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2026年3月、「人的資本可視化指針(改訂版)」が公表された。改訂版では、経営戦略と人材戦略・人的資本投資の連動に向けた具体的な考え方と、その実践に関するガイダンスが示されている。この改訂を受けて、企業には開示だけでなく実践に向けた取り組みが、これまで以上に求められるようになる。2026年6月15日(月)に開催されたイベントでは、人的資本可視化指針の改訂をきっかけに、経営戦略と人材戦略の連動をより解像度の高いストーリーとして語り、人材戦略の実効性を高めていくための課題や論点について、3名の登壇者が解説を行った。本レポートでは、各セッションの聞きどころをダイジェストでお伝えする。
2015年の国連のSDGs採択による人的資本関連の目標設定などを皮切りに、国内外では非財務情報に注目が集まるようになった。また2017年には欧州において上場企業を中心として人的資本に関する情報開示が義務化、2018年には人的資本情報の開示に関するガイドラインであるISO 30414が公表されるなど、人的資本開示内容の標準化とグローバルでの比較可能性を高めてきた。日本でも海外の流れを受けて、「人材版伊藤レポート」(2020年)や人的資本可視化指針(2022年)の公表、そして有価証券報告書の人的資本情報開示の義務化(2023年)など、人的資本経営への着目と人的資本情報開示における指針の整備が進んできた。
パーソル総合研究所のコンサルタントの砂原は、人的資本経営が求められるいくつかの背景(図1)を挙げ、「これらの要素が企業価値の向上、企業の競争優位性や持続的成長を左右する」と解説する。

パーソル総合研究所 砂原健一
そしてこれらの要素に加えてもう一つ、「機関投資家の存在感」が高まってきている点も見逃せない。では、人的資本経営や人的資本情報開示における投資家の期待はどこにあるのだろうか。
「投資家は、企業の人材戦略や人的資本投資について、リスクや機会の把握、ビジネスモデルに与える影響、そして人材戦略に与える影響の観点からの言及を求めています(図2)。つまり、投資家は企業が開示する人的資本情報から、その企業の経営戦略やビジネスモデルの実現確度を読み解こうとしているのです」(砂原)
投資家が今後ますます注視していくであろう、企業の人的資本情報。それでは、本イベントの開催に至った端緒としての「人的資本可視化指針(改訂版)」とは、いったいどのようなもので、今回の指針改訂からはどのような示唆を読み解くことができるだろうか。
それは、「経営戦略やビジネスモデルの実現確度を高めるために、人材戦略の実効性を高めていくプロセス」と捉えて取り組むことの重要性だ(図3)。
人的資本可視化指針(改訂版)では、「あるべき組織・人材の姿」を描き、それをふまえた「人的資本投資」の整理により、経営戦略と連動した人材戦略が明確にできることを示している。また、「人的資本への依存・影響」や「人的資本関連のリスク・機会」を説明することの重要性も指摘している。例えば、採用や育成、適切な賃金水準の設定などの人的資本投資が人材確保に影響を与え、ビジネスモデルのどの部分に重要な人的資本リスク・機会が生じているのかを把握することで、人材戦略の実効性が明確になることを示している。
「人的資本経営の本質は、企業価値向上に向けた組織・人事の課題に対し、有効な取り組みを実行して、ステークホルダーの一角である従業員が活躍できる環境を構築することにあります。投資家は実現確度の観点から読み解ける人的資本開示を重視しており、開示自体を目的としたストーリー性のない総花的な開示内容は意味をなさないといえます」(砂原)
本イベント第2部では、慶應義塾大学大学院経営管理研究科の岩本隆氏が登壇。「人的資本可視化指針(改訂版)」を踏まえ、人材戦略の実効性を高めていくためのポイントを解説した。

慶應義塾大学大学院経営管理研究科 岩本隆氏
「人的資本可視化指針(改訂版)」が準拠する国際基準には、大きく2つある。一つは、2025年に公表されたISO 30414の改訂版。もう一つが、ISSB(国際サステナビリティ基準審議会)であり、この審議会で決まったことが、各国・地域の政策に影響を与えている。
ISO 30414の改訂版は、ISSBの考え方と整合させた内容になっており、経営戦略と人材戦略の連動がより強調されたものとなっている。タイトルも改定前の「ガイドライン」から、「要求事項および推奨事項」へと表現が強まった。また11の人的資本領域の一部を再編し、メトリック(開示測定基準)も58項目から69項目へと増加。69項目のメトリックのうち、すべての企業が開示しなければならないとされる要求メトリックが14項目、企業側が選ぶ推奨メトリックが55項目となっている。
「人的資本可視化指針(改訂版)」のポイントは、こうした新たな国際基準も踏まえて整理された情報開示の進め方であること、そして経営戦略と人材戦略の連動に向けた具体的な考え方とともに、実践まで踏み込んでガイダンスを提供していることだ(図4)。
今回の改訂は、企業の人的資本情報開示について、「可視化はされているが、経営戦略と連動していない」という投資家の不満、そして以下のような期待が反映されている。
投資家が気にしているのは、成長する会社、儲かる会社かどうか。給料が高く、利益も上がり、従業員が生き生きと働いているかどうかを読み取れる人的資本情報の開示が求められている、ということだ。
「投資家の関心は、人的資本投資の背景にある経営戦略や人材戦略、人的資本投資に取り組む目的や具体的な取り組み、効果を示すストーリー、経営指標や財務指標への人的資本投資の寄与といったところにあります」(岩本氏)
それでは、日本企業の人的資本経営の実態はどうなっているのか。岩本氏が監修した調査では、人的資本経営のPDCAサイクルが十分に機能していない企業も多く、また人事データを分析や経営判断への活用まで進めている企業も少なかった(図5)。岩本氏は、「データを活用する領域が多いほど、経営戦略の実現、財務目標の達成、従業員満足度・生産性向上などの効果実感につながっています。データ活用の“量から質”への転換が今後の日本企業の課題です」と解説した。
日本企業のこの実態を踏まえて、人的資本経営を今後どう実践していけばよいのか。まず考えたいのが、人事部門の体制だ。
「人的資本経営の先進企業では、人事部門の体制が従来の三角形からダイヤモンド型へと変化しています(図6)。オペレーションはHRテクノロジーやAIを活用して効率化し、人材戦略はデータを活用して客観性と精度を上げ、論理的・定量的な説明で経営戦略との連動をしっかり行っていく。一方でHRBPは人間科学への理解も強化しながら、「部門付き人事」ではなくCHROの視点、つまり全社視点で事業部門を支援する存在にしていく。このようなHRBPを戦略的に育成していくとよいのではないか」(岩本氏)
また人的資本情報開示では、投資家はもちろん、従業員にも納得感を持たせるストーリー性のある内容になっていることも重要だ。人材戦略だけを単体で説明したり、パーパスからいきなり人材戦略を語っても、従業員にとってはパーパスと人材戦略がつながらず、腹落ちしない。「パーパスに基づいた自社の戦略はこうで、そのためにはこのような人材が必要である」と、従業員があるべき姿をイメージできるように説明していくことが必要だ。
「経営戦略・事業戦略と言いながら、実現不可能であったり、定量性に欠けていたりして、戦略が戦略になっていない企業も少なくない」と岩本氏は言う。実行できない戦略は戦略とは呼べない。「パーパス→経営戦略・事業戦略→人材戦略」を連動させるうえで、自社は実行可能な経営戦略・事業戦略になっているか、人事の側からもしっかり検討していく必要がある。
「人的資本可視化指針(改訂版)」によって、経営戦略と人材戦略の連動のさらなる強化、そしてより実効性のある人材戦略が、これまで以上に求められるようになった。それでは、人材戦略の策定とその実践はどのように設計していけばよいのだろうか。
人材戦略を、「パーパス・ミッション → 長期ビジョン → 事業戦略・経営戦略 → 人材戦略目標(人材ポートフォリオ・要員計画) → 人材戦略」のステップで策定している企業は多い。いわば“王道パターン”ではあるが、留意すべき点もある。それは「同じようなキーワードが並びがちなこと」だ。5大キーワードは、「Well-being」「ダイバーシティ」「エンゲージメント」「リスキリング」「キャリア自律」。いずれのキーワードも重要なテーマであることは間違いないが、企業で代々受け継がれている価値観や方向性をきちんと捉え、事業戦略とも接続していかないと、正論止まりで総花的な人材戦略となりやすい。
パーソル総合研究所のコンサルタントの中島は、「重要なのは、経営戦略・事業戦略から人材戦略を策定していく王道の道筋だけではなく、人材・組織ビジョンから人材マネジメントポリシーを策定し、人材戦略につなげていく道筋もしっかりつくっていくこと」と解説する(図7)。

パーソル総合研究所 中島夏耶
中島のいう“王道パターン”は、図7における左側のオレンジ枠の部分。経営戦略・事業戦略からの流れは、具体的で事業戦略の実現度が高い人材戦略の策定につながる。一方で、人材・組織ビジョンや人材マネジメントポリシーなどから流れる緑枠の部分は、社員の共感度や納得度の高い、独自性のある人材戦略の策定につながる。どちらか片方だけに偏ると、ポエムのような抽象的な戦略になったり、正論だけにとどまって戦略が形骸化したりが起きやすい。したがってオレンジ枠と緑枠の部分を統合し、自社ならではの独自性のある人材戦略としていくことが策定の際の重要ポイントだ。
このフレームワークのポイントは、「人材戦略目標を独立させたこと」であると中島は解説する。「“人材戦略”といった場合、人材ポートフォリオや人材像をつくっただけで、それを人材戦略としてしまうケースも見受けられます。そのため、“人材戦略目標”として人材戦略からあえて独立させました。人材戦略目標があれば、目標とのギャップを埋めるための人材戦略や人事施策が検討しやすくなります」
ここで、パーソル総合研究所が図7のフレームワークを活用し、クライアント企業の人材戦略策定を支援した事例を紹介しよう。
この企業は、小売りからSPAへ業態進化したことで、商品企画から販売までの各機能が多様化・高度化。人材面では、与えられた課題を着実に実行するゼネラリストだけでなく、高い専門性、課題を設計・推進するプロフェッショナリティ、高度なマネジメント力を持つ人材が求められるようになった。
そこで、経営戦略・事業戦略から考える「会社軸」と、人材マネジメントポリシーから考える「個人軸」を結節して、人材戦略目標を設定。従来の単線型キャリアパスではなく、複線型のキャリアパスによる人材育成を人材戦略目標に据え、そこから人材戦略、人事施策を策定していった。また企業の価値観としてきた「安心して働き続けられる」に関しても、「雇用を守るため」の意味合いから、「社会に出ても一流の人材として活躍できるため」へと定義し直し、会社主導の育成から、個人が自律的にキャリアを選択し、会社が制度や仕組みで支援する形へと変えていった。
この事例のように、会社軸と個人軸の双方からの統合的なアプローチで人材戦略目標を策定することによって、事業戦略の実現度が高くなり、同時に具体的かつ社員の共感度・納得度の高い、独自性のある人材戦略を策定することができる。
「たとえば、その企業が代々つないできた価値観と現状の戦略のはざまで葛藤が生じるなど、会社軸と個人軸でコンフリクトが起こることもあります。しかし、そのコンフリクトを乗り越え、双方をインテグレーションさせた人材戦略を策定することによって、人的資本経営はより血が通ったものになると考えています」(中島)

慶應義塾大学大学院 経営管理研究科 講師
岩本 隆
東京大学工学部金属工学科卒業。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)大学院応用理工学研究科マテリアル理工学専攻Ph.D.。日本モトローラ(株)、日本ルーセント・テクノロジー(株)、ノキア・ジャパン(株)、(株)ドリームインキュベータを経て、2012年6月より2022年3月まで慶應義塾大学大学院経営管理研究科特任教授。2018年9月より2023年3月まで山形大学学術研究院産学連携教授、2023年4月より2026年3月まで山形大学客員教授。2022年12月より2025年3月まで慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特任教授。2023年4月より慶應義塾大学大学院経営管理研究科講師。(一社)ICT CONNECT 21理事、(一社)日本CHRO協会理事、(一社)日本パブリックアフェアーズ協会理事、(一社)SDGs Innovation HUB理事、(一社)日本DX地域創生応援団理事、(一財)オープンバッジ・ネットワーク理事、ISO/TC 260国内審議委員会副委員長などを兼任。

株式会社パーソル総合研究所 コンサルティング本部 コンサルティング部 コンサルティンググループ マネジャー
砂原 健一
大手私鉄の人事部門において人材戦略策定・人事制度設計・人材育成・採用業務等を担当後、人事・ガバナンスコンサルティングファームを経て、パーソル総合研究所に入社。現在は、人的資本経営推進、人材戦略策定、人事制度設計、サクセッションプラン策定などのコンサルティングに従事。共著「戦略的人的資源管理と人的資本経営:論点整理と今後の研究課題」など。

株式会社パーソル総合研究所 コンサルティング本部 コンサルティング部 コンサルティンググループ マネジャー
中島 夏耶
東京都立大学大学院経営学研究科修了。大手調査会社において、見えざる資産の顕在化、それを活用した経営に関する調査・研究に多数参画。2018年3月より現職にて人事制度改革やキャリア自律支援等数々の組織・人事コンサルティングプロジェクトに従事。共著書『ミドル・シニアの脱年功マネジメント』(労務行政,2020)、『経営戦略としての人的資本開示』(日本能率協会マネジメントセンター,2022)、『戦略的人的資本の開示 運用の実務』(日本能率協会マネジメントセンター,2022)
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