公開日 2022/10/14
人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営「人的資本経営」に注目が集まっている。海外では情報開示に向けた動きが急速に進んでおり、国内でも追随する動きが加速してきた。こうした環境変化を受けて、企業は企業価値向上につなげていくため、どのように人的資本経営と情報開示に取り組んでいけばよいのか。2022年3月にパーソル総合研究所が実施した「人的資本情報開示に関する実態調査」の結果を踏まえ、企業が人的資本経営をどう捉え、どのように開示指標を選定すればよいのかを第1部と第2部に分けて紹介する。
第1部解説
株式会社パーソル総合研究所 主任研究員
慶應義塾大学システムデザイン・マネジメント研究科特任講師
井上 亮太郎
第2部解説
株式会社パーソル総合研究所 コンサルティング事業本部 マネジャー
中島 夏耶
人的資本とは、ヒトの持つ能力を「資本」として捉えていこうという経済学用語で、具体的には個人が身につけている知識・技能・資格・意欲などを指す。
この人的資本を〝経営〟するとはどういうことか。人的資本経営の定義にはさまざまあるが、経済産業省では、「人材を資本として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方」と定義づけている。
「ポイントは、企業価値向上に向けて資産・利益を生み出すために、人的資本への投資が重要であるという点です。人的資本への投資は、個人の健康状態の改善、あるいは主観的幸福感の向上、社会的結束(エンゲージメント)の強化など、非経済的な利益を多くもたらすとされています」
人的資本経営に注目が集まる背景には、人材をキャピタル(資本)として捉えていこうという大きな動きがある。
「これまでは人材をリソース(資源)として捉え、有限な資源をどう有効に活用するかということが焦点となってきましたが、これからは人材をキャピタル(資本)として捉え、利益を生み出す源泉として投資を強化していこうという流れが世界的に始まっています。そのため投資判断や企業価値判断の軸として、人的資本に関する開示ニーズが高まってきているのです」
こうした大きな流れに対し、日本の現状はどうなっているのだろうか。まずは世界の潮流を見ていこう。
米国市場と日本市場で、企業における時価総額の構成比を比較すると、2020年時点でアメリカ市場の90%は無形資産が占めており、有形資産の占める割合は10%ほどになっている。一方の日本市場では、無形資産が32%で、7割近くを有形資産が占める。
図1.企業価値における無形資産の高まり
有形資産とは、主に財務資本(株式・借入など)や製造資本(建物・土地・設備など)を指す。無形資産は知的資本や社会・関係資本、自然資本といったもので、人的資本もここに含まれる。
この人的資本に関する情報開示の義務付けが、すでにEU、イギリス、アメリカなどで進んでおり、グローバルな潮流となってきているのだ。
歴史的には、1985年にCSRの概念が生まれたことを皮切りに、世界的なESGプラットフォームであるPRI(国連責任投資原則)の策定や今日の金融イニシアチブにつながる流れが生まれ、2010年以降は、「IRガイドライン」「TCFD提言」「SASBスタンダード」「ISO30414」といった開示のための基準やガイドラインが次々と誕生。こうしたグローバルでの流れを日本市場も無視できなくなっているのが現在の状況である。
「無視できなくなっている理由が海外投資家の存在です。海外投資家(機関投資家)が関心を向けているのは無形資産、とくに人材投資に関する情報です。日本企業の中長期的な投資、財務戦略において、IT投資と並び、彼らが重視しているのが人的資本に関する投資なのです」
図2.投資家が着目する情報
では世界的潮流のなかで、日本企業の役員層や人事部長層はどういうところに関心を持っているのか。それを把握するため、パーソルでは2022年3月にインターネットによる「人的資本情報開示に関する実態調査」を行った。調査結果の詳細は下記コラムを参照いただくとして、ポイントをまとめると次のような現状が見えてきた。
ひと言でいえば、まだまだ手探り段階といってよい。
「人材版伊藤レポート」で知られる一橋大学の伊藤邦雄名誉教授は、人的資本経営とその可視化は車の両輪であると述べている。
人的資本の経営と投資を実践し、それが可視化され、情報として開示され、さらにステークホルダーからフィードバックを受けて、翌期に展開していく。このサイクルを回して「最高善としての幸福(ウェルビーイング)」の向上を目指していくことが、これからの企業に求められる姿になっていくことは確かだ。
参照コラム
「人的資本情報やその開示に非上場企業も高い関心 自社の在り方を問い直す好機に」
https://rc.persol-group.co.jp/thinktank/column/202206100003.html
第1部で示されたように、人的資本経営と情報開示において日本企業の多くは模索段階にある。情報開示に関して重視する要素に「他社の動向」を挙げる企業が最多であったところからも、自社の取り組みをどうすべきか悩んでいる現状が伺える。
「どのような開示資料が他社から出されているかを調べることは、もちろん重要です。ただし、それ以上に重視すべきなのは、自社にとって重要な指標は何か、どこをどう向上させ、どう開示していくかをしっかり考えていくことです」
そのための検討ポイントとしては次の3つの観点が挙げられる。
① 投資家にとって〝重要性〟が高い指標であること
② 比較可能性とともに、自社特有の独自性をバランスよく両立させていること
③ 経営戦略、そして人材戦略と紐づいている指標であること
人的資本開示は、結果を開示するものではなく、価値を説明すべきものと言われている。価値を説明する相手である投資家が、評価するにあたり重視している指標をしっかり開示していくことが重要である。
また無形資産、とりわけ人的資本が他社とまったく同じということはあり得ない。したがって自社特有の独自性を担保する必要がある。そして経営戦略・人材戦略と紐づけてナラティブに説明できるものであることも重要だ。開示基準に準拠し過ぎて、自社戦略と離れた内容の開示にならないようにしていくということである。
図3.指標を検討する上でのポイント
「木に例えると、幹にあたるのが人的資本経営に対する考え方を社内で統一し、経営戦略に紐づく人材戦略の構築実践を行うことです。この幹の部分を前提に可視化や開示を行い、その結果アウトカムという果実が実る。すなわち人的資本の可視化・開示は、果実を手にするための手段であって、目的ではないというところを理解していただきたいと思います」
図4.人材戦略の構築・実践と人的資本の可視化・開示の関係性
現在、各省庁から人的資本の可視化と開示に関する指標や方針が出されている。よく知られているのは経済産業省が公表している「人材版伊藤レポート」「同2.0」だろう。
内閣官房からは「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」が発表され、ここで人的資本の可視化と開示強化が言及された。ワーキンググループとして創設された「非財務情報研究会」では、2022年夏以降に「人的資本可視化方針」を公表する予定だ。
このほか金融庁では、「ディスクロージャー・ワーキンググループ」において、人的資本を含む企業のサステナビリティ情報開示に関する審議が進行中である。また東京証券取引所が発行するコーポレートガバナンスコードが改訂され、人的資本に関する記述が追加された。
このうちの「人材版伊藤レポート2.0」では、1.0で策定した「3つの視点・5つの共通要素」を実行していく際の取り組みが具体的に記されている。内閣官房の「人的資本可視化指針」公表前に一足早く発表された「人的資本可視化指針(案)」では、「人材版伊藤レポート」にも言及しており、指針とレポートを併せて活用することで相乗効果が期待できると明記されている。
最後に、人的資本経営の検討ステップについても触れておこう。パーソルが行った実態調査からは日本企業の課題が明らかとなった。そこから紐解くと、検討ステップでは「WHY」「WHAT」「HOW」のストーリーで考えていくことがポイントになる。
「なぜ人的資本経営に取り組むのかを考え、経営戦略に紐づく人材戦略を策定すること。人材戦略に基づき、自社にとって重要な人的資本を特定し、それを指標化すること。その指標をモニタリングして、現状とのギャップをどう埋めていくか、課題へのアプローチをどうしていくか。一貫性を持って、この3ステップに取り組んでいくことが大切です」
とくに重要なのは幹づくりの部分。開示基準に振り回されることなく、自社の経営戦略、人材戦略に沿って可視化と開示に関する策定を進めていきたい。
図5.人的資本経営の検討ステップ
※文中の内容・肩書等はすべて掲載当時のものです。
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