公開日 2024/12/02
目まぐるしく移り変わる近年の人事トレンドの軌跡を客観的な形で残し、冷静に議論したり振り返ったりできるようにすることで、「今、人事において本質的に注力すべき大事なテーマ」をより確かな目で見極められるようにしたい。そのような思いから、過去2回にわたって近年の変化を紹介してきた。
今回も、人事のトレンドワードを探るために、多くの人事担当者からのネットアンケートやヒアリングを行い、2024~2025年において注目される人事の3大ワードとして《カスハラ対策》《スキマバイト》《オフボーディング》の3つを選定した。これらを今、議論すべきテーマとして選出した理由や注目されるようになった背景などについて、働き方やダイバーシティなどについて取材・発信するジャーナリストの浜田敬子氏とワード決定の責任者を務めたパーソル総合研究所上席主任研究員の小林祐児に、各々の立場から語ってもらった。
ジャーナリスト 浜田 敬子 氏
1989年朝日新聞社に入社。支局、週刊朝日編集部を経て、99年にAERA編集部へ。2014年から同編集長。17年3月末に退社し、経済オンラインメディアBusiness Insider日本版を統括編集長として立ち上げる。20年末の退任後は、フリーランスのジャーナリストに。22年一般社団法人デジタル・ジャーナリスト育成機構を設立、代表を務める。著書に『男性中心企業の終焉』(文藝春秋)、『働く女子と罪悪感』(集英社)など。
パーソル総合研究所 シンクタンク本部 上席主任研究員 小林 祐児
上智大学大学院総合人間科学研究科社会学専攻博士前期課程修了。NHK放送文化研究所、総合マーケティングリサーチファームを経て、2015年パーソル総合研究所入社。労働・組織・雇用に関する多様なテーマについて調査・研究。専門分野は人的資源管理論・理論社会学。著作に『罰ゲーム化する管理職』(集英社インターナショナル)、『リスキリングは経営課題』(光文社)、『早期退職時代のサバイバル術』(幻冬舎)、『残業学』(光文社)、『転職学』(KADOKAWA)など。
小林:3回目となる今回のトレンドワードは、より具体的な3つを選びました。まずは《カスハラ対策》です。現象としては昔からありますが、2024年ほど話題になったことはないでしょう。背景には、インバウンドの復活でサービス業が軒並み労働力不足になったことがあります。これまで放置されてきた問題がようやく注目を集めました。
浜田氏:おっしゃるようにカスハラは以前からあり、私は朝日新聞社にいた2014年に『AERA』で「感情労働」について取り上げたことがあります。感情労働とは、相手から理不尽なことをされても、感情を抑え冷静に対応することが求められる仕事のことです。もともとは介護・医療・教育といった業界でいわれていましたが、BtoCの接客業などでも感情労働が求められるようになりました。当時は東京五輪の招致で、日本の「おもてなし」がもてはやされていました。過剰なサービスを求められる日本はおかしいのではと問題提起をしたのです。
小林:日本ほど、サービス業で優秀な人材を雇っている国はありませんでした。その中心を担っていたのは、就業経験があり、結婚・育児を機に辞めたパート主婦層です。90年代以降、そうした人材によってサービス品質が極めて高くなりました。それがインバウンドの強みになる一方で、無自覚に享受してきた消費者がいるわけです。
時が流れて、労働力不足に端を発するトラブルが急増したことに加え、今は映像がすぐに流出してしまう時代です。行き過ぎた顧客の言動が証拠として可視化され、注目を集めやすくなっています。今こそ、昔からあった問題の優先順位を上げる時だと考え、トレンドワードとして選出しました。
浜田氏:「お客様は神様です」の時代から、「従業員を守らなければ」という意識が企業に求められる時代になりました。同時に、これから接客は人手不足から自動化・ロボット化が急速に進むでしょう。
小林:《オフボーディング》には、《退職》にまつわる従業員の経験(従業員体験)に関するワードを広く含め
ました。例えば、「アルムナイ」です。われわれが調査した2019年頃から※1、アルムナイ採用を広げる動きが活発化してきました。今はさらに進んで、辞めた人とつながり続けようというコミュニティづくりが進んできている印象です。
一方、本人に代わり退職意思を会社に伝えてくれる「退職代行」サービスは、引き留めのトラブルといった退職時の企業対応に問題がある場合を中心に利用が伸びています。ネガティブになりがちな退職をいかにしてソフトランディングさせるかに注目が集まった年だったともいえます。
※1 パーソル総合研究所「コーポレート・アルムナイ(企業同窓生)に関する定量調査」
浜田氏:私は、退職代行サービスが注目され始めた2018年に『BusinessInsiderJapan』で取り上げました。新卒の売り手市場で、会社側の強い引き留めによって辞めたくても辞めづらい新入社員が増え始めていました。そうしたニーズにいち早く目を付け、退職代行がビジネスとして立ち上がってきた時期でした。当時は違法行為ではないかという非難のほうが目立ちましたが、今はイメージがかなり変わったのか、当時ほどの非難は聞こえてきません。
アルムナイ採用は、数年前から大手企業や官公庁でも開始していますが、うまく機能していない例も耳にします。出戻りは、役員レベルでは容認されても、現場レベルでは元同期と比べた場合の処遇面で折り合わない、一定のポスト以上に昇進できないといったことが多いようです。
小林:それは5年前のわれわれの調査でも数字に表れていました※1。大手企業であるほど、出戻り時の処遇において、転職していた期間の経験が考慮されず、同格かそれ以下の処遇で復帰している傾向が見られたのです。従来の日本の人事評価は、入社のスタートからゴール付近まで全員一律に進む「校内マラソン型」で行われるため、人事は既存社員の感情のほうを気にしがちです。
浜田氏:出戻り人材は職場のカルチャーも分かっている上に、リスクを負って退職して外で経験を積み、市場価値が上がっているはずです。そのため、出戻りを評価する企業がある一方で、いわゆるJTC※2と揶揄されるような旧体質の企業では特に「そうはいっても……」と抵抗する考え方が残っています。
※2 Japanese Traditional Companyの頭文字で、旧体質が残る伝統的な日本企業を揶揄するネットスラング
小林:まさにアルムナイのコミュニティ形成は、出戻り社員に対する反発を緩和させる全社的な施策だと私は捉えています。既存社員と意見交換できる場をつくることによって出戻り社員は戻りやすくなり、ハレーションも起こりにくくなる。人事がさまざまな方法でそうした接点をつくり、両者のギャップを緩やかにしていくことが、今後のアルムナイ施策の主な方向性だと思います。
小林:《スキマバイト》については、ひとつのブレイクスルーを迎えた印象です。スキマバイトサービスの先駆者のひとつであるタイミーの上場があり、人材サービス業大手をはじめ新規参入が続いています。「週1可」「半日可」といったバイト時短化の動きが進み、ある種その究極の形が生まれつつあります。
浜田氏:これも先ほどの退職代行と同様に、法規制よりも現実が先に進み、必要に駆られてサービスが生まれる典型例だと思います。
小林:利用者の対象が学生から始まって社会人に広がってきている中で、私は今後ホワイトカラーの間でどこまで広がるかを注視しています。副業、そして転職のための簡易的なインターンシップとして機能する可能性があるからです。ホワイトカラーの副業・転職はハードルが高い。スキマバイトで体験できるとなれば、ホワイトカラーの利用増加はあり得ます。かつ、契約時の労務管理、採用面接、書類審査までが省略されるため、面接などコミュニケーションをとらなくてよい点も、利用への心理的ハードルが下がるゆえんです。
浜田氏:先ほどの退職代行にしても、コミュニケーションの手間を省きたいというニーズがありますね。
小林:職場で発生するコミュニケーションコストを最小化したい願望は渦巻いていると思います。日本人は「空気」を予測しづらい場が苦手であるため、退職という空気を破るコミュニケーションを代行してもらい、すでにできあがっている空気に入っていく大変さを避けられる1回限りのスキマバイトが受け入れられやすい。スキマバイトと退職代行は入口と出口で、その潜在的な願望にフィットした現象です。
小林:ところで、浜田さんが今注目しているワードは何ですか。
浜田氏:ひとつ挙げるなら、《男女の賃金格差》でしょうか。2022年から、企業(常時雇用する労働者が301人以上)に男女の賃金格差の公表が義務付けられました。2024年の国際女性デーにメディアが一斉に調査して、男女の賃金格差を公表したことはインパクトが大きく、社員ですら自分たちの会社の賃金格差の大きさに驚いていました。格差是正のため、2025年からコース別人事採用を改める企業もあるよ
うです。
小林:自社で賃金格差がどのように生まれているかを把握することは大事なことです。各社が細かい粒度で数字を見る癖をつけなければ、あらゆる男女の格差は解消されません。
浜田氏:私はその点で賃金は本丸だと思います。2024年5月にアイスランドを取材しましたが、2018年に男女同一賃金証明法を作ったアイスランドでは、あらゆる差別は最終的に賃金に表れるとして、同一労働の仕事の定義を細かく定め、従業員25人以上の企業に同一労働同一賃金の認証取得を義務化するなど、徹底しています。それでもまだ男女で12%の差があるのです。
日本の場合は業種で特徴が出ていて、保険、銀行、航空などで男女格差が大きい。つまりコース別人事管理がなされている企業が名を連ねています。賃金を見ると、その業界の問題があらわになります。
小林:私は、日本の社員に対する異常な平等主義が不平等を生んでいると考えています。日本は正社員であるならば皆が幹部候補であり、そのせいで選抜に時間がかかります。女性の場合、管理職への選抜までに出産・育児による空白が生じるため、結婚すると家庭への時間確保のために「管理職は無理」と辞退してしまう人が多い。女性活躍は「男女関係なく活躍できる会社を」といった威勢のいいダイバーシティの文脈よりも、育成候補者のリストを早期化するなど、育成の在り方を構造的に変える方向で考えたほうが進むと考えます。
浜田氏:アイスランドがジェンダーギャップ指数ランキングで15年間1位を保持している理由には、同一労働同一賃金とは別の要因もあります。そのひとつが2000年からの男性育休の義務化です。フェアな競争環境にした結果、採用や登用における女性差別がなくなったと聞きました。
一方、日本で女性管理職が増えない理由のひとつは、管理職の働き方が大きいと思います。管理職の在り方自体も変えなければ、男女共に管理職のなり手はますます減っていきます。
小林:管理職ばかりが負担の多い罰ゲームのような状態のまま、男性育休がさらに促進されれば、女性が散々苦しんできた「仕事か、家庭か」というダブル・バインド※3状態に男性も陥るでしょう。
※3 複数の矛盾した要求などを課されて心理的ストレスを受けることで、二重拘束と訳される
小林:《カスハラ対策》《スキマバイト》《オフボーディング》のいずれに関しても、労働力不足と企業の求心力低下がベースにあります。今後も労働力不足が深刻化するほど、対策に取り組む企業が増え、おそらく2024年をひとつのターニングポイントとしてさらに伸びていく3つだと思います。
浜田氏:今日話題に挙がったすべての事象に通じることですが、現実を正しく捉えることが必要です。男女の賃金格差にしても、実態の可視化が義務化され、皆の目に触れたことで課題が浮き彫りになりました。
小林:手元の情報だけで具体性のない感覚的な議論をしても進展はしません。特に、抽象度の高い状態で下りてくることが多い「経営層からの《働く》に関する課題」に対し、実態を示す具体的なデータと熱意を持って提言していくことは、現場の人事にしかできません。
浜田氏:近年、人事機能の重要度が上がっています。自社の状況を正しく見る目を持つためにも、人事の方は社会の動きに関心を持ち、外部との接点づくりを意識されるとよいと思います。
小林:こうした時節やトレンドは、施策の企画書の1頁目に活用し、議論すべき課題の優先順位を自ら動かすことに役立てていただきたい。状況を一変させるような「白馬に乗ったリーダー」は待てども現れません。未曽有の労働力不足に、人事自身が立ち向かうべき時が来ています。
※文中の内容・肩書等はすべて掲載当時のものです。
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