公開日 2024/03/25
従業員に仕事にやりがいを感じてモチベーション高く働き、パフォーマンスを上げてもらうことは、どの企業にとっても重要な課題である。そのための施策のひとつとして、最近注目されているのが、「ジョブ・クラフティング」だ。多くの企業では、企業主導型で従業員の仕事をデザインする方法が主立ってきたが、ジョブ・クラフティングは従業員個人が自らの手で《job(仕事)をcraft(作る)していく》ことでやりがいを見いだす手法だ。今後、さらなる広がりが予想されるジョブ・クラフティングについて、2014年から研究し続けてきた櫻谷あすか氏にお話を伺った。
東京大学大学院 医学系研究科 特任講師 櫻谷 あすか 氏
東京大学大学院医学系研究科公共健康医学専攻修了、および同研究科健康科学・看護学専攻博士課程修了。公衆衛生学修士、博士号(保健学)取得。2014年から職場のメンタルヘルスをテーマにジョブ・クラフティングの研究を続ける。2022年7月より現職。2022年第30回日本産業ストレス学会優秀演題賞(メタバース勤務と心の健康および仕事のパフォーマンスとの関連の検討:横断研究)。
――ジョブ・クラフティングについて研究を始めたきっかけは何ですか。
「働くとは何か」といったことに関心を持ち始めたのは大学生のときです。学生生活を楽しく過ごしていた周りの学友たちが、就活の時期に入ると急に、働くことは苦しいことかのように表情が暗くなっていく様子に違和感を抱いたのです。さらに当時、周囲の大人を見渡しても楽しそうに生き生きと働いている人があまりおらず、「何のために働くのだろう。働くことは自己成長につながることであり、もっと楽しいものであるはずでは?」という疑問を抱き、働く人の心やイキイキ働くといったことに関心が芽生えていきました。
その後、進学先の大学院研究室を探す中で、働く人について幅広く研究されていて現在の上司でもある川上憲人先生や、ワーク・エンゲイジメントを専門に研究されている島津明人先生と出会い、働く人の活力やイキイキ感をテーマとした研究を志すようになりました。島津先生にジョブ・クラフティングの話を聞いたときには、これこそ自分が探求したいテーマだと直感的に思い、以来ずっと研究を続けています。
――ジョブ・クラフティングの研究は、これまでどのようなことを進められてきたのですか。
私が研究を始めた2014年当時は、海外ではジョブ・クラフティングのための研修プログラムが多少あったものの、日本では概念自体もまだ広まっておらず、効果的な研修プログラムがありませんでした。そもそも日本で働いている人がジョブ・クラフティングをしているのか、それ以前に必要なのかどうかも分からない状態でした。そのため、まずは数社の企業の従業員の方に仕事上の自分なりの工夫をヒアリングし、そこで得た事例を基にしながら研修プログラムを開発していきました。
――そもそも、ジョブ・クラフティングとはどのようなものなのでしょう。
ジョブ・クラフティングは、米国の経営学の中で提唱された理論であり※1、「個人が自らの仕事のタスク境界もしくは関係的境界においてなす物理的・認知的変化」※2と定義されています。私が研修などで説明するときには、より理解していただきやすいように「従業員一人ひとりがやりがいを持って働けるように、自分の働き方を工夫する手法」とお伝えしています。
※1 イェール大学経営大学院のエイミー・レズネスキー准教授とミシガン大学のジェーン・E・ダットン名誉教授が、2001年の論文で提唱。
※2 引用:高尾義明・森永雄太 編著(2023)『ジョブ・クラフティング―仕事の自律的再創造に向けた理論的・実践的アプローチ』白桃書房
ジョブ・クラフティングには次の3種類があり、それぞれの視点で自分の働き方を見直し、工夫を加えていきます。
――個人がジョブ・クラフティングを行う上で、押さえておくとよいポイントを教えてください。
私は、ジョブ・クラフティングは「仕事そのもの」を変えるものではなく、「働き方に小さな工夫を加え、自分の働きやすさを高めること」も含まれる、と考えています。例えば、研修の参加者の中に、「タスクは勝手に変えられないため、自分にはジョブ・クラフティングが当てはまりません」と言われる方もいます。特に指示やマニュアルに沿って業務を行うべき職務の方などは、そう思われるかもしれません。しかし、仕事そのものの内容を変えずとも、仕事のやり方の中で自分の裁量で少しでも工夫できるところがあるならば、ジョブ・クラフティングは可能です。
また、「業務」「関係性」「認知的」のすべてに必ず工夫を加えなければならないというわけでもありません。「業務のタスクを工夫するのは難しくてできていないけれど、人との関係性ならば自分なりに工夫している。もう少し工夫の余地もある」というように、普段、自分が行えている工夫は何か、新たに工夫できそうなことはないかを改めて考え、できていることに気付くこと、そして新たにできそうなところから始めていくのがポイントです。
――例えばどのような工夫があるのでしょうか。具体的に教えていただけますか。
企業で働く人に「ジョブ・クラフティングをしていますか?」と尋ねると、「特にしていません」と答える方が多い印象があります。しかし、詳しくお話を伺っていくと、「仕事が立て込んできたときは、絶対にやらなくてはいけない仕事とそうでない仕事を仕分けて、To doリストで管理している」「時間の使い方やスケジュール調整を工夫している」など、仕事のやり方を工夫していたり、「日頃から積極的に挨拶を交わすようにしている」「意識的に雑談をしてコミュニケーションをとっている」など、いざというときに相談がしやすい関係性を日頃から作っていたりと、皆さん、実はさまざまな工夫をされています。
自分の仕事を振り返り、無意識に行っていたそうした工夫に気付くだけでも、「自分は結構頑張っていたのだな」「これくらいなら他にも工夫できそう」などと前向きに捉えることができ、働く活力につながります。実際、研修プログラムを開発した際のヒアリングでは、何かしら工夫をしていた人のほうが、仕事に楽しく向き合っている傾向がありました。「ジョブ・クラフティング」というと難しく捉えられがちですが、自分ができる範囲の小さな工夫でよいのです。
出所:櫻谷あすか「ジョブ・クラフティング集」より抜粋
――日々の業務をこなすのに精いっぱいで、工夫を考える余裕すらないという人もいるのではないでしょうか。
確かに、ジョブ・クラフティングを自分ひとりだけでやるのは難しい面もあり、限界もあると思います。「忙し過ぎてできない」「ジョブ・クラフティングを学び、職場で試みたが、上司や周囲の人の協力が得られずうまくいかない」というような感想を、私が行ってきた研修でも参加者からいただいたことがあります。誰しもがいつでも自分の強みを生かせる職場や状況にあるわけではないでしょう。このように、どうしても難しい状況の場合は、無理に今すぐジョブ・クラフティングをする必要はありません。ジョブ・クラフティングをしづらいときは、いったん時間をおいてみるのも良い方法だと考えられます。取り組めるタイミングを図ることも大切です。また、職場における協力態勢を良好にするために、ジョブ・クラフティングの研修に職場のチームで参加してみることもお勧めです。
なお、3つのジョブ・クラフティングの中でも、仕事の捉え方を見直す「認知的クラフティング」は、難しいと言われることが多い印象があります。そのため、例えば研修で実践する場合は、グループ形式で行い、互いに工夫や考えを聞き合って、良いものを取り入れ合えるようにすることが有効です。特に仕事経験が少ない若手の人は、自分の仕事の全体像や意義をまだ把握しきれていないこともあるため、認知的クラフティングが難しいケースがあります。上司や先輩社員など、同じ職場の経験者からいろいろな話を聞き、そこからヒントを見つけ、良いと思える考え方を活用してみていただきたいと思います。
――ジョブ・クラフティングの施策を組織主導で導入する際に、気を付けたほうがよいことはありますか。
企業から従業員に向けて、「従業員のジョブ・クラフティングを支援する」というメッセージを発することがとても重要です。実際に研修を行っていても、「従業員の皆さんに、より働きやすく、やりがいを感じてほしい。会社としても応援するのでジョブ・クラフティングをやってみてほしい」などと伝えているような企業では、従業員のジョブ・クラフティングに対する取り組みの姿勢が前向きです。このように企業からのメッセージがある場合と、そうでない場合とでは、従業員のジョブ・クラフティングへのモチベーションも異なる印象を受けます。
一方で、企業が従業員にやってほしいジョブ・クラフティングと、従業員が工夫しようとしていることに、齟齬が生じる場合もあります。極端な例を挙げるならば、部下がジョブ・クラフティングをした結果、上司が部下の成長を考えてアサインした仕事に対し、「自分の価値向上につながらないので、この仕事はしたくない」と部下が言い出すようなケースです。こうした場合、対話によって双方の方向性を合わせていく、歩み寄るプロセスが欠かせません。
基本的には、ジョブ・クラフティングは個人が主体となって取り組むことですが、その内容を企業の視点からも前向きな取り組みとしてもらうためには、ジョブ・クラフティングの方向性を企業と従業員が一緒に模索し、その工夫や変化に対し、必要あれば企業側としても支援する姿勢が欠かせないと思います。
――企業がジョブ・クラフティングを支援するメリットは何でしょうか。
昨今は企業を取り巻く環境が激しく変化しており、企業も絶えず変わっていかなければなりません。このような状況で、従業員のニーズやモチベーションなどを企業がすべて把握し、デザインしながらビジネスを成長させていくことは難しく、従業員に自ら能動的に考え、働いてもらうことが企業にとっても重要になっています。
ジョブ・クラフティングをすることで、従業員は自ら自分の働き方を改善し、仕事の価値や意義を見いだすことができます。図らずも望まない仕事の担当になった場合でも、自分の望むような捉え方にクラフティングできれば、仕事により前向きになれるでしょう。こうしたジョブ・クラフティングによって、ワーク・エンゲイジメントやパフォーマンスが向上するという傾向は、私の研究でも見られたほか、さまざまな研究で実証されています。
また、組織風土の面で、上司や同僚からサポートを受けやすかったり、上司との関係が良好だったりする環境では、従業員個人がジョブ・クラフティングをしやすいことも分かっています。こうしたことを踏まえると、企業においては、従業員自らが「ジョブ・クラフティングをやってみたい、やってもよいのだ」と思える風土作りが必要といえます。まずは従業員が自分の考えや働き方について、気軽に周囲に話せるような環境にすることが第一歩だと考えています。
――研究を始められて10年が経ちますが、ジョブ・クラフティングの広がりに変化は感じますか。
研究を始めた当初は、ジョブ・クラフティングがまだ浸透していない状況でしたので、研修プログラム開発のための協力企業を募る上でも、まず「ジョブ・クラフティングは何か」という説明から始めなくてはなりませんでした。理解してもらうまでに時間はかかりましたが、開発した研修プログラムの実施効果として、「ワーク・エンゲイジメントが高まった」「職場でのストレスが軽減した」といったポジティブな結果が示せるようになり、徐々に理解を示してくれる企業が増えてきました。
最近では、ワーク・エンゲイジメントの認知がかなり広がり、施策を検討する企業が増える中、ワーク・エンゲイジメントの向上につながる可能性を示せたジョブ・クラフティングの存在も注目されるようになってきています。2017年以降は、大企業を中心にジョブ・クラフティングについての理解や関心が広まり、私の元へも研修や講演依頼が増えています。
――今後、研究したいと考えているテーマについて教えてください。
これまで個人向けの研修プログラムにおいて効果検証を行ってきましたが、これからは「どのような職場風土でジョブ・クラフティングを行うのが効果的なのか」に注目していきたいと考えています。ジョブ・クラフティングは、職場や企業単位で行うのが理想的ですが、そのような実践はまだ難しい段階です。どのようにジョブ・クラフティングへの理解や取り組みを広げていくかが、今後のひとつの大きな課題です。
そのためには、日本の企業に合ったジョブ・クラフティングの追求が必要です。ジョブ・クラフティングの効果を示す海外での研究は多くありますが、「日本における効果はどうか」「日本と海外でのジョブ・クラフティングにどのような違いがあるのか」といったことはまだ十分に検討されていません。海外と日本では雇用の慣習や個人の働く価値観など異なるところが多いため、今後は海外との比較研究なども深め、日本文化の良さを取り入れた、日本の職場に合ったジョブ・クラフティングも視野に入れて、日本の職場のさらなる活性化につなげていきたいです。
※文中の内容・肩書等はすべて掲載当時のものです。
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