公開日 2008/07/01
職業柄、社会人に対する教育をさせていただくことがたくさんあります。また、私自身も社会人になってからたくさんの教育を受講してきました。教育を実施した後のアンケートでは、「明日からでも早速実行したい」というようなお褒めの言葉をいただくこともあれば、「意義が感じられなかった」というような辛らつなご批判をいただくこともあります。反対に、私自身が教育を受講した際にも役に立ったと感じることもあれば、そう感じられないこともありました。 社会人が求める学習方法とはどのようなものなのでしょうか。また、人材開発担当者にはどのような役割が求められるのでしょうか。社会人教育に関するいくつかの理論をもとに、考察してみたいと思います。
実は社会人教育を対象とした研究は、それほど多くありません。論文や学会発表のテーマを調べてみても、学校教育を対象とした研究が大半を占めています。「社会人」というものは、教育学者にとって馴染みが薄い存在なのかもしれません。しかしながら、その中でも優れた研究者は存在します。その筆頭の一人がノールズ(Malcolm S. Knowles)でしょう。正確に言えば、ノールズの研究は「成人教育(Adult Education)」なので、社会人以外の成人も研究対象に含まれています。しかしながら、社会人教育を想定して読んだとしても、大変示唆に富む内容です。 ノールズは成人教育の実践方法を議論するに当たり、成人学習者の特徴を、学校教育での学習者つまり生徒と対比することで整理しています。
成人 | 子供 | |
---|---|---|
学習者の概念 | 自己決定的 | 依存的 |
学習者の経験の役割 | 経験は、豊かな学習資源となる。 | それまで経た経験にはあまり価値が置かれない。 |
学習へのレディネス | 社会的役割の発達段階にあるときに、学ぶ意欲が高まる。 | 学校が学ぶべきだということを、すべて学ぶカリキュラムになっている。 |
学習への方向付け | 直面した問題を解決するために直接的に必要なものを好む。 | のちの役に立つと考えられる、体系的な知識を学ぶようになっている。 |
(Knowles,2001を参考に作成)
それぞれの特徴ついて、私自身の解釈も加味して簡単に説明します。
人間というものは、子供から大人になるにつれて、依存的から自律的に、受け身的から主体的へと成長していきます。そうなると、学ぶ内容や学習計画などについても、自分自身で決めたいという心理的要求が生じるようになってきます。このようなことから、社会人は、より自己決定的だといえます。
人間というものは成長する過程でさまざまな経験をします。そのため、そもそもゼロから教えるよりも、経験をベースに新しいことを上手くつなぎ合わせて発展させていく方が、はるかに効果的・効率的だといえます。また、人間はそれらの経験を通じて人間形成がなされていくため、経験を無視されると、その人のアイデンティティーが否定されたと感じます。
人間は、次の段階に発達するときに、その段階で必要なことを学ぼうと感じます。子供の場合は、生理的・精神的な発達時期に大差がないため、段階に対応した画一的な学習が提供されます。それに対して大人の場合は多様です。各人における社会的な発達段階で、すなわち結婚したり、子供を育てたりするときに、あるいは職位が高くなったり、新たな業務にチャレンジしたり、ステップアップのための転職をするときなどに、学習する必要性を感じます。
子供の場合は、将来どのような職に就くか明確になっていないため、どのような人生をおくろうがある程度対応できるように、幅広い知識を体系的に学ばなければなりません。しかし、社会人の場合は、学ぶべきことがより明確です。その時に直面している問題を解決するために必要な知識や方法を学ぼうとします。
このように社会人学習者は、学校教育における生徒とは全く異なります。伝統的な学校教育に準じる方法で満足させることができる領域というものは極めて限定されていると考えた方がいいでしょう。 それでは、社会人に意義を感じてもらうためにはどうすればいいのでしょうか。伝統的教育方法から脱却する方向性を模索してみたいと思います。
一つの方向性は、学習者の自己決定性を尊重して、「教える」という役割から「学習者の学習活動を支援する」という役割に転換することです。
そのような役割のもとでは、学ぶべきことの選択は学習者に委ねられます。人材開発担当者は、例えば学習者自身が不足領域に気づくことができるように、能力やスキル、態度などを診断することで、本人が適切に選択できるよう支援することに徹します。また、中期的な学習計画も基本的には学習者に決定してもらいます。人材開発担当者は、役割や職種に応じた会社からの期待を伝え、キャリア目標の検討を支援するに留めます。
昨今では、「カフェテリアプラン」と称して、人材開発担当者が研修メニューを用意し、学習者が一定の枠内で選択する制度を導入する企業も多いかと思います。しかし、それだけでは単なる放任に過ぎません。学習者に意義を感じてもらうためには、学習者が受講すべき研修を適切に選択できるような支援を提供しなければなりません。
また、当然のことながら、研修スタイル自体も、講師が知識を伝達するスタイルから、講師と受講者が一緒になって考えるようなスタイル、あるいは講師が受講者同士の議論を進行するというスタイルに変える必要があります。そのため、研修技法としてはケーススタディーなどがふさわしいといえるでしょう。
もう一つの方向性としては、研修を問題解決の場にすることです。
社会人学習者を満足させるためには、学習者一人ひとりの経験に応じた対応をするという難題が突きつけられます。また、受講者が直面しているさまざまな問題に対して、その解決に役立つ知識やスキルを提供しなければなりません。このような研修カリキュラムを提供することは不可能です。そこで、現場でいま問題となっていることをテーマとして取り上げ、学習者同士が自分の経験を出し合い、また場合によっては調査・分析を通じて問題解決を行えるようアレンジする、具体的には「場」とファシリテーターを用意するのです(注1)。学習者は、このような経験を通じて能力が大きく向上することが期待されます。
このような人材育成方法を取り入れることで成功した企業といえば、GE社(General Electric Company)が挙げられるでしょう。GEは1989年にワークアウトという活動を導入しましたが、そこでは製造、技術、サービスなどの従業員が境界なく(boundary less)チームに編成され、社内の問題を解決することだけを目的としたミーティングが何度となく繰り返されます。そして、進行役として外部のコンサルタントやビジネススクールの教授といったファシリテーターがサポートします。前CEOのジャック・ウェルチは、1995年のアニュアルレポートで、ワークアウトのことを「当社の社内変革で最も重要なステップとなる自己啓発だった」と振り返っています。 実は、このような活動は日本企業のお家芸ともいえます。現在は形骸化してしまった企業が多いかもしれませんが、かつてはQCサークルがさかんに導入されていました。このような活動は社会人学習者の特徴を活かした人材育成方法であることから、その意義を再確認した上で、復活されることが望まれるでしょう。
さて、前節での議論をさらに発展させ、「研修」という枠を取り払って、社会人のあるべき学習方法を考えてみます。
前節ではGEのワークアウトやQCサークルを例に挙げ、社会人が問題解決という経験を通じて、学習していくことを説明しました。しかし、問題解決は研修の場だけで行われるわけではありません。むしろ、日常の業務活動の中で行われるほうが多いでしょう。日常業務での経験は社会人の学習につながらないのでしょうか。この疑問に対する答えは、以下の説明に凝縮されているでしょう。
「『何かを学ぶためには自分で体験する以上に良い方法はない』というアインシュタインの言葉が示すように、人は直接的な経験を通じて成長する。事実、成人の能力開発の70%以上は経験によって説明される」(注2)
平たく言えば、社会人というものは研修で学ぶことよりも、日常の業務経験から学ぶことの方がはるかに多いということです。ということは、人材開発担当者の出番はなくなってしまうのでしょうか。そのようなことはありません。経験から学ぶことは簡単ではないからです。単に業務を経験するだけでは、自分自身にとってどのような意味があるのかに気づかず、経験が自分の目の前を通過するだけで終わってしまいます(注3)。人材開発担当者には、経験から学ぶための学習方法を伝えること、あるいは経験から意味を抽出するための支援が求められるでしょう。そして、究極的には、社会人学習者が日常業務の中から絶えず学ぶというサイクルが自律的に回っていく組織状態を作り上げることが、人材開発担当者に期待されることではないでしょうか。 なお、経験から学ぶ方法については、コルブ(David A. Kolb)に代表される経験学習理論が貢献しうると考えられます。経験学習理論については、稿を改めて説明いたします。
このように、社会人学習者の特徴を考えた場合、社会人教育には、伝統的な学校教育とは異なる方法が必要となります。とはいうものの、伝統的学校教育に準じる研修方法が役に立たないわけではありません。
能力開発の7割に対応する部分、すなわち現場経験から学習することはもちろん重視しなければなりませんが、残りの3割もおろそかにすることはできません。なぜならば学習者はありとあらゆる経験をすることはできませんし、とりわけ良質の経験ができるのはごくわずかだからです。そのため、先達の経験がもとになって作られた理論体系を、現場を離れたところで、じっくりと学ぶことも意義深いということを、最後に付け加えておきます。
注1:現場での問題をテーマとして取り上げ、学習者同士が自分の経験を出し合い、また場合によっては調査・分析を通じて問題解決方法を発表させるという方法は、アクション・リサーチと呼ばれている。
注2:このようなことはマッコール、金井をはじめ、さまざまな研究者が指摘している。本文は、松尾(2006)から引用した。
注3:哲学者で教育学者でもあるデューイの言葉を借りれば、「経験されたものをより一層豊かに一段と組織化された形態へと進展させること」をしなければならないのです。また同時に「反省こそ、経験の知的組織化の真髄である」と述べています。(Dewey, 1938)
Cranton, P. (1992) “Working With Adult Learners,” Toronto: Wall & Emerson. [入江直子・豊田千代子・三輪建二訳(1999)、『おとなの学びを拓く』鳳書房。]
Dewey, J. (1938) “Experience and Education,” The Macmillan Company. [市川尚久訳(2004)『経験と教育』講談社学術文庫。]
Knowles, M. S. (1980) “The Modern Practice of Adult Education: From Pedagogy to Andragogy (2nd ed.),” New York: Cambridge Books.[堀薫夫・三輪建二監訳(2002)『成人教育の現場的実践-ペダゴジーからアンドラゴジーへ』鳳書房。]
Kolb D.A. (1984) “Experiential Learning: Experience as The Source of Learning and Development,” Prentice Hall, Englewood cliffs. New Jersev.
松尾睦(2006)『経験からの学習-プロフェッショナルへの成長プロセス』同文舘出版。
中原淳編著、荒木淳子・北村士郎・長岡健・橋本諭著(2006)『企業内人材育成入門-人を育てる心理・教育学の基本理論を学ぶ』ダイヤモンド社。
(2008.7)
桜美林大学ビジネスマネジメント学群 准教授(経営戦略・事業変革)
坂本 雅明
Masaaki Sakamoto
一橋大学MBA、東京工業大学博士(技術経営)。NEC、NEC総研、富士ゼロックス総合教育研究所(現 パーソル総合研究所)を経て現職。事業変革の要は人・組織だという考えのもと、戦略実行力や自己変革、組織間連携などをテーマに数多くの定量研究を行う。主要著書に『戦略の実行とミドルのマネジメント』、『事業戦略策定ガイドブック』、『事業戦略実行ガイドブック』。富士ゼロックス総合教育研究所にて10年間にわたり人材開発白書を担当。東京都立大学 大学院ビジネススクール 非常勤講師(戦略経営)
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