「ダイバーシティ(多様性)」という言葉が日本企業に浸透して久しい。労働力不足の深刻化や人的資本経営への関心の高まりを背景に、女性活躍推進やシニア人材の活用、障害者雇用など、多様な人材を受け入れるための制度整備は着実に進展しているといえるだろう。統合報告書やサステナビリティレポートにおいても、非財務指標としてダイバーシティ関連の数値目標を掲げる企業は増加の一途をたどっている。
しかし、制度や数値目標といった「枠組み」が整う一方で、現場に目を向けると必ずしも芳しい状況ばかりではないのが現実である。「多様性は重要である」という理念そのものに異論はなくとも、実際に価値観の異なる他者と協働する場面では、コミュニケーションの齟齬(そご)やストレスが生じている。推進の旗振り役である人事部門ですら、遅々として進まない現状に疲弊している。そんな「停滞感」とも呼ぶべき空気が、多くの組織で観察されるようになっていないだろうか。
パーソル総合研究所では、こうした現状の要因を客観的にひもとくべく、「組織のダイバーシティ(多様性)に関する定量調査」を実施した。本コラムでは、その最新データから見えてきた、日本企業が直面するダイバーシティ推進の「壁」とその構造的要因について考察したい。
まず確認しておきたいのは、従業員のダイバーシティに対する受容度の現状である。調査結果を見ると、高い受容度が示されている(図表1)。
「多様な人材が活躍できる社会は、より良い社会だと思う」という項目に対し、70.6%の従業員が肯定的な回答をしている。社会的な理念としての重要性や正当性は、すでに大多数のビジネスパーソンが認めているといってよいだろう。
だが、この数字をそのまま組織内の受容度として捉えることは早計である。質問の焦点を「社会」から「自身の職場・業務」に近い文脈へと移していくと、受容度は段階的に低下していく傾向が見られるからだ。
「勤務先が多様な人材を積極的に受け入れることは良いことだ」では66.5%、さらに「勤務先は活躍推進に力を入れるべきだ」となると、肯定回答は60.7%まで下落する。
自身の職場環境に直接影響が及ぶ範囲となると、賛同のトーンが慎重になる様子が見て取れる。
さらに、個人の内面に潜む抵抗感についても詳細を見ていく必要がある。「多様な人材の受け入れに抵抗がある」といった直接的な設問への肯定率は低いものの、「自分とは考え方や価値観が大きく異なる同僚と一緒に働くのは、ストレスを感じる」という、より実務的な感覚を問う設問では、半数以上となる54.3%が「あてはまる」と回答した(図表2)。
ここから読み取れるのは、「頭では理解していても、実務や感情が追いついていない」という現場の実態である。
社会的な正義として「総論賛成」であっても、いざ自分の職場で異質な他者と働くとなると、戸惑いやストレスが生じる。この意識と実態の乖離こそが、現在の日本企業が直面しているダイバーシティ推進の壁の正体であると考えられる。
この意識構造をより明確にするため、本調査では従業員を「一般的受容度」と「個人的抵抗感」の2軸で4つのタイプに分類して分析を行った(図表3)。
分析の結果、最も高い比率を占めたのは、ダイバーシティの理念には賛同しつつも、現場での協働にはストレスや抵抗感を抱えている層であり、これを本調査では「ダイバーシティ葛藤派」と定義した。その割合は39.4%に達しており、組織内のボリュームゾーンとなっている。
これまでダイバーシティ推進の障壁として想定されがちだった、理念そのものに反対する「抵抗派(10.5%)」や、関心を持たない「無関心派(12.9%)」は、本調査では少数派に過ぎない。
現場のボリュームゾーンは、「重要性は理解しているが、実際には負担を感じている」という葛藤派によって構成されているのである。
職種別の傾向についても触れておきたい。「販売職」などの現場職で葛藤派が多いのは業務特性上想定されることであるが、注目すべきは「間接部門(人事、総務、経理など)」においても葛藤派が41.4%と、全職種の中で高い水準にある点だ(図表4)。
ダイバーシティを推進する立場にある人事・管理部門の従業員自身もまた、掲げる理想と現場で発生する実務的な摩擦との間で、葛藤を抱えている実態が示唆されるデータといえるだろう。
なぜ、これほどまでに現場は葛藤を感じているのだろうか。分析から見えてきたのは、従業員の属性や価値観が多様になればなるほど、この「葛藤派」の割合が増加する傾向にあるということだ。
本調査では、性別や年齢といった表層的な「属性のダイバーシティ」と、考え方や経験といった深層的な「価値観のダイバーシティ」の2指標を用いて分析を行った。その結果、いずれの多様性が高まった場合でも、「ダイバーシティ葛藤派」の発生率は統計的に有意に高まることがデータからうかがえた。
つまり、単に多様な人材を集め、属性や価値観の多様性を高めるだけでは、現場におけるストレスや摩擦のリスクを構造的に高めてしまう側面があるといえそうだ。これまでの日本企業が主に取り組んできた「属性」や「価値観」の多様化をただ推し進めるだけでは、現場の摩擦を和らげることには限界があるのではないだろうか。
これはある種、ダイバーシティ推進における「避けては通れない構造的な摩擦」といえるかもしれない。今後、労働力不足を背景に、女性、シニア、外国人材など、労働市場の多様化は不可逆的に進んでいくことが見込まれる。加えて、「静かな退職(Quiet Quitting)」に見られるような就業観の多様化も著しい。職場における異質性は今後ますます高まり、それに伴い葛藤を抱える層も増え続けることが予測される。
では、具体的に何が個人の抵抗感を高めているのか。その要因を詳細に分析すると、興味深い事実が明らかになった。
一般的に想定される「仕事の不公平感」や「人間関係のあつれき」といった現場の実質的な摩擦以上に、個人の抵抗感に強い影響を与えていたのは、「施策の空回り感」であった(図表6)。ここでいう「施策の空回り感」とは、「会社がやっているダイバーシティ施策は中身がない」「現場の実態と乖離している」といった、会社の取り組みに対する否定的な認識を指す。
多変量解析の結果において、この「空回り感」の影響度は、現場の人間関係の摩擦(関係性コンフリクト)よりも高い数値を示した。これは、従業員がダイバーシティに抵抗を感じる主要因が、「異質な他者との協働負荷」だけではないことを示唆している。むしろ、「会社が実施している施策が表面的であり、腹落ちしない」という、施策に対する諦念やシニシズム(冷笑)こそが、ダイバーシティ推進の大きな阻害要因となっている可能性があるのだ。
なぜ、これほどまでにダイバーシティ施策に対して「空回り感」が生じてしまうのだろうか。その背景には、労使間におけるダイバーシティ推進の「目的の認識ギャップ」が存在している。
企業側(人事・経営層)にダイバーシティ推進の目的を尋ねると、「従業員エンゲイジメントの向上」や「イノベーション創出」「組織風土の改革」といった、組織強化につながる項目が上位を占める傾向にある(図表7)。
一方、従業員側に「会社が何を重視していると思うか」を尋ねると、「企業イメージの向上」や「ハラスメントなどの労務リスクの防止」「法令順守」といった、対外的な体裁や守りに関する項目が上位に挙がる。
経営層が「組織を強くするための施策」と位置づけていても、現場はそれを「外向きのアピール」や「リスク回避のため」の施策であると受け止めている。この認識のズレが解消されない限り、施策を重ねても現場の納得感は得られず、かえって「やらされ感」を助長させてしまう恐れがある。
さらにデータは、ダイバーシティ施策の数が中程度の場合に、この「空回り感」や「個人的抵抗感」が最も強くなる傾向を示している(図表8)。すなわち、施策数が極端に少ない場合よりも、中途半端に形だけ整えるようなアプローチの方が、現場の負担感と「やっている感」への反発を招きやすいということだ。とりあえず制度を導入する、といった限定的な対応こそが、かえって現場の不信感を増幅させるリスクをはらんでいるといえるだろう。
本コラムでは、データを通じてダイバーシティ推進の裏側にある従業員の「葛藤」や施策の「空回り」の構造について見てきた。多様な人材が集まれば、一定の摩擦が起きるのは必然である。しかし、それ以上に現場の推進力を削いでいるのは、経営と現場の意識の乖離による「納得感の欠如」であった。
労働力不足が加速する日本企業において、ダイバーシティ推進の手を緩めるという選択肢は現実的ではない。だからこそ、経営や人事は、単に制度を導入したり数値を追ったりするだけでなく、その目的と意義について、現場と丁寧に対話を重ねる必要があるだろう。
「なぜ、今ダイバーシティが必要なのか」。その問いに対し、借り物ではない自社ならではの言葉で語りかけ、現場が抱える葛藤に寄り添うこと。そうした地道なプロセスを経て、施策の「空回り」を「推進力」へと転換していくことが、今の日本企業には求められているのではないだろうか。
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