人的資本経営やAIの普及を背景に、人事部はこれまでのような管理的業務を中心とした人事から、経営戦略の実現を担う「戦略人事」への転換が求められている。しかし、多くの企業では依然として経営との連動が十分とはいえない。本コラムでは、パーソル総合研究所が2021年と2026年に実施した人事部に関する調査※結果を比較しながら、戦略人事が進まない理由と今後の方向性を考察する。
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パーソル総合研究所(2022)「人事部大研究」
パーソル総合研究所(2026)「人事部トレンド定量調査2026」
「人事は経営のパートナーになるべきだ」。この言葉が語られるようになって久しい。人的資本経営、HRBP、CHROといった概念が広がり、多くの企業が「戦略人事」を掲げるようになった。しかし、その掛け声に比べて、日本企業の人事部は本当に変わったのだろうか。
パーソル総合研究所が2021年に実施した「人事部大研究」は、日本企業の人事部が大きな転換点にあることを示していた。当時は、VUCA時代やSDGsへの対応を背景に、人事には従来の制度運営部門から、経営戦略を支えるCHROやHRBPへの進化が期待されていた。調査でも、定例・定型業務を担うだけではなく、人材戦略や人材ポリシーを主体的に策定・実行する役割への期待が高まりつつあることが確認されていた。
それから5年後の2026年。人的資本情報の開示義務化、生成AIやAIエージェントの急速な普及、深刻な人材不足など、企業を取り巻く環境は劇的に変化した。人と組織を取り巻く課題は、かつてないほど経営の中核に位置付けられるようになっている。
実際に「人事部トレンド定量調査2026」では、企業の経営課題の上位には「人材の確保・採用競争への対応」「人材育成・リスキリング・最適配置」「DX・AIを活用した業務変革」が並び、経営課題そのものが「ヒト」の問題へと集約していることが明らかになった。人材はもはや人事部だけのテーマではなく、経営そのもののテーマになったといってよい。
しかし興味深いのは、その一方で人事部の担う役割が、必ずしも経営課題の中核にまで近づいているわけではないという現実である。
2026年調査によれば、人事部が主導している業務は依然として新卒採用、中途採用、人事考課などの実務運営が中心であり、経営戦略や組織戦略の策定、さらにはDX・AI推進への関与は限定的であった。人材が経営課題の中心になったにもかかわらず、人事部の役割は依然としてオペレーションにとどまっているのである。
なぜ、このような状況が生まれているのだろうか。
2021年調査では、「人事部の専門性が足りない」「戦略人材が不足している」などの理由が多かった。しかし、2026年の調査結果を詳しく見ると問題はもう少し根深い。
多変量解析では、人事部の戦略的パフォーマンス(経営戦略と連動した人材戦略に基づき人と組織を通じて事業成果に貢献する人事の発揮度合い)を最も阻害している要因として、「事業部門とのコミュニケーション不足」「人事部門全体のビジョンや目的の欠如」「企画構想力の不足」が抽出された(図表2)。
事業部門との対話が不足すれば、現場の事業課題を人材課題として捉え直すことが難しくなる。また、人事部門としてのビジョンが曖昧なままでは、採用・育成・配置・評価といった施策が個別最適に陥りやすい。企画構想力の不足は、こうした課題を経営戦略と結び付け、実行可能な人材戦略へ落とし込むうえでの障壁となる。人員不足や専門性不足も課題ではあるものの、それ以上に、人事が経営や事業と十分につながっていないことが、戦略人事を阻む本質的な要因となっている。
この結果は、2021年調査とも重なる。当時、HRBPに期待されていた役割は、人事制度を運営することではなく、事業を理解し、経営と人材を結び付ける「橋渡し役」であった。つまり、日本企業が目指す方向性は2021年から変わっていないのである。変わったのは、経営環境の厳しさだ。
当時は「戦略人事になるべきだ」という未来志向の議論だった。しかし2026年の現場では、人事部は人材不足、離職防止、エンゲージメント向上、メンタルヘルス対応など、目の前の課題への対応に追われている。2021年と比較すると、人事課題は「採用すること」から、「既存人材を定着させ、活躍し続けてもらうこと」へと大きくシフトしていた。戦略人事を目指す以前に、現場を維持すること自体が重要課題になっているのである。
しかし、この状況を「人事部が忙しいから仕方がない」と片付けるべきではない。むしろ、人事部が日々の運営に追われれば追われるほど、経営との距離はさらに広がる。その結果、人事はますます「制度を運営する部署」として固定化され、経営から期待される役割とのギャップは拡大していく。この悪循環こそが、日本企業における戦略人事を阻む大きな壁ではないだろうか。
一方で、今回の調査には希望も示されている。前述の様に人事部の戦略的パフォーマンスと財務パフォーマンスとの間には正の関係が見られた。また、人事部の戦略的パフォーマンスを阻害する要因として、人事部門の企画構想力の低さ、事業部門とのコミュニケーション不足、人事部門全体に共通するビジョンや目的がないことが確認された。戦略人事は理念ではなく、企業業績とも結び付く経営課題なのである。
では、人事部は何から変わるべきなのか。
その第一歩は、新しい制度やメソッドの導入そのものではなく、まず、自社の経営戦略を理解し、「人事部は何を実現する組織なのか」という存在意義を言語化することにある。その上で、事業部との対話を通じて、人材戦略を経営戦略と接続し、人材データを経営判断に活用できる体制を整えていく必要がある。制度改革は、その後に続く手段にすぎない。
2030年に向けて、AIはさらに経営戦略の中心へ組み込まれていくだろう。その時、経営が問うのは、「どの制度を導入したか」ではない。「どのような組織能力を獲得し、どのような人材ポートフォリオを築いたのか」である。
2021年、人事には「経営に近づくこと」が期待された。そして2026年、人事には「経営課題を人材課題へ翻訳すること」が求められている。戦略人事に必要なのは、人事部長の肩書きを変えることでも、HRBPという組織を設置することでもない。経営の未来を、人と組織の未来へと描き直す力を持つことである。その取り組みは、今ようやく本当のスタートラインに立ったといえる。
経営課題が「ヒト」の問題へと大きくシフトする中、人事部には経営戦略の実現を支える戦略人事への転換が求められている。しかし、2026年調査からは、人事部の役割が依然として採用・評価・制度運営などの実務にとどまり、経営戦略や事業課題への関与が十分に進んでいない実態が見えてきた。
戦略人事が進まない理由は、人事部の専門性不足だけではない。より本質的には、事業部門との対話不足、人事部門としてのビジョンや目的の曖昧さ、そして経営課題を人材戦略に落とし込む企画構想力の不足にある。人材が経営の中心課題になっているにもかかわらず、人事部が経営や事業と十分につながりきれていないことが、戦略人事への移行を阻んでいる。
戦略人事の実現に向けて必要なのは、新たな制度やメソッドを導入することそのものではない。まず人事部が自らの役割と目的を明確にし、事業部門との対話を通じて、経営戦略を人材戦略へ落とし込む力を高めることである。経営の未来を人と組織の未来へと描き直す力を持つこと――それこそが、人事部が企業価値の向上に貢献する真の経営パートナーへ進化するための出発点である。
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