公開日 2019/09/13
世の中では、介護の仕事は未だに「単純労働」として捉えられることが多いようです。しかし実際には、介護はとても複雑で専門性を要する仕事です。その専門性の可視化や言語化、体系化、さらにはそれに基づく処遇の改善等が、介護の仕事の魅力を高め、人材不足の解消の一助になると考えられます。
厚生労働省の「保健医療2035提言書」(2015年6月発表)(注1)では、2035年までに必要な保健医療のパラダイムシフトとして、「キュア中心からケア中心へ」の転換が挙げられています。疾病の治癒と生命維持を主目的とする『キュア中心』の時代から、慢性疾患や一定の支障を抱えても生活の質を維持・向上し、身体のみならず精神・社会面も含めた健康の維持を目指す『ケア中心』の時代への転換において、介護の重要性はますます増しているといえます。
そこで今回は、介護における「専門性」について考えていきます。
これまでの介護の専門性に関する研究においては、専門性の具体的な内容として、たとえば以下のような事項が挙げられてきました(注2~4)。
介護職は対象者の生活全般を包括的かつ多面的に見ながら、柔軟に介護サービスの計画と提供を行う必要があること、それを通じてその人の人生の目標の達成をともに目指す姿勢が求められることが伺えます。
ところで、日本語で言う「専門職」は、英語ではいくつかの概念に分類可能です。それらのうち、ある特定の業務や目的の範囲について技術的に高度化した「スペシャリスト(specialist)」と、広範囲にわたる技術や知識を持った「ジェネラリスト(generalist)」は、職務の広さと深さという点で相対する概念です(注3, 5)。
介護サービスの内容は前述のように包括的であるため、専門職としての介護職はジェネラリストに相当すると考えられます。しかし、介護サービス提供のプロセスは多くの場合、細分化されてしまっているのが現状です。効率化を図るための役割分担や、職種・資格による分業により、一連の介護サービス提供の過程は必ずしも1人の職員の中で完結していません。すなわち、日本の介護職はスペシャリスト的な「専門化」に陥っている可能性があるとの指摘があります(注3)
このような現状もあってか、日本の介護業界では多職種連携の重要性が叫ばれています。複数の異分野のスペシャリストが集まり、チームで介護サービスの提供に取り組めば、包括的な介護サービスの提供は可能でしょう。一つの目的を共有し、専門性の壁やヒエラルキーを超えたチーム協働を、顔の見える関係で実践することは、真の意味での「連携」の実現に繋がると考えられます(注6)。ジェネラリスト的な視点・視野を持ちつつ、各職種がスペシャリストとしての専門性を発揮し相互作用することが、多職種連携の成功の鍵とも言えそうです。
介護現場にはさまざまな課題がありますが、専門職でも難しい課題の1つは認知症ケアでしょう。2003年に厚生労働省から出された報告書「2015 年の高齢者介護」(注7)では、高齢者の尊厳を支えるケアの確立がうたわれ、「身体ケアだけでなく、痴呆性高齢者に対応したケアを標準として位置付けていくことが必要である」(原文のまま掲載)という提言がなされました。しかし今なお、認知症ケアは難しいと考える介護職は多いです。
認知症とは、脳に何らかの機能低下・障害が生じ、これがもとで生活に支障が生じている状態を言います。症状は、脳の機能低下によって直接引き起こされる、「中核症状」と、本人がもともと持っている性格や環境、人間関係、心理状態など諸要因がからみ合って起こる、「行動・心理症状」(Behavioral Psychological Symptoms Dementia: BPSD)に大別できます(図1)。
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最近では「徘徊」という表現を避ける傾向にありますが、それに代わる表現について現状では統一されていないため、ここでは「徘徊」といたしました。
図1:認知症の中核症状と行動・心理症状(BPSD)
(厚生労働省 政策レポート「認知症を理解する」
(https://www.mhlw.go.jp/seisaku/19.html)を加工して作成)
これらの症状がある人とのコミュニケーションやニーズの把握は、症状がない人に比べて難しくなります。そのハードルを乗り越え、「本人はどうしたいのか、本人が何で困っているのか、ケアする側は何で困っているのか」をさまざまな側面から推測し、その困りごとを解決する必要があります(注8)。
その際、認知症のある人は症状の進行とともに危険を予知する力や判断能力が失われていくため、安全・安心を重視しリスクを取り除くということが行われがちです。しかしその結果、認知症のある人の「できること」「自由」は奪われ、QOLは低下します。安全・安心を整えることで本来目指すべきはQOLの向上であり、そのためにはむしろリスクと「向き合う」ことが必要でしょう。その人がやりたいことができるかどうか、状況をアセスメントし、できる力がある、安全にできる環境を整えられると判断できれば、それに挑戦してもらえばよいのです。
例えばお料理は、包丁で手を切る、火でやけどをするなどのリスクが考えられるため、認知症のある人はできない、と考えられがちです。しかし、認知症があっても包丁を問題なく使える人はいますし、火が危ないならガスコンロではなくIHヒーターを使うことも可能です。お料理を作り、できたお料理を他の人にもふるまうことで、本人は満足感を得ていきいきしますし、その姿を見た周りの介護職や家族も嬉しい気持ちになれます。
このように、本人のニーズややりたいことを引き出し、これに寄りそうケアを提供することで、認知症があってもその人らしい生活をすることが可能になります。そのためには、生じている事態を客観的に把握し、その背景に何があるのかを、さまざまな側面から検討する必要があり、先に述べたジェネラリスト的な専門職としての視点・視野が求められます。
介護分野は、医療分野に比べてエビデンスに基づく介護サービスの「標準化」「一般化」が進んでいないといわれています。実際、まだ多くの現場で個々の介護職の「経験と勘」にもとづいて介護サービスが提供されています。このようなやり方では、「良い介護」は属人的になってしまい、横展開は困難です。
しかし近年では、「根拠ある介護」の実践の必要性が指摘されています(注4)。2017年6月に政府より発表された「未来投資戦略2017」においては、健康寿命の延伸を目指し、自立支援・重度化防止に向けた「科学的介護」の実現が課題として示されました(注9)。自立支援等に効果があると科学的に裏付けるためのデータベースの構築、効果が裏付けられた介護サービスの2021年度以降の介護報酬改定における評価、ならびにそのようなサービスを受けられる事業所の公表等が予定されています(図2)。
図2:科学的介護の実現に向けたビッグデータの活用イメージ
(「未来投資会議(第7回)配布資料5」(首相官邸ホームページ)(https://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/miraitoshikaigi/dai7/siryou5.pdf)を加工して作成)
ここで構築される「介護に関するサービス・状態等を収集するデータベース(Care, HeAlth Status & Events: CHASE)」は、既存の介護保険給付費明細書(介護レセプト)データと要介護認定データを蓄積した介護保険総合データベース(介護DB)や、医療レセプト情報を蓄積したNational Database(NDB)に比べ、高齢者個々人に関するより詳細なデータを蓄積するのが特徴です(注10, 11)。
CHASEのデータ項目は、各介護事業者で蓄積されてきた既存のデータ項目に基づいています。これは、介護サービスを提供するために必要なデータ自体は、以前から現場で蓄積されてきていたことを意味しています。しかしそれらのデータの多くは紙媒体であったため、利活用はなかなか進まず、結果的に介護サービスの提供は「経験と勘」に基づいていました。これでは、残念ながら「根拠のある介護」と呼ぶのは難しいでしょう。
ここ数年で介護関連の記録の電子化は進みつつあります。CHASEの構築をきっかけに、さらにデータの利活用が大きく促進される可能性もあります。提供した介護サービスの振り返りにデータを用いて改善に繋げたり、さまざまな介護サービス事例をデータを元に比較検討し、「良い介護」の特徴を抽出して横展開していくなど、「根拠のある介護」の実践は今後加速されそうです。
介護サービスの効果がきちんと立証されることは、介護職のやりがいや介護サービスの質の向上につながります。また、このような効果検証を、介護現場で介護職自身が日常的に行えるようになれば、専門性の高い介護職が育つものと期待されます。そのためには、蓄積したデータをわかりやすい形で可視化し、活用方法も含めて現場の介護職にフィードバックすることが鍵となるでしょう。
データを記録しやすくするだけでなく、それを使いこなせるような環境を作り、教育を行うことが、科学的介護の実践、ひいては介護の専門性の向上に貢献すると考えられます。
介護の専門性の具体的な内容はさまざまですが、そのポイントは、
と言えるでしょう。
このような本来の介護職の専門性は、現状では、介護職自身も気づくことができない状態にあるのかもしれません。介護サービス提供の一連のプロセスをジェネラリスト的視点を持って多職種連携で担ったり、認知症のある人でもやりたいことを実現できる介護サービスを提供できたり、現場で蓄積されるデータの利活用によって介護の効果が科学的に裏付けられたりすることは、介護職自身が介護の専門性に改めて気づき、これを世の中にも示していくことにつながりそうです。
私達が行った「介護人材の離職実態調査 2017」も、専門職としての深化に向けた仕事面での成長支援や仕事ぶりの承認が、介護職の定着の鍵であることを示しました。キャリアと連動した給与体系の見直しに加え、「キャリアの見通し」が立つように成長を支援していくことが、介護職が長く働き続ける上で必要であると提言しています。従来の調査で指摘されてきた負担感の低減や単なる給与の引き上げではなく、「キャリア」「専門性」にスポットライトが当たったことは、介護職の定着に向けたさまざまな取り組みに新たな側面を加えたと言っても過言ではないでしょう。
高い専門性を持った介護職が自信とやりがいを持って働き、その成果がきちんとデータで裏付けられれば、社会からも介護の専門性が認められ、介護職の定着と新たな入職者の増加を促進するものと期待されます。
注1)厚生労働省「保健医療2035」策定懇談会. (2015). 保健医療2035提言書.
(https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12601000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Shakaihoshoutantou/0000088654.pdf)
注2)本間美幸,
八巻貴穂, 佐藤郁子. (2008). 介護福祉士の専門性に関する研究: 福祉施設介護職責任者の意識調査結果から. 人間福祉研究, 11, 39-49.
注3)井口克郎. (2009). 介護労働者の専門職化に関する考察.
日本医療経済学会会報, 28(1), 26-56.阿部正昭. (2009). 介護職の専門職化とその専門性. コミュニティとソーシャルワーク, 3, 24-37.
注4)嶋田直美. (2015).
介護福祉士養成教育の中心問題─ 専門性の構築に向けて─. 桃山学院大学社会学論集, 48(2), 157-182.
注5)阿部正昭. (2009). 介護職の専門職化とその専門性. コミュニティとソーシャルワーク, 3,
24-37.
注6)田宮菜奈子. (2017). 1. 医療と介護・福祉の連携とヘルスサービスリサーチ. 日本老年医学会雑誌, 54(1), 22-27.
注7)厚生労働省. (2003).
2015年の高齢者介護~高齢者の尊厳を支えるケアの確立に向けて~. (https://www.mhlw.go.jp/topics/kaigo/kentou/15kourei/3.html)
注8)山口晴保. (2018).
BPSDの定義, その症状と発症要因. 認知症ケア研究誌, 2, 1-16.
注9)内閣府. (2017).
未来投資戦略2017.(https://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/pdf/miraitousi2017_t.pdf)
注10)厚生労働省. (2018).
第1回医療・介護データ等の解析基盤に関する有識者会議 資料2-2: NDB, 介護DB等の役割と解析基盤について.
(https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12401000-Hokenkyoku-Soumuka/0000206673.pdf)
注11)厚生労働省. (2019).
科学的裏付けに基づく介護に係る検討会 取りまとめ. (https://www.mhlw.go.jp/content/12301000/000531128.pdf)
株式会社パーソル総合研究所/ベネッセ シニア・介護研究所「介護人材の離職実態調査2017」 | |
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調査方法 | 個人に対するインターネット調査 |
調査対象者 |
介護業界の現場職を過去10年以内に離職した20~65歳:1,600名 ※離職理由の1位・2位がともに不可避退職(転居・事業閉鎖、出産など)の者は除外 ※施設形態(訪問介護・通所介護・有料老人ホーム等)/企業/雇用形態/勤務時間 すべて条件不問 |
調査日程 | 2017年12月~2018年1月 |
※引用いただく際は出所を明示してください。
出所の記載例:パーソル総合研究所・ベネッセ シニア・介護研究所「介護人材の離職実態調査2017」
介護人材の成長とキャリアに関する研究プロジェクト
福田 亮子
2004年より慶應義塾大学にて人間工学やジェロンテクノロジーの研究・教育に従事。実験・調査に基づく、高齢者にとって快適な環境設計要因の分析を中心に実施。2014年より研究の場を介護現場に移し、社会福祉法人こうほうえんにて介護士の気づきの可視化に従事。2015年10月より現職。介護現場に蓄積されたノウハウ・データの体系化や介護人材の成長とキャリアなど、介護と高齢社会に関する幅広い研究テーマを扱っている。
※文中の内容・肩書等はすべて掲載当時のものです。
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