公開日 2018/12/03
最近「リカレント教育」という言葉を耳にすることが増えてきたと実感することはないでしょうか。リカレント教育とは「働くこと」と「学ぶこと」を循環させること、つまり、一度労働市場に出た後も、再び学ぶ機会を得、その学びを活かしてまた労働市場に戻っていくことを意味し、1970年代にスウェーデンの経済学者であるレーンによって提唱された生涯教育思想です。
「リカレント教育」は、人生100年時代へのシフトと同時に人が労働市場に滞在する年数が伸長する中で、注目度を増してきています。それは「リカレント教育」が様々な効果をもたらすと考えられているからですが、本コラムではその効果として特に「イノベーションの創出」に注目し、それがもたらされる構造を個人の中の多様性と組織の多様性という2つの多様性の観点から見ていきます。
多様性の論点に移る前に、なぜ「イノベーション欠乏症」が起こっているのかを、1.日本の雇用環境、2.個人の学びの現状、3.企業における学びの現状という観点から整理していきます。
これまでの日本は雇用の流動性が低く、多くの人が限られた企業や組織での経験をもとに仕事をする状態が続いてきました。安定成長の市場環境であれば、このような経験をベースにした個人や企業の成長と、市場の成長や変化速度、変化の方向性との乖離はそれほど大きくはありません。しかし、現在そして今後も続く不確実で非連続な変化を辿る市場環境には、それでは対応が難しくなってきています。このような市場環境下で個人が労働市場に長く滞在すれば、必然と大きな変化に晒される機会は増え、過去の経験や学びの賞味期限は短くなっていきます。日本企業が今、国際競争力が低下し、イノベーションが生まれないとされている要因の1つは、このような限定的な経験や知識にあると考えられます。つまり、継続的、定期的な学びを得て、知識・情報・技術をアップデートしなければ、個人も組織も成長を遂げることが困難になってきているのです。このような「イノベーション欠乏症」とも言える背景から、労働市場に出た後も繰り返し学びの機会を得、それを生かすというリカレント教育の重要性が認識され始めているということでしょう。
リカレント教育は、日本はまだ意識的にも制度的にも整備がされていませんが、その原点とも言える「社会人の学び」について、パーソル総合研究所が2月に実施した「働く1万人の就業・成長定点調査2018」から、その傾向を読み解いていきます。
まず、日本の労働者は、「学び」に対してどのような態度を取っているのでしょうか。「自分の成長を目的として行っている勤務先以外での学習や自己啓発活動」について尋ねた結果の中から、正社員として働く20代から50代までの人々を抽出した結果が下の図1です。
図1 自主的な学びを行っている人の割合
様々な学びに挑戦してる人がいる一方で、注目すべき点は、約半数にのぼる47.5%の人が成長を目的とした自己啓発的な学びを行っていないことです。これをさらに年代別に表したものが図2です。
図2 自主的な学びを行っている人の割合<年代別> (n = 4,503)
年代が上がるごとに、「とくに何も行っていない」と回答した人の割合が増えていくことがわかります。前段で述べたように、継続的に新たに何かを学ぶよりも、経験を重視してきた日本の労働者や労働市場の傾向がここに見て取れます。
では、学びに取り組んでいる人とそうではない人には、具体的にはどのような差があるのでしょうか。その特徴を、「成長の重要性に対する意識」と「仕事を通じた成長の実感」の2つの観点で年代ごとに割合を比較したものが、下記の図3および4のグラフです。どの年代においても、学びに取り組む人々はそうではない人々と比較して、成長の重要度をより認識しており、また、成長の実感を得ている人の割合も高くなることがわかります。
図3 成長の重要性に対する意識
図4 過去1年を通じて成長を実感したか
この調査では、個人の思考の特性、学びの前後での態度の変化までは見ていないため、成長を重要と捉えるから学びを行うのか、学びの結果として成長の重要性の認識が高くなるのかなど、それぞれの因果関係の方向性まで読み解くことはできませんが、学びを実践している人は成長に前向きで意欲的であるという、企業の人事が欲しがる人物像が見えてきます。
ここまで、社会人の学びの現状を調査データから紐解いてきましたが、そのような社会人を取り巻く「学びの環境」はどのようになっているのでしょうか。
現在「人生100年時代構想」が推進され教育や雇用の課題が議論される中で、リカレント教育も検討項目に上がり、その実現のために「教育訓練給付の拡充」、「産学連携」、「企業における中途採用の拡充」の3つの指針が掲げられています。
リカレント教育の推進により社会人の学びが促進されることは、冒頭に述べたような経験のみを重視するのではなく、学びの効果への理解が深まり、組織内の知識の新陳代謝が起こることや、ひいては労働市場における雇用の流動性が高まるという日本が長らく抱えてきた雇用の課題解決にも繋がることが期待されます。
国の動きとしてはこのような変化を見せ始めていますが、一方で企業の中は従業員の学びに対してどのような対応をしているでしょうか。まずは企業がどのくらい従業員の教育に投資をしているのか、その推移を見てみます。下記図5は、民間企業における教育訓練費の推移を表したものです。
(出典)平成29年11月 内閣官房人生100年時代構想推進室作成資料
(注)労働者の教育訓練施設に関する費用、訓練指導員に対する手当や謝金、委託訓練に要する費用等の合計額
図5 民間企業における教育訓練訓練費の推移
1990年代に入るまでは、右肩上がりであった教育訓練費は、90年代以降増減はありながらも減少傾向にあることがわかります。また、1991年のバブル崩壊、2008年のリーマンショックなど、大規模な景気後退期の後には大幅な減少傾向にあり、企業の教育訓練費は緊急時には減額の対象となりやすいことがわかります。従業員に対する教育訓練費は「経費」と捉えられ、「投資」という位置づけになりきれていない姿が浮かび上がります。
では従業員が自主的に学ぶことに対して、企業はどのような考えを持っているのでしょうか。自主的に学ぶ一つの方法として、大学等での学び直しについて行われた調査の結果を見てみましょう。従業員が大学等で学ぶことを許可しているかどうかについて企業に尋ねた結果が図6です。
条件付きでも明確に認めている企業は2割を割り込み、特に定めていない企業が圧倒的多数となっています。自主的に学ぶことに対しても、積極的に促進していくという姿勢はまだ見受けられないと言えそうです。
(出典)社会人の大学等における学び直しの実態把握に関する調査研究(平成27年度イノベーション・デザイン&テクノロジーズ株式会社)
<文部科学省:先導的大学改革推進委託事業>より作成
この中で、「原則認めていない」と回答した企業に、その理由を尋ねた結果が上記図7のグラフです。ここで注目すべきは、「現在の業務に生かせないため」という回答です。それは、この認識が社会人の学びの促進を阻む重大な要因であると考えられるためです。冒頭にも述べたように、これからの不確実性の高い時代には、今すぐに業務に生かせることの学びの賞味期限は長くありません。むしろ、多様なことや一見今の業務には直接生きないようなことが、個人や組織の過去の経験や知識と結びついたときに従来にはないアイデアが生まれる可能性があり、そのような学びを促進することこそが、今後企業を支える力になるはずなのです。「弊社ではイノベーションがなかなか起きなくて・・・」経営者や人事担当者の口から日々聞こえてくるこの言葉は、出るべくして出ている、そのような結果であると思われるのです。
本コラムでは、リカレント教育が日本でもこれから広がっていくであろうという点から出発し、そもそもの社会人の学びが今どういう状況にあるのかを整理してきました。
自ら学びを実践する社会人の意欲的な人物像が当社の調査によって明らかになったように、学びと成長意欲の間には良好な関係が存在します。そうであるならば、そのような学びを促進することは組織や企業の成長に有益なはずです。しかし一方で、学びを促進する環境は未だ十分とは言えません。教育訓練の拡充は行われたものの、その情報は自ら情報を取りに行く積極的な人でなければ自然と入手できる状態ではなく、また、企業が自ら学びを促進する姿勢もそれほど積極的ではないことがわかります。
ここで今一度考える必要があるのは、社会人が学びを繰返すことによってもたらされるものが何であるのかということです。その1つは個人内多様性、もう1つは組織の多様性です。
個人内多様性は、「イントラパーソナルダイバーシティ(Intrapersonal Diversity)」と言われ、個人が多様な経験や知識を持つことを指します。これは近年の経営学の中でも注目度の高い研究領域であり、多様な経験や知識を持つ人が多い組織は、物事の解釈のパターンが増えることなどが影響し、組織のパフォーマンスが高いことが様々な研究から明らかになってきています。例えば、2002年に米国の経営学者であるバンダーソンらは、個人内多様性が高い人で構成されたチームは、情報共有がスムーズに進行し、パフォーマンスの向上に貢献していることを解明し※1、2008年にアルバート・カネラらは、多様な経験を持つ人で構成された取締役会を持つ企業の業績が高くなることを解明※2しているのです。
学びが評価され、労働市場の流動性が高まれば、組織には多様な知や経験を持つ人が集まります。多様性が掛け合されもたらされるもの、それは、イノベーションの創出です。日本企業も様々な経験をすることの重要性が意識され、ローテーション人事が行われているところは少なくありません。一見多様性をもたらすと考えられるこのローテーション人事も、属性や経験の同質性が高い日本企業内で行うことで、結果的には同質性の強化が行われていると考えられます。多様性の対極にあるこの同質性は、高い壁となり、異質なものを阻むことでイノベーション創出の機会を遠ざけてきたと言えます。
イノベーション研究で最も重視されている理論の1つに、「知の探索(Exploration)と知の深化(Exploitation)」※3というものがあります。これは1991年に経営学者であるジェームズ・マーチがOrganization Scienceで発表した理論で※4、幅広く多様な知を探して組み合わせることで(知の探索)イノベーションが生まれ、それを深堀りする(知の深化)ことで、形になっていくというものです。多様な知や経験を持つ人材が集まれば、知の組み合わせのパターンは増え、それはイノベーションの創出の機会となります。つまり、同質化し、同じような知や経験を持つ人々で構成された組織ではこのような現象が起こることは困難であることがわかります。社会人が学びを何度もアップデートすることは、同質化を回避し、イントラパーソナルダイバーシティの高い人材となることを促進します。そして、企業がそのような人材を育て、または採用することで、結果としてイノベーション創出に繋がることが期待できるのです。「イノベーションを起こすためにもダイバーシティが大切だ」、こういう主張自体は、よく言われることです。しかし、このようなダイバーシティの議論は「属性」レベルの多様性に偏ってしまっており、「従業員個人の多様性」を育て、尊重する、という発想が芽吹いていないことが、これからの日本企業が乗り越えていくべき課題の1つと言えるでしょう。
学ぶ人を増やし、学びが生きるようにするには、まずは誰でもどのような立場の人でも、学びにアクセスできる環境を整えることが求められます。そして、経験だけではなく、学ぶことそのものが企業や労働市場で評価され、その知を活用するような仕組みづくり、意識改革が必要です。例えば、勤務先には伝えずに夜間に大学院に通っているという人の声を聞くことがありますが、その理由は「学びが評価されないから」ということは珍しくありません。しかし本コラムで触れた調査結果や経営学の知見に基づけば、それがイノベーション創出の機会損失に繋がっている可能性があることがわかります。 何度も学びをアップデートし、一人一人が長く、そして意欲的に働ける仕組みを構築し、学びを重視する風土を醸成していくことができれば、今不安視される日本企業の「イノベーション欠乏症」を治療し、日本が再び国際競争力を取り戻す処方箋となりうるのではないでしょうか。
※1 Bunderson, J. S., & Sutcliffe, K. M. (2002). Comparing alternative conceptualizations of functional diversity in management teams: Process and performance effects. Academy of Management Journal, 45(5), 875-893.
※2 Cannella, A. A., Park, J., & Lee, H. (2008). Top management team functional background diversity and firm performance: Examining the roles of team member colocation and environmental uncertainty. Academy of Management Journal, 51(4), 768-784.
※3 入山章栄. (2012). 世界の経営学者はいま何を考えているのか―知られざるビジネスの知のフロンティア 英治出版
※4 March, J. G. (1991). Exploration and exploitation in organizational learning. Organization Science, 2(1), 71-87.
パーソル総合研究所 働く1万人の就業・成長定点調査2018 調査概要 | |
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調査方法 | 個人に対するインターネット調査 |
調査協力者 | 全国男女 15歳~69歳 有職者(派遣・契約社員・自営業含む) |
調査対象人数 | 回収数10,000s 性別及び年代は国勢調査(就業人口構成比)に従う |
調査時期 | 2018年2月 |
調査実施主体 | 株式会社 パーソル総合研究所 |
※引用いただく際は出所を明示してください。
出所の記載例:パーソル総合研究所「働く1万人の就業・成長定点調査2018」
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