公開日 2018/12/07
「働き方改革の影響 Vol.3 経営方針を浸透させ労働生産性を高める」では、従業員に経営方針(経営戦略)を広く浸透させることにより、労働生産性を高め、ひいては企業業績を高めることができるということを論じたい。
まず手始めに、経営戦略の上位の概念にあたる経営理念を従業員が知っていると、企業業績が高まるのかどうか、既存研究を見てみたい。
経営理念と企業業績との関連についての実証研究では、英米企業に関して、経営理念を持つ企業と持たない企業のパフォーマンスを比較し、両者に差がないことを報告しているものが多くを占める。また、Baum et al.(1998)は、アメリカ企業を対象とした分析において、優れた経営ビジョンを経営者が持ち、経営者と従業員の間でコミュニケーションが取れていると、業績が高まることを示している。一方で、久保・広田・宮島(2005)は、経営理念のある企業の方が、ない企業よりも経営パフォーマンスに優れていることを示している。また、澤邉・飛田(2009)は、マネジメント・コントロール・システム(MCS)を構成する、経営理念を中心とした理念コントロールが、従業員満足度及び企業業績と正の相関のあることを示している。
これらの結果をまとめれば、日本企業は経営理念を持っているだけで業績が高くなる傾向があるのに対して、英米企業では経営理念を単に持っているだけでは業績は高まらない。業績を高めるためには、その経営理念は優れたものでなければならず、また従業員と経営者のコミュニケーションがとれていなければならない、ということになる。つまり、それだけ日本企業においては経営ビジョンを共有する効果が強い可能性を示唆している。
こうした結果には、日本企業と英米企業における働き方の違い、言い換えれば職能給と職務給の違いが反映されていると考えられる。日本企業の多くに見られる職能給は、年功賃金システムとして機能することで従業員の離職を防ぐだけでなく、ものづくり企業のコスト削減能力を育む、競争力の源泉でもあった。
職務内容と給与の関連がきっちりと決まっておらず、配置転換に伴う給与水準の変動がないがゆえに、生産工程の上流や下流を問わず、個々の従業員は様々な仕事の経験を積むことができる。
幅広く経験を積んだ従業員は、不良品が発生したとき、生産工程のどこで問題が発生しているのか迅速に把握することができるようになる。こうした従業員の能力は、積みあがる失敗品の量を最小限に抑え、無駄なコストを大幅に削減し、日本のものづくり企業の持続的な競争力の源泉となった。
この職能給制度の下では、各自の仕事の分担内容、職務範囲があまり明確になっていないので、自然とチームとしての協働の最終的なアウトプットに価値が置かれることになる。そうなれば、アウトプットの方向性の正しさ、クオリティの高さを判断する基準としての経営戦略を、全ての従業員が知っていること、理解している事が重要となってくる。楠木(2010)では、以下の様に、日本企業において、経営戦略が従業員一人一人に理解され、共有されることの重要性を述べている。
「欧米の会社が機能分化の論理で割り切れる組織であるのに対して、もし日本の会社が傾向として機能のインプットよりも価値のアウトプットに人々のアイデンティティがあるような組織になっているとしたら、戦略をつくる立場にあるリーダーのみならず、戦略ストーリーを組織の人々で広く共有することの必要性や効果が日本の会社ではずっと大きくなるはずです。(中略)トップがストーリーを構想するだけでなく、そのストーリーが組織の人々で丸ごと共有されていることが重要な意味を持ってきます。(楠木,2010,p.p.62-64)」
こうした議論を人的資源管理論の用語で言い換えれば、多くの日本企業での賃金制度は職能給に基づいており、欧米企業でスタンダードな職務給的な制度と対照的である、ということになろう。協働が仕事における中心である時、従業員が共通の目標や戦略を共有することは非常に重要である。チームとして働くとき、チームの構成員が同じ目標を持っているときと、いないときとでは、コミュニケーションにかかる労力や時間がかなり違ってくることは多くの人が経験している事だろう。
また、共通の価値観に照らし合わせることで、無駄な仕事を省くこともできる。これまでの議論とは分野が異なるが、近藤麻理恵(2011)「人生がときめく片付けの魔法」を取り上げたい。同著は、アメリカでも百万部を超えるベストセラーとなった。その内容を一言でいうと、
<手に取ってみて、これを持っていることで心がときめくかどうか、自分に問いかける。答えがイエスだったものは残し、ノーだった場合は容赦なく捨てる>
というものである。
この本の根本的な内容はこれに尽きると言ってよい。ここで重要なことは、すっきりと気持ちよく暮らすためには、気持ちをよくしてくれるもののみが必要であることを明確にした点である。「そのうち必要になるかも」、「もったいない」等々、我々がものを捨てないでとっておく様々な理由を切り捨てている。自分の心に、このものにときめくかどうか、様々なものについて問いかけ続けることで、自分の価値=理念が、自分自身にとって次第に明らかになっていき、自分でも思いがけない、自分が心の奥に持っていた本当の価値観に気付き驚く、という結果が待っているのだ。
この本は、片付けとはすなわち、自分の価値観を明らかにすることだ、と喝破している。価値観が明らかになってこそ、要るものと要らないものの区別をはっきりつけることができるのだ。たかが片付け、されど片付け。村上春樹氏がよく引用するように、どんな髭剃りにも哲学はあるのだ。なお、近藤麻理恵氏の提唱する方法に従い、自らの価値観を見出した後では、部屋が再び散らかることはほとんどないということである。
閑話休題。経営方針の周知と、それが従業員へもたらす動機づけの関係として、例えば藤本(2013)が紹介している事例が理解の役に立つ。コンビニにあるような低速コピー機の製造については、コスト的な競争では中国に勝つことはできない。そこで耐用年数のきたコピー機をリサイクルし、納品までのリードタイム勝負に持ち込むという戦略が有用であるとする。
「確かに「コストが安い方が勝ち」というだけがゲームのルールなら、日本の高コスト現場はなかなか勝てませんが、ビジネスモデルを工夫してリードタイム勝負や品質勝負にルールを変えれば、国内工場にも勝機が出てくる(p.p.19)」
こうした戦略が従業員の意識に浸透すればするほど、勝ち目のないコスト削減競争に対して向けられていた従業員の努力は一転して、明確な方向性が示されることにより、強く喚起される。人間誰しも、勝ち目のない戦いにやる気は出ないものだ。例えば、全盛期のタイガー・ウッズが出場した試合では、他の出場選手の成績が明らかに普段より落ちていたことが経済学者の計量分析により示されている(Brown(2011))。また、経営戦略を浸透させることは、「何に努力を傾ければ良いのか」が良く分かる様になるのみならず、「何をやらなくても良いのか」が良く分かる様にもなるわけである。先ほどのコピー機の例でいえば、コストダウンの努力はやるのかやらないのかという二極だけで考えれば「やらなくてもよい努力」に分類されるであろう。
戦略がはっきりすれば、コストダウンに投じていた労働時間はほぼ無駄となり、削除できる。その労働時間のうちいくらかを、壊れにくいなどの品質を上げるための努力に振り分けるべきだ、ということになる。このように、生産性を高める(付加価値を上げつつ、投じる労働時間を短くする)うえで、戦略の浸透は重要である。
しかしながら、もし、経営方針の周知が十分だとしても、それが直接に、企業の業績向上、競争能力の構築をもたらしてくれるわけではない。それは、個々の従業員がそれを日々の生産性向上へ向けた努力(カイゼンの努力)へつなげてこそ、はじめて意味を持つのだ。単に「知って」いることと、「実行に移す」こととは、全く別物である。ダイエットの方法をたくさん知っていることと、それらを実行に移すことの間には、実に巨大な壁がある。
今までの研究は、「経営方針の周知→業績向上」という命題について検証してきたが、この命題には非常な飛躍がある。それは、経営方針を知っているだけで、業績が上がることになっていることだ。しかし実際は、経営戦略が浸透することで、従業員の意識や行動の何かが変わり、その結果として業績が良くなる、というプロセスを踏んでいるはずなのだ。
筆者が行なった研究(以下、参鍋(2015))では、その「何か」の一つとして、「カイゼン意識」に注目している。上述したように、経営方針を知ることで、何が重要で、何が重要でないのか、区別する判断基準を手に入れることになる。その結果、日常的に生産や経営の効率を考える、というカイゼン意識が高まり、生産性が上昇すると考えたのである。
参鍋(2015)で用いたデータは、1990年から現在に至るまで社団法人国際経済労働研究所が行なっている「労働組合員総合意識調査(ON・I・ON2)」に参加した日本全国の大手上場企業61社、約8万人の組合員(ただし、正規従業員に限定)である。企業ごとのデータ(営業利益率、経常利益率)については、各社の有価証券報告書から入手している。データについて詳しくは、本論文をご参照戴きたい。
まず、従業員の生産性向上へ向けた努力(カイゼン意識)を、以下の様な質問と五段階の回答を用いて測った(以下、カイゼン意識と呼ぶ)。
「(私は)日常的に生産や経営の効率を考えるように心がけている」
1.まったくそう思わない
2.そう思わない
3.どちらでもない
4.そう思う
5.まったくそう思う
このカイゼン意識の指標は、従業員が日々の労働の中で、カイゼンを考え、行動しているかを主に問うものである。藤本(1997)の指摘する、企業の進化能力の実体は、「普段の心構え」である、ということを踏まえれば、非常に重要な変数であることが理解される。
次に、経営方針を従業員がどの程度共有することができているのかを計測した。具体的には、以下の質問に対して、五段階の回答を用い、経営方針、経営戦略の周知の程度としている。
「従業員は会社の経営方針などを十分に知っている」(以後、この質問に対する回答を「周知の程度」と呼ぶ)
1.まったくそう思わない
2.そう思わない
3.どちらでもない
4.そう思う
5.まったくそう思う
これらの変数を用いて、統計的分析(回帰分析)を行ったところ、周知の程度は、カイゼン意識に対して、有意水準1%以下で正の効果をもたらしていることがわかった。この推計結果をもとにして、カイゼン意識が賃金(=生産性)を増加させる効果のあることも観察された。これらの分析は、個人単位で行ったものである。これに加えて、企業単位での推計も行った。企業別の推計では、周知の程度が高まることでカイゼン意識が高まり、その影響で企業業績が高まることが統計的に確認された。
推計結果について具体的な数字をまとめると、周知の程度の値が1ポイント上昇すると、それに伴ってカイゼン意識の値は約0.12ポイント上昇する。そのカイゼン意識の0.12ポイントの上昇により、営業利益率は約4%ほど押し上げられる、という推計結果が得られた。つまり、周知の程度の値を1ポイント上げることで、営業利益率は約4%ほど上昇することになる。
周知の程度の平均値は2.7であるにすぎなかった。つまり、まだまだ上昇させる余地が非常にあると言えよう。
企業理念や経営戦略、事業戦略を従業員に浸透させる良い方法の一つは、それらの策定自体を、できるだけ多くの従業員を巻き込んだ形で行うことだろう。働き方改革を進める必要性に迫られている企業は多い。何が重要なタスクで、何が重要なタスクではないのか。人生がときめく片付けの魔法のように、様々な事業や、個人のタスクの断捨離をしていくうちに、自分たちにとって真に理想的な企業理念や戦略、働き方の姿を、そこに発見するかもしれない。働き方改革に取り組むことを単なる労働時間短縮のためのプロジェクトとして捉えるのではなく、そのような大いなる発見のチャンスと捉えなければならない。
現在の日本では、働き方改革の必要性がそこかしこで大声で叫ばれている。しかしながら結局のところ、「働き方改革」なるものから我々は一体何を得ることができるのか?それはなぜすすめられなければならないのか?働き方改革を実現したら、いったいどんな嬉しいことがあるのか?女性労働力の活用につながるから等々、様々な答えはあろうが、筆者はそれらの問いに対して、「それが己を知るきっかけとなってくれるかもしれないから」、と答えたいのである。
以上、全三回にわたり、働き方改革について論じてきた。
第一回目は、働く時間が短くなることで、はたして日本人は幸福になれるのだろうかということ、世界的に見て女性のほうが男性よりも幸福度が高いのはなぜなのかということについて、幸福度などの主観的変数を分析するうえで近年注目が集まっている、アンカリング・ヴィネットの手法を紹介しつつ、検討した。結果は、労働時間の長短が幸福度に影響を及ぼしているというよりも、睡眠時間を確保することが、幸福度を高めるうえで重要である可能性を示していた。また、女性は男性よりも自分の中での幸福の基準が男性よりも低い(男性よりも多くを期待していない)ので、幸福度が高くなることが示された。女性は男性に比べて現実的で高望みをしない、ということがこうした現象の観察される要因となっている可能性はあるが、やはり仕事での自己実現が期待できない状況をこそ指摘すべきだろう。
第二回目では、ヨーロッパが経験した働き方改革について検討した。かつてヨーロッパ諸国は高い失業率を改善すべく、労働時間を短縮し、ワークシェアリングを実現しようとした。しかしながら、人為的に労働時間を短縮したことで労働コストが割高になり、企業は資本投資を加速させることになった。その結果、昨今でも話題になっているように、人からロボットへの代替が加速することとなり、失業率はかえって上昇することになったのだった。この事例を踏まえ、労働時間を短縮する際に、同時に労働生産性を向上させることが、失業率を上昇させないために必要である、ということがわかった。
第三回では、労働生産性を高めるためには、個人の日々のタスクを必要なものと不要なものとに峻別することで労働時間を短縮することが必要であること、そして峻別の際には、企業理念や経営戦略の在り方を従業員が知っていなければならないことを指摘した。また逆に、峻別の過程で、企業が本来持っていた経営理念や、望ましい経営戦略の在り方が浮かび上がってくる可能性を指摘し、働き方改革を進めることを、この「己を知る」機会とする必要性を論じた。
言うは易し、行うは難し。現実に峻別の作業を進めることは非常に困難なものとなる。その作業が直接に金を生むわけではないし、真剣にやればやるほど時間もかかるだろう。しかしながらその困難にもかかわらず、自らにとって本当に大事なものとは何かを知ることにつながるのならば、後々それだけの価値をもたらしてくれる大事な作業となるだろう。
参照文献
Baum, Robert. J., Locke, Edwin. A., and Kirkpatrick, Shelley. A. 1998 "A Longitudinal Study of the Relation of Vision and Vision communication to Venture Growth in Entrepreneurial Firms," Journal of Applied Psychology 83(1) : 43-54.
Brown, J. 2011. Quitters never win: The (adverse) incentive effects of competing with superstars. Journal of Political Economy, 119(5), 982-1013.
楠木健(2010)『ストーリーとしての競争戦略』東洋経済新報社.
久保克行・広田真一・宮島英昭(2005)「日本企業のコントロールメカニズム:経営理念の役割」『季刊 企業と法創造』No.1、vol.4、pp.113-124.
近藤麻理恵(2011)『人生がときめく片付けの魔法』サンマーク出版.
澤邉紀生・飛田努(2009)「中小企業における組織文化とマネジメントコントロールの関係についての実証研究」『日本政策金融公庫論集』 No.3、pp.73-93.
参鍋篤司 (2015)「経営方針の周知とカイゼン意識のもたらす企業業績への影響」 『國民經濟雜誌』 211(6), pp.1-15.
藤本隆宏(1997)『生産システムの進化論』有斐閣.
藤本隆宏(2013)『現場主義の競争戦略』新潮社.
参鍋 篤司(さんなべ あつし)
京都大学経済学部卒業、京都大学博士課程修了、博士(経済学)。
博士課程修了後は、京都大学、早稲田大学、東京大学などで研究員、助教。
その間、オックスフォード大学客員研究員、OECDコンサルタントを経て現在は、
流通経済大学経済学部准教授、株式会社政策基礎研究所上級フェロー。
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