「現場をまとめるマネジャーはたくさんいるのに、将来的に経営を任せられる人材がいない。」こうした問題を抱える企業は少なくない。2017年1月に経済産業省によってなされた上場企業の経営人材育成責任者へのアンケートによれば、将来の経営人材の確保に不安を感じている企業は6割を超えていた。経営人材へとステップアップするときには過去の成功体験を否定しなければならないことも、この問題の一因となっている。
どうすれば経営人材へと飛躍することができるのか。経営人材の要件には様々なものがある中で、「変えなければならないもの」に焦点を当てて、91人(38社)の経営人材への定性調査およびビジネスパーソン618人への定量調査を実施した。そしてその調査結果を踏まえ、経営人材へとトランジションするためのポイントを、4つの提言としてまとめた。
ここに一匹の青虫がいるとする。この青虫が成長したら、どうなるだろうか。大きな青虫になるというのは、半分しか正解ではない。そう、蝶になるのである。
昆虫などの成育過程で形態を変えることを、変態という。図鑑やテレビの映像でその過程を見たことがある人も多いだろう。一方で、あまり知られていないこともある。実はすべての青虫が変態できるわけではない。青虫が蝶に変態する途中で、挫折してしまうことが結構多いのである。自己組織化理論で有名な今田高俊氏(東京工業大学名誉教授)によれば、変態する前には自分で自分を壊さないといけないことが挫折の要因になるという。さらに同氏はこう続けている。このことは人間も同じだと。
もちろん人間は、形態が変わるような変化を経るわけではない。しかし、人生にはいくつかの節目があり、その節目を越えていかなければならない。例えば小学生になって義務教育を受けるようになったときや社会人になって自分で稼ぐようになったとき、あるいは結婚や身内との離別など、私たちは様々な節目を経ていく。
職業人生でも同じである。キャリア論では節目を越えるような変化を、トランジションと呼んでいる。そして、青虫の変態が容易ではないように、トランジションも容易ではない。その大きな理由は、節目の前の成功要因が、節目の後の成功を保証してくれないことにある。青虫が自分自身を壊しながら変態するように、以前の成功体験を否定しなければならないこともある。それができなければ、いつまでたっても蝶になることはできない。
最も分かりやすい節目の1つは、管理職への昇格だろう。プレイヤーとして優れた実績が認められて、管理職に登用されることになる。その際に少なからずの管理職が失敗するのは、昇格をもたらしてくれたプレイヤー時代の強みに固執してしまうことである。それまでの成功体験を捨て、“自分で仕事をする”から、“他人に仕事をさせる”に変わらなければならない。
プレイヤーから管理職への節目を越えれば、それで終わりというわけではない。その後も節目が訪れることを忘れてはいけない。大きな節目は、現場をまとめるリーダーから、事業や会社を舵取りするリーダーへの転換点である。いくら現場をまとめる上手いやり方を身に付けていたとしても、そのやり方で事業や会社を舵取りできるとは限らない。
リーダーの要件は様々ある。例えばある有名な経営者は、自分自身がエネルギッシュであること、周囲を元気付けること、困難な決断すること、実行して結果を出すことなどを挙げている。これらがリーダーにとって必要なことは、誰も否定しないだろう。一方で、これらは経営リーダーだけでなく、現場リーダーにとっても必要なことである。より高いレベルに引き上げていかなければならない大変さはあるものの、ベクトルが変わるわけではないため、少なくとも戸惑うことはない。
本調査研究では、このような類のものは対象にしていない。現場リーダーから経営リーダーに移行するにあたって、“変えなければならないもの”を分析した。同時に、どんな仕事を経験すればそうした行動変容を成し遂げることができるのかも分析した。
なお本報告書では、「現場リーダー」と「経営リーダー」を以下のような定義で使っている。
現場リーダー:現場をまとめる役割を担う、主に課長クラスのリーダー
経営リーダー:事業や会社を舵取りする役割を担う、主に事業部長・役員クラスのリーダー
リーダーには迅速な決断が求められる。現場をまとめるリーダーだった頃は、その分野での豊富な知識と経験をもとに、判断することができた。しかし経営リーダーになって、様々なことを総合的に判断しなければならなくなると、自分の専門性だけでは足りなくなる。そこに戸惑いを感じることになる。
優れた経営リーダーは、うまく他者の知恵を使っている。もちろん、自分の専門分野以外のことにも詳しくなる努力は欠かさない。しかし、すべての領域の専門家にはなれないことを認識している。加えて、自分一人だけでものごとを決めてしまうことが危険だということも理解している。
彼ら彼女らは自分の弱みを謙虚にかつ冷静に把握し、不得意分野を補ってくれる人たちに意見を求めながら迅速に意思決定を下している。彼ら彼女らが磨いているのは専門性ではなく、専門外のことでも聞いて理解する力である。
どんなに優秀な人でも一人だけで成果を上げることはできない。必ず誰かに支えられている。自分一人だけで頑張ろうとはせず、他者を頼りながら成果を上げる術を磨かなければならない。
現場をまとめるリーダーだった頃は、担当分野のすべてについて詳細な状況を把握することができた。しかし経営リーダーになって管掌範囲が広がり、またステークホルダーが増えてくると、多岐にわたることのすべてに目を光らせておくことはできなくなる。そこに戸惑いを感じることになる。
優れた経営リーダーは、メリハリをつけている。もちろん、できるだけ広範にわたって関与する努力はするものの、隅々まで関与することが現実的ではないことを認識し、自分の時間と労力をどこに注ぐべきかを吟味している。そして、重要な業務や問題が生じた業務のみに介入するようにしたり、組織の将来を担ってくれるような人材の育成に直接的に関与する。
これはなにも、効率化だけが目的ではない。組織の優先順位を伝えるためでもある。忙しい中でも経営リーダーがわざわざ時間を費やしたことに、組織メンバーは重要性を感じるからだ。
責任感が強いほど、隅々まで関与したくなってしまう。しかし、過剰な関与は逆効果になりかねない。すべてをコントロールしたいという気持ちをぐっと抑えなければならない。
社会人は、仕事をうまく進めるために、そして自己成長のために、適切な人とのつながりを持とうとする。仕事内容が変われば、ふさわしい相手も変わる。現場をまとめるリーダーの頃に築いた人脈が、経営リーダーでの成功をもたらしてくれるとは限らない。そこに戸惑いを感じることになる。
優れた経営リーダーは、新たな人たちとのつながりを作っている。ポジションが上がるにつれて、前例のない難しい問題に直面することが多くなる。その場合は思考回路が似ている社内の人からは、なかなかヒントは得られない。そのときに役立つのが、社外の経営経験者や異業種の人たちである。経営経験者は迷ったときの判断軸を与えてくれ、異業種でのやり方はものの見方を変えてくれる。
さらに言えば、優れた経営リーダーは苦言を呈してくれるメンターも大切にしている。昇格するほど、指摘をしてくれる人が少なくなってくるからだ。
成功を積み重ねるほど、自分の考えに自信を持つようになる。それが行き過ぎると人脈を広げる必要性を感じなくなってしまう。成功するほど、謙虚にならなければならない。
行動やその背後にある思考や意識を変えることは簡単ではない。そのきっかけになり得るのが、仕事経験である。特に、多数の利害が複雑に絡み合うような仕事や、不確実な中でも即座の判断が求められるような仕事が、加えて自分の後ろにはもう誰もいないというような状況が効果的である。
そうした特性を持つ仕事は、ほとんどの場合は事業責任者や役員へ昇格した後に経験することになる。つまり、経営リーダーになった後である。しかし、それでは少し遅い。事業責任者や役員に昇格する前に、経営リーダーとして振舞えるようになっていることが望ましいからだ。
その解決策の1つは、事業責任者や役員を擬似体験することである。子会社の経営や新事業立ち上げ、M&A、構造改革、事業の立て直しが役立ったと回顧する経営リーダーが多い。そうした経験が、経営リーダーとしての準備を整えてくれる。
残念ながらこうしたポストは限られており、また本人にはそれにふさわしい能力が備わっていないことが普通である。そのため、背伸びをしてでもつかみ取る積極性が欠かせない。
リーダーへの旅は果てしない。1つの節目を越えることができたとしても、また次の節目が訪れる。
ここで述べた「積極的依存」、「選択的対応」、「新たな人脈形成」は、経営リーダーの入り口に立つためのものに過ぎないだろう。しかし、経営リーダーへの第一歩として、必ず成し遂げなければならないものである。
近い将来に経営リーダーとして期待されている方々に、そして今現在経営リーダーとして悩まれている方々に、この提言が少しでもお役に立てたならば、この上ない喜びである。
2018年2月
坂本 雅明
【経営者・人事部向け】
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