調査・研究コラム

インフレ・人材不足時代に人材をつなぎとめる「給与の未来展望」―給与の「未来不安」が離職を生む時代に、企業は何を示すべきか

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  研究員

研究員

砂川 和泉

インフレ・人材不足時代に人材をつなぎとめる「給与の未来展望」―給与の「未来不安」が離職を生む時代に、企業は何を示すべきか

インフレと人材不足が重なるなか、賃上げは企業にとって避けて通れない課題となっている。初任給の引き上げやベースアップなど、賃金水準の改善は急速に進んでいる。しかし、その多くは若手層に集中しており、中堅層以降の離職増加や育成行動の停滞といった副作用も生じている<詳細はコラム「賃上げ局面で顕在化する報酬設計の盲点―離職と育成停滞を招く「働く合理性」の揺らぎ」参照>。

賃上げ議論では「他社と比べて給与が高いか低いか」という比較が注目されがちである。もちろん企業は採用競争上、他社の水準を参考にせざるを得ないが、従業員の就業意識を左右するのは他社比較ではなく、自分自身の将来の見通しである。

従業員は給与を「現在の金額」だけで判断しているわけではない。この先の給与がどう変わるのかという未来展望が、定着やエンゲージメントに強い影響を与えている。こうした状況下では、企業が給与をどのように考え、どのように将来を示すのかという姿勢と伝え方がますます重要になっている。

本コラムでは、パーソル総合研究所の「賃上げと就業意識に関する定量調査」を基に、従業員が給与をどのように捉えているのかを整理し、インフレ・人材不足の時代に求められる報酬設計の方向性を考える。

従業員が比べているのは「他人」ではなく「未来の自分」

給与に関する比較には、「ヨコ比較(同僚・他社)」と「タテ比較(過去と未来の自分)」の2種類がある(図表1)。分析の結果、継続就業意向やエンゲージメントと強く関連していたのはヨコ比較ではなく、タテ比較、特に将来の給与に対する「未来不安」であった。従業員の意欲を左右するのは「今、他人と比べてどのくらい高いか」ではなく、「この先も給与が上がると信じられるか」である。

例えば、将来の昇給に希望が持てない、将来の生活を考えると現在の給与では不安がある、この会社で将来的に十分な給与や退職金を得られるとは思えないといった不安は、継続就業意向やワーク・エンゲイジメントと密接に結びついていた。特に40代以下、中でも20代ではその影響が強く、将来の給与への不安が、継続就業意向の低さと関係していた。

図表1:給与に対する比較意識(タテ比較とヨコ比較)

図表1:給与に対する比較意識(タテ比較とヨコ比較)

出所:パーソル総合研究所(2025)「賃上げと就業意識に関する定量調査」

従業員が気にしているのは「5年以内」の給与

また、従業員が最も関心を寄せている将来時点に目を向けると、「5年以内」の給与水準を気にしている人が多い(図表2)。遠い将来の昇進による大幅昇給よりも、数年先の具体的な給与の見通しが重視されている。転職が一般化し、キャリアの選択肢が広がった現在、従業員は長期的な昇給期待よりも、近い将来の確実性を重視する傾向が強い。

図表2:将来の給与水準で最も気になる時期

図表2:将来の給与水準で最も気になる時期

出所:パーソル総合研究所(2025)「賃上げと就業意識に関する定量調査」

給与が「変わらないこと」は「下がる」ことと同じ離職リスク

ここで確認したいのは、数年先の給与が据え置かれた場合の従業員の行動である。

40代以下について、3年後の給与の見通しと継続就業意向との関係を見てみると、給与が「変わらない見込み」の人の継続就業意向は27.0%で、「下がる見込み」の人(31.5%)とほぼ同水準であった(図表3)。つまり、給与が変わらないことは下がることと同程度の離職リスクを持つ。物価が上昇し続ける環境では、給与据え置きは実質的な低下と受け取られやすい。

図表3:給与が変わらない場合の継続就業意向

図表3:給与が変わらない場合の認識

出所:パーソル総合研究所(2025)「賃上げと就業意識に関する定量調査」

給与が上がらないと、人はどう動くのか

では、給与が上がらないと感じたとき、従業員はどのように行動するのか。調査で上位に挙がったのは、「支出の見直し」「投資」、そして「転職検討」であった。社内で昇進・昇格やスキルアップを目指すよりも、社外の選択肢を検討する人のほうが多い。特に20代では、約4割が転職を視野に入れていた(図表4)。若手層の離職に悩む企業は多いが、給与の停滞は、離職の引き金になり得ることを認識する必要がある。

図表4:給与が上がらない場合の行動

図表4:給与が上がらない場合の行動

出所:パーソル総合研究所(2025)「賃上げと就業意識に関する定量調査」

「時間」と「納得性」が給与不安を和らげる

さらに検討すべきは、給与以外の要素が就業意識をどう下支えできるかである。報酬設計を考えるには、非金銭的報酬を含めたトータルリワードの観点が欠かせない。

トータルリワードの観点で分析すると、給与に対する不安があっても就業意識を下支えする要素として大きかったのが、「時間とのバランス」と「納得性とのバランス」である(図表5)。「時間とのバランス」には、休みのとりやすさや時間外労働の削減、フレックスタイム、中抜け、短日短時間勤務など、自身の裁量で働き方を調整できる環境が含まれる。一方の「納得性とのバランス」とは、給与がどの水準と比べて、どのような方針で、どのようなプロセス・運用で決まるのかという透明性である。

図表5:離職防止やエンゲージメント向上と関係する主な要素

図表5:離職防止やエンゲージメント向上と関係する主な要素

出所:パーソル総合研究所(2025)「賃上げと就業意識に関する定量調査」

特に離職防止に効いていたのは、休みのとりやすさや時間外労働の削減、そして、給与の調整方針の透明性であった(図表6)。20代では「給与の決定方針の透明性」が最も影響しており、給与がどう決まるのかが見えることが定着の鍵となっている。

例えば、経営層が報酬方針や考え方を説明している、自社の給与水準に関する考え方が明示されている、給与体系が根拠とともに明文化されている、といった取り組みは従業員の納得感につながる。さらに、景気・業績・市場賃金といった指標に応じて昇給幅がどのように変動するのか、働き方や職務内容に応じてどのように公平性を担保しているのかといった調整方針を示すことで、従業員の将来不安は和らぎやすい。

図表6:継続就業意向に影響する要素 TOP3

図表6:継続就業意向に影響する要素 TOP3

出所:パーソル総合研究所(2025)「賃上げと就業意識に関する定量調査」

「人事版フォワードガイダンス」という発想

こうした状況を踏まえれば、報酬設計の核心は「未来の見せ方」にある。そこで参考になるのが、中央銀行の金融政策で用いられる「フォワードガイダンス」である。

フォワードガイダンスとは、将来の政策方針を事前に示すことで、市場の期待を安定させる仕組みである。例えば、日本銀行は2025年12月の金融政策決定会合において、賃金や物価の状況を踏まえた政策金利の見通しを示している注1。これは、家計や企業の将来見通しの不確実性を和らげ、経済・金融環境の安定を促すための対応である。

注1

日本銀行「2025年12月金融政策決定会合での決定内容」参照
https://www.boj.or.jp/mopo/mpmdeci/mpr_2025/k251219b.pdf (2026年3月10日アクセス)

これを人事に応用すれば、どの条件で給与が変わるのかという「将来の考え方」を示すことで、従業員の期待形成を支える手法といえる。具体的には、賃金改定の頻度や物価・業績・市場賃金との連動、分配ルールなどを方針として明示し、定期的にアップデートしていくことが有効だと考えられる。

同様の発想を取り入れた企業も増えている。例えば、富国生命保険は、利益配分方針の優先順位として、契約者還元、従業員処遇改善、内部留保という方針を示し、従業員への還元姿勢を明確にしている注2。また、日本製鉄は、利益の還元に関する目標やKPIの中に従業員への給与支払いを位置づけ、給与支給額や給与改訂額の項目を設けている注3。さらに、ノジマは、年2回のベースアップを継続実施すると宣言し、改訂頻度そのものを示すことで見通しを作っている注4。これらはいずれも金額を保証するものではないが、処遇の見通しを示すことで従業員の未来不安を和らげる効果が期待できる点で共通している。

注2

富国生命保険相互会社 2024年度決算(案)報告説明用資料(2025年5月26日)参照
https://www.fukoku-life.co.jp/about/ir/news/upload/20250526_4.pdf(2026年3月10日アクセス)

注3

日本製鉄株式会社HP参照
https://www.nipponsteel.com/ir/management/materiality/return.html (2026年3月10日アクセス)

注4

株式会社ノジマ (2025年7月8日 プレスリリース)参照
https://www.nojima.co.jp/news/category/press/474255/ (2026年3月10日アクセス)

まとめにかえて: 報酬設計は「未来のメッセージ」である

調査結果が示すように、従業員の就業意識を左右するのは、現在の給与水準よりも「数年先の自分の給与がどうなるのか」という未来の見え方である。給与が変わらないことは、もはや現状維持ではない。インフレ環境では実質的な低下として認識され、離職リスクにつながる。

したがって、インフレ・採用難の時代に人事が優先すべきは、給与決定プロセス・調整方針の透明化(人事版フォワードガイダンス)と時間的余裕や働きやすさによる補完である。すべての企業が大幅な賃上げを実現できるわけではない。しかし、将来の給与の考え方や方向性を示し、それに向けた経営努力を可視化することは、多くの企業が取り組める。

報酬設計とは単なる給与配分の仕組みではなく、「この会社で働き続けた先にどのような未来があるのか」を伝えるメッセージである。未来の展望を適切に示すことが、人材をつなぎとめ、企業が持続的に成長するための基盤となる。

執筆者紹介

  研究員 砂川 和泉

研究員

砂川 和泉 Izumi Sunakawa

大手市場調査会社にて10年以上にわたり調査・分析業務に従事。各種定量・定性調査や顧客企業のビジネスデータ分析を担当したほか、自社の社員意識調査と人事データの統合分析や働き方改革プロジェクトにも参画。2018年より現職。
著書に『学びをやめない生き方入門』(中原 淳、ベネッセ教育総合研究所との共著・テオリア)。

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