公開日 2010/11/01
コラム1では、戦略実行においては「戦略の正しい理解」という最初の段階でつまずいているケースが非常に多いこと、そしてそれが戦略実行を遂行する上での障害になっていることを、さまざまな事例を挙げて説明しました。 では、なぜ正しい「理解」ができないのでしょうか。今回はその理由について、学術的な側面から、認知心理学の世界でよく使われているキーワードに沿って明らかにしていきたいと思います。
人は物事を捉えようとするとき、まず自分の脳の中にある記憶や概念に照らし合わせようとします。このような、人が物事を理解するために前提として持っている「認識の枠組み」のことを、認知心理学の用語で『メンタルモデル』と言います【図1】。
図1 メンタルモデル
メンタルモデルは本来、人間が持っている素晴らしい機能です。さまざまな情報を類型化して認識するメカニズムがあることで、理解を助け、それによって素早い判断や行動ができる。また、伝える側にとっても伝達コストを下げます。人が「一を聞いて十を知る」ことができるのも、まさにメンタルモデルあってこそなのです。
しかし、このメンタルモデルも、状況によって悪い作用をもたらします。あらゆる物事をまず型にはめて考えるため、さまざまな誤解も生じ易いのです。例えば、上司が何の他意もなく、部下一人ひとりに「頼りにしているよ」と声をかけたとします。最近成功続きの人は『何かに抜擢されるかも』と勝手にワクワクするかもしれませんし、逆に失敗続きの人は『次は失敗するなよ』と嫌味を言われたと思い、勝手に落ち込むかもしれません。メンタルモデルによって、私たちの脳は、「理解しやすいけれども間違えやすい」というジレンマをそもそも抱えているわけです。
このメンタルモデルが、「戦略の正しい理解」を阻害する第一の“壁”とするなら、さらに第二の“壁”として立ちふさがり、悪さをするのが『スキーマ』です【図2】。
図2 スキーマ
メンタルモデルやスキーマによって、戦略の理解が阻害される。では、どうしたらそれを解決できるでしょうか。
結論から言うと、「思考させるコミュニケーション」によって、自分は戦略を正しく理解しているか、戦略についてどう思っているのかを本人に自覚させることが必要です。これも認知心理学の用語で『メタ認知』と言いますが、自分が理解していないということを客観的な視点から知るという方法です。
そのために重要なのが多角的なコミュニケーションです。当たり前ですが、ただ話すだけより、(ドキュメントで)見せる、しゃべらせる、手を動かして書かせる、対話をする、そしてそれらを踏まえて、最も重要なのが「思考させる」ことです。余談ですが、これは、相手に質問をすることで、何をすべきか考えさせ、答えを導かせるコーチングの手法と同じです。
それでは、「思考させるコミュニケーション」における効果的なやり方について、ツリー図【図3】を使って整理してみましょう。
図3 思考させるコミュニケーション手段
まず、効果的な思考には、アイディア出しをする「拡散」と、実際の行動に落とす「収束」という段階があります。そして、それぞれに対して「能力的」な側面を助ける方法と「意欲的」な側面を助ける方法があります。まず能力的な側面を助ける方法として、共通の「フレームワーク」を活用するというやり方が効果的です。フレームワークというのは、簡単に言うと考え方の手順を示す枠組みのことですが、詳しい説明は後に譲ります。フレームワークを活用することにより、拡散の段階ではアイディア出しのきっかけとなり、収束の段階では整理の助けとなります。
一方、「意欲的」な側面を刺激する手段として、「自己決定」を促すコミュニケーションが効果的です。これにより、拡散の段階では本人のオーナーシップを刺激し、収束の段階ではコミットメントを得る手段となります。
正しい理解を生むには思考させ気づかせることが重要であり、そのためには共通のフレームワークを使い、「自己決定」を促すコミュニケーションをすることが有効である、という話をしました。この2つについて、さらに詳述してまいりましょう。
「フレームワーク」は、先ほど考え方の手順であると説明しましたが、ここでは、「限られた時間や制約の中で効率的に対話し、ゴールに到達するための方法論」と再定義しておきます。共通言語、図表、帳票、ワークシート、分析ツール、対話を促すファシリテーションなど、ありようは何でも構いません。要するに、物事を整理するための「共通の棚」のようなものです。「共通の棚」がないと、話をどのように進めていいのかわからず対話が滞ってしまう場合や、中身がないままダラダラ話しているだけで理解も進まず、いつまでたっても話が具体化しません。フレームワークを使うことは、実は戦略の正しい理解において欠かせないことなのです。そして、このフレームワークの活用は、もう1つの「自己決定」を促すコミュニケーションにも大きく関わってきます。
では、「自己決定」を促すコミュニケーションとはどういうことでしょうか。それは本人が自分で考え、自分自身の課題として認識し、主体的に関わるように仕向けることです。つまり、自己決定に基づくコミットメントへと意図的に誘導していくことを意味します。
主体的に関わるように仕向けるには、フレームワークに基づき、自分自身で考えさせ、自己決定を引き出すような「問いかけ」を活用します。たとえば、まず考えさせる問いかけ(ex.「君はどう思うんだい?」)があり、次に思考を拡大させる多角的な問いかけ(ex.「もしこの制約条件がなかったらどうなるだろう?」)、そして結論とアクションを引き出す問いかけ(ex.「何をどこまでやるんだい?」)という流れにして、フレームワークを使いながら自己決定へと導いていく。戦略展開においては、フレームワークと自己決定は車の両輪の関係であり、どちらかが欠けてもうまく行きません【図4】。
図4 「フレームワーク」と「自己決定」の特徴および相互関係
それでは、どういう場面で使えばいいのでしょうか?最も効果的なのは、戦略策定段階から現場を巻き込むことです。戦略実行の計画づくりに本人を巻き込み、何をやるべきか、どうやってやるのかを決めるところから考えさせる。そのときに、「フレームワーク」と「自己決定」を活用した効果的な対話やコミュニケーションがカギになるわけです。
ここで重要なのは、あくまでも戦略を正しく理解させるために考えさせることが目的であるということ。つまり、巻き込むこと自体に大きな意味があるのです。決して、やるべきことがあるのに、一から考え、現場で覆すということではありません。本部が策定した戦略を「決まったこと」として現場に伝えても[本部=いろいろ押し付けてくる]というスキーマが出来上がっていますから、まったく頭の中に入っていきません。そこで、本人に意見反映の余地を持たせ、戦略を考えさせ、結論を出させる。極端な言い方をすれば、“巻き込んだ風”に計画策定のプロセスをなぞらせ、戦略と同じ結論に至ればそれでいいわけです。事実、ほとんどの場合、意図的なリードをしなくても、同じフレームワークを使えば、現場で考えても、本部と同じ戦略が導き出されます。
下のグラフを見てください。
部門戦略に関する意識調査
これはコラム1でも触れた意識調査の結果の一部です。この組織ではあまり戦略浸透がされていなかったため、上記のような巻き込み型の展開を図ったところ、一年後、「戦略は、自分が考えていたことと同じようなものだった」ことが理解でき、その結果「やりがいを感じた」ということが顕著に出ています。
それにしても、戦略を正しく理解させるためとはいえ、何とも手の込んだやり方だと思われるかもしれません。ただ前述の通り、巻き込むこと自体が目的なのですから、準備さえきちんとしておけば、洗練された効率的なやり方で巻き込むことができ、負荷もロスもほとんど発生しません。逆に、こうした戦略を自分の中に落とし込む契機がないと、全く理解もないまま実行されなかったり、たとえやったとしても、本質が掴めていないので型どおりのことしかできなかったり、結局は何の成果も上がらないという最大のロスにつながるのではないでしょうか。そして何よりも怖いのが、「やってだめだった」(戦略が良くなかった)のか、「やり方がまずかった」のか、ただ「やらなかった」のかも分からない、あやふやなレビューのまま翌期の戦略が練られ、事業の方向性までも見誤る、といったより大きな代償として返ってくることです。
【戦略実行】「わかっているけどできない!」は本当ですか?シリーズ
株式会社パーソル総合研究所 シニアコンサルタント
河村 亨
Toru Kawamura
1990年、機械商社を経て(株)富士ゼロックス総合教育研究所(現パーソル総合研究所)に入社。営業・営業マネジメントを経て、SFAの現場定着や戦略実行をテーマとした営業マネジメント力強化コンサルティングに従事。「自ら考え戦略的に動く営業集団をつくる 3つのフレームワーク」、「Sales Enablement アカウント型BtoB営業における営業力強化」などを執筆。セールスフォース社との「訪問しない時代の営業力強化の教科書」を共著。
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