは有限であり、その能力も有限です。それを前提に、現実と折り合いをつけて生きているのです。そして、認知バイアスは人間の認知の仕組み上、無意識のうちに生まれるものなので、意志や努力によってなくしたり、変えたりできるものではないのです。まず、誰もが認知バイアスに影響されているのだと受け入れることが必要ですが、その上で大切なのは、認知バイアス=悪いものではないと理解することです。
偏見や差別が生じるとき、認知バイアス以外にも集団所属性やアイデンティティなどのさまざまな要因が影響しています。偏見や差別をなくすには、認知バイアスだけでなく、偏見や差別についての研究成果そのものを知る必要があります。
――認知バイアスを学ぶ上で、どんなことに注意するべきでしょうか。
せっかく研修を実施しても、単に認知バイアスの事例を列挙するだけでは、そのとき限りの理解で終わってしまいます。また、認知バイアスとはどのようなものか、なぜそういった偏りが生じるのかという理論や背景まで伝えるものでなければ、浅い理解で終わってしまいます。だからこそ、研修の主催者となる人事担当者には、認知バイアスに対する理解を深めてほしいと思います。
一方で、認知バイアスとは関係のない現象についても、認知バイアスの文脈で語られているものが少なくありません。例えば、男性より女性の管理職登用数が少ないことは、「女性は管理職に向かない」と判断する認知バイアスの影響が考えられるといわれます。しかし、女性の管理職候補者の数が男性よりも少ないために、同じ確率で選ばれると女性の数が少なくなるという、単純に母数の問題かもしれません。その場合、数の単純比較や、管理職の全体のうち何%が女性かというシェアで考えるよりは、各性別の管理職候補者・希望者の中から何%の人が実際に管理職に就任できたかという、昇任の率で比較したほうがよいでしょう。
――何でもかんでも認知バイアスに結び付けてしまってはいけませんね。
母数の問題をクリアしたとしても、女性管理職の数が少ないのは、「統計的差別」である場合もあります。単に性別とパフォーマンスの関係を示したデータに基づいて、管理職への登用の可否を判断した結果、女性よりも男性のほうが登用されることが多く、それを見ていた他の女性社員が「努力しても『ガラスの天井』があるから昇進は無理だ」と考えて努力を控え、その結果、パフォーマンスだけ見ても女性の登用が難しくなるということもあるからです。
最初の時点で女性がパフォーマンスを発揮できなかったのは、家事育児の負担が女性に集中するという、社会的な性別役割に基づく行動期待が強固だったからかもしれません。それが最初に考慮されずに、単に性別とパフォーマンスの関係だけ見ていたためにこのような状況になったと考えられます。
この状況では、最初は統計的データに基づいてパフォーマンスの優れた人を管理職に登用するという判断が行われたものですが、その結果が将来の女性管理職候補者に対して「頑張っても無駄だ」という予期を植え付けることになり、その結果ますます採用されることが難しくなるフィードバックループができるという、構造的な問題です。これを「統計的差別」と呼び、社会学では古典的な概念です。これ以外にもさまざまな組織の構造要因があります。こういった要因を無視して、すべてを認知バイアスで説明することは難しいと思います。
とはいうものの、認知バイアスがかかっていないかを考慮した上で意思決定や評価ができれば、他者に対する無用なネガティブ感情も減るでしょう。認知バイアスに対し、皆が理解を深めることで、人をむやみに非難することも減り、より良い職場環境、住みやすい世の中につながると信じています。
――今後、深めていきたい研究テーマがあれば教えてください。
現在、興味を持って取り組んでいるテーマが2つあります。まず1つは、裁判官の判断における認知バイアスの研究です。裁判官は、常に公平公正な判断を求められる存在です。そのための訓練も受けていますし、裁判制度には認知バイアスを軽減させるルールも存在します。しかし、人間である以上、認知バイアスの影響から完全に逃れることは難しいと考えます。今後、科学的研究によって裁判官の認知バイアスを明らかにしていき、近々、本にまとめたいと考えています。
2つ目は、デジタル時代における認知バイアス、つまりAIと認知バイアスの関係についてです。ChatGPTなどの大規模言語モデルは、世の中に存在する大量のデータを基に学習し、私たちの質問に答えたり、作業をしたりする仕組みになっています。しかし、人間のインプットが必要であるAIには、最初の学習データに認知バイアスが混入しているという問題も潜んでいます。
例えば、企業の採用においてAIを活用することが増えてきていますが、単純な情報を組み合わせてAIが導き出した「女性は男性より離職率が高い」といった結果を基に採用を判断すれば、男性のほうに有利に働きます。このようなAIの判断の原因は、「統計的差別」の結果生じた人事判断だったのかもしれません。AIの認知バイアスには、こうした差別的なもの以外にも多くの問題が存在すると思うので、総合的に探究し、その結果を広く普及させていきたいと考えています。
※文中の内容・肩書等はすべて掲載当時のものです。
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