近年、物価上昇と人材不足が重なり、国内の各産業で賃上げの機運が高まっている。医療分野でも、2024年度の診療報酬改定は処遇改善を主眼とした公定価格の見直しが行われた。
しかし、診療報酬という公定価格に依存する収益構造、人材不足の慢性化、医療を取り巻く経営難が重なり、賃上げ原資には限界がある。医療従事者の処遇改善は長年の課題であるが、抜本的な解決には至っていない。
パーソル総合研究所が実施した「医療従事者の職業生活に関する定量調査」の結果においても、収入に対する満足度は総じて低水準であった。しかし、賃上げの余地に制約がある現実を踏まえれば、医療現場のモチベーションの維持・向上は金銭的報酬以外の設計にかかっている。そして、こうしたモチベーション設計は、中長期的な人材定着(リテンション)にも直結する。
そのため、非金銭的報酬をいかに設計・運用するかが経営課題であるだろう。本コラムでは、調査結果を踏まえモチベーションとリテンションを支える要因を整理し、実装可能な処方箋を考えたい。
調査では「現在の収入に満足している」と回答した割合は、看護師群で15.1%、リハビリテーション職群で14.2%にとどまった(図表1)。「現在の収入は高い」と答えた割合も同様に1割強にすぎない。医療従事者の多くは、自らの収入を「高い」とも「十分」とも感じていないことが分かった。
一方で、「現在の収入は安定している」と答えた割合は、看護師群45.1%、リハビリテーション職群46.3%、医療事務職群49.0%と、いずれもおよそ半数に達している(図表2)。収入額そのものには不満を抱えつつも、「給与は確実に支払われる」という安定性は一定の評価を得ているのである。
この背景には、医療従事者の雇用慣行がある。病院やクリニックの経営が厳しくとも、医療ニーズは高齢化とともに拡大し続け、雇用そのものが失われる可能性は低い。加えて、医療従事者は社会的に不可欠な役割を担っているため、雇用調整の対象になりにくい。つまり「収入の多寡」よりも「失職リスクの低さ」が安心感を支え、安定性の評価につながっていると考えられる。
しかし、こうした安定感にも限界がある。「収入が現在の仕事に見合っている」かどうかを職種別に見ると、「あてはまる」と回答した割合は、医療事務職群で9.8%と最低水準であり、看護師群も12.1%にとどまる(図表3)。
このことは、若年層のなり手不足にもつながる。例えば看護職は専門的な知識と技能を必要とするにもかかわらず、給与が見合わないという認識が広がれば、将来的に人材確保は一層困難になる。現場を支える基盤的な職種ほど待遇の低さに直面しており、長期的に医療提供体制の持続可能性を脅かす要因となりえるだろう。
さらに、勤務先の経営状況に対する評価も厳しい。「現在の経営状況は良い」と答えた割合は看護師群で14.4%、リハビリテーション職群で18.6%にとどまる。「来年の経営見通し」について楽観視する人も極めて少ない(図表4)。
筆者は過去のコラム「医療・福祉業は、今後も賃上げできるのか」(2024年12月26日公開)において、医療機関が賃上げするための原資を確保する難しさを指摘した。
2025年10月末時点でも、政府は2026年度診療報酬改定に向けて、物価高騰や人件費上昇に直面する医療機関の経営環境や処遇改善の在り方の議論を進めている。しかし一方で、保険料負担の抑制や医療保険財政の持続可能性の観点から、医療費の効率化・適正化を求める議論も強く、診療報酬全体として大胆なプラス改定を見込むことは容易ではない。報酬改善の必要性が広く共有されながらも、その財源制約が厳しさを増しているというジレンマに、医療現場は直面している。
では、報酬への不満が強い中で、医療従事者は何をモチベーションとして働いているのか。調査からは、「やりがい」に対する興味深い結果が得られた。
看護師群やリハビリテーション職群では「患者や家族から感謝の言葉をもらったとき」にやりがいを感じると最も多く挙げられた(図表5)。他には「患者の回復や症状改善を実感したとき」「自分の関わりが誰かの生活に役立ったと感じられたとき」に、やりがいを感じている。これらは「人との関わり」に根差したモチベーションである。
一方、その他の医療職群では「専門知識・スキルが向上したと実感したとき」が最上位に上がった。専門性を高め、その成果を発揮できることがやりがいにつながっている。医療事務職群では「同僚や他職種のスタッフから感謝の言葉をもらったとき」が上位に入り、協働や相互承認が大きな役割を果たしている。
この結果は、医療従事者のモチベーションが「給与額」だけではなく、患者・家族からの感謝、専門性の発揮、チームの協働といった「非金銭的要素」に強く依拠していることを示している。つまり「人との関わり」と「専門性の発揮」という2つの軸が、医療従事者のモチベーションを支えているのである。
では、この現実に経営者はどう応えるべきか。調査では「医療従事者であることに誇りを感じる」と回答した割合が過半数を超える一方、「この職業を他人に勧めたい」との回答は2割前後にとどまった(図表6)。誇りはあるが、待遇や環境には課題が残る。このギャップを埋めることが、経営の重要課題である。
報酬改善の余地が限られる中で経営者が取り組むべきは、非金銭的報酬をどのように設計できるかだろう。具体的には以下の3つが重要だ。
1.評価とキャリアの透明性
特に看護職や医療事務職などは個人の成果が見えにくいため、評価の不透明さが不満につながりやすい。努力や成果を見える化し、キャリアの道筋を明確に示すことで、将来への安心感の提供が期待できる。
例えば、岡山済生会総合病院では、医師を含む全職種を対象とした病院独自の人事考課制度を整備し、昇給や昇格に反映させている※1。診療実績や研究実績を基にした評価項目を設け、面談を通じてフィードバックを行うほか、各職種に資格取得支援や能力開発プログラムを提供している。看護部門では、求められる実践能力を段階に分け、各レベルでの具体的な行動目標を示した評価指針である「クリニカルラダー」を導入し、個々のレベルに応じた教育を実施。さらに、がん化学療法の院内資格認定制度や表彰制度も設けており、モチベーション向上と専門性の発揮を後押ししている。
※1
岡山済生会総合病院.看護分野のスペシャリスト. 岡山済生会総合病院 看護部.
https://www.okayamasaiseikai.or.jp/sector/section_nurse/training/specialist/
2.多職種連携における貢献の可視化
看護師だけでなく、リハビリテーション職や医療事務職が果たす役割を組織で評価し合う仕組みを整えることが、承認欲求を満たし、誇りをさらに強める。チーム医療の指針「日本赤十字社 チーム医療の推進に関する手引き※2」には、優れたチーム医療実践を表彰制度で毎年選定する仕組みなどが例示されており、これが職員のモチベーション向上に寄与していることが報告されている。
※2
日本赤十字社. チーム医療の推進に関する手引き(第3版). 日本赤十字社医療事業推進本部. https://plaza.umin.ac.jp/~jrcce/files/pdf/2024/3rd_team%20medical%20care_guidance/3rd_team%20medical%20care_guidance.pdf
3.成長促進の機会を創出
日々アップデートされる医療において、学び続けることは当然の責務だ。ただし、その機会を組織として保障し、日常に取り入れることもモチベーション維持につながる。例えば、研修や学習の時間を計画的に確保し、スキル向上を評価やキャリアパスに反映する仕組みである。
公益財団法人日本医療機能評価機構による「患者満足度・職員やりがい度活用支援プログラム 年報(2022年度)※3」では、医療機関における職員の「学習や成長」や「キャリア形成支援」の満足度が高いほど、勤続意欲も高い傾向が示されている。これは、非金銭的報酬の設計が医療従事者のリテンションを高めるうえで有効である可能性を示唆している。
※3
公益財団法人日本医療機能評価機構.(2024).患者満足度・職員やりがい度活用支援プログラム年報(2023年度)[抜粋版]. https://www.jq-hyouka.jcqhc.or.jp/wp-content/uploads/2024/07/manzokudo-nenpo-2023_shortened-version-3.pdf
成長促進は単なる専門性維持ではなく、「学びの場を組織がどう保障するか」が問われているといえるだろう。
医療従事者の報酬は、総じて「高くはないが安定している」という評価にある。この安定は職業生活の基盤として明確に評価されて良いだろう。一方で、経営見通しの厳しさから賃上げの余地は限られるという現実もある。だからこそ、医療現場のモチベーションの維持・向上には金銭的報酬に偏らない報酬設計が経営課題である。
経営者に求められるのは、限られた原資を配分する発想にとどまらず、非金銭的報酬をいかに設計・実装するかという視点だ。具体的には、①評価とキャリアの透明性(努力と成長の可視化)、②多職種連携における貢献の可視化(承認の仕組み)、③学習・研修の機会保障(成長の仕組み)を中核に据えるべきだろう。
「モチベーション」は金銭・非金銭的対価と両輪である。報酬と負担・裁量の均衡が崩れると、結果として不公平感が生じ、搾取的と受け取られうる点には注意が必要だ。
医療現場の持続可能性を確保するには、「給与を上げられるか否か」だけでなく、「給与以外に何を提供し、どう運用するかできるか」という経営者の視点が欠かせない。これは、医療従事者のモチベーションとリテンションを同時に高める経営課題でもある。
本コラムが、医療現場のモチベーション向上とリテンションを進める実践の一助になれば幸いである。
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