「観光のまち」「大阪や京都のベッドタウン」。奈良市に対して、そのようなイメージを抱く人は少なくないかもしれません。事実、奈良県は他県で従業する人の割合(県外就業率)が27.3%で全国3位、奈良市単体で見ても32.6%と全国平均を大きく上回っています※。深刻な人材不足という全国的な課題に直面する中、働く場所を求めて多くの人が市外へと流出している現状がうかがえます。
しかし今、奈良市役所の産業政策課が中心となり、この状況に新たな風を吹き込むような取り組みが芽吹き始めています。鍵となるのは、就業支援と企業誘致の有機的な連動。そして、企業と働き手双方のニーズを高い解像度で捉える、徹底した伴走姿勢にありそうです。
果たして奈良市は、地域特有の環境をいかにして産業のポテンシャルへと転換しようとしているのでしょうか。奈良市役所 産業政策課の金沢氏、横田氏、高田氏にお話を伺いました。(聞き手:パーソル総合研究所 中俣 良太)
※
総務省「国勢調査(2020年)」
中俣:まずは奈良市の就業環境について伺います。パーソル総合研究所が全国47都道府県の「はたらく実態」を調査・分析した「ニッポンのはたらく地図2025レポート」を見ると、奈良県は企業における女性活躍推進が上位である半面、女性の就業率自体は全国比で低い傾向が見られます。このギャップには、どのような背景があると考えられるのでしょうか。
横田氏:奈良市単体のデータで見ても、30歳以降の女性の就業率が全国平均と比較して6〜7ポイント低い傾向にあります。結婚や出産といったライフステージの変化を機に離職する人が多く、いわゆる「M字カーブ」の底が依然として深い状態です。
金沢氏:その背景には、奈良特有の事情も影響しているかもしれません。奈良は教育熱心で比較的裕福なご家庭が多いエリアでもあり、パートナーが大阪や京都で働き、それなりの収入を得ているケースも少なくありません。そのため、経済的な理由で「どうしても働かなければならない」という層ばかりではない、という側面もありそうです 。
中俣:なるほど。自らの意思で就業を見合わせている、いわば「選択的無職」とも呼べそうな層が一定数いそうですね。
金沢氏:そうですね。結婚前は第一線で精力的に働いていた優秀な方々が、ライフステージの変化で離職し、そのままになっているケースが見受けられます。そうした方々は、「お金のため」というよりは、社会とのつながりを持てる仕事や、何らかの社会貢献に繋がるような、意味合いを持たせた働き方を求めている印象を受けます。単に「時間が短いパートタイム」であれば働く、というわけではないようです。
横田氏:例えば、高齢者が多い過疎地域のタクシー運転手です。単なる移動手段の提供ではなく、「免許を返納した高齢者の通院を支える社会貢献」として仕事の意味合いをお伝えすると、「それならやってみたいかも」と心を動かすケースもあるようです。
中俣:経済的な要因だけでなく「やりがい」や「社会との繋がり」を持てること、そして柔軟な働き方という選択肢が提示されることで、新たな一歩を踏み出せる層がいらっしゃるようですね。そうした意欲や能力を秘めたポテンシャル層と企業をうまくマッチングさせるために、具体的にどのようなアプローチを取られているのでしょうか。
横田氏:令和5年度から「ジャストフィットワーク」という事業を展開しています。これは主に、子育てなどで時間や場所に制約がある女性が、無理のない範囲で能力を発揮できる新しい働き方の提案です 。例えば「週に3日だけ」「1日4時間だけ」、あるいは「リモートワーク」といった柔軟な形態を取り入れます。重要なのは、それが単なる「補助的なパートタイム」ではない点です。過去のキャリアやスキルを生かして企業の戦力としてやりがいを持ち、将来的には希望者がフルタイムや正社員として働くことも見据えた働き方を企業に導入していただく事業です。
中俣:多様な働き方を促進する制度ですが、受け皿となる企業側にはどのような働きかけを行っているのでしょうか。
横田氏:2025年度は特に企業側の支援に注力しています。多様な働き方に対応できる職場環境整備を促すセミナーを開催するだけでなく、求職者が参加する合同企業説明会に向けて、「どういった業務を切り出せば、短い時間でも責任とやりがいを持って働いてもらえるか」を企業と一緒に考え、ジャストフィットワークにそぐう魅力的な求人票へと作り変えていくような個別のコンサルティングも行っています。
金沢氏:キャリア支援係が就業支援を行う中で、「良い仕事と魅力的な求人があれば、働きたいという人は確実にいる」ということが見えてきました。仕事のやりがいや社会との繋がりが求職者に伝わる良い求人を作っていくことが、結果として就業支援につながるという考え方に変わってきています 。
中俣:それに加えて、「DX人材養成講座」も実施されているようですね。
横田氏:はい。企業の即戦力として求められるDX人材を養成するフルオンライン講座です。最大の特徴は「最初からカリキュラムを決め打ちしない」という点にあります。事前に奈良市内にある企業の経営者や採用責任者などへヒアリングを行い、「どういったスキルを身に付けていれば即戦力として採用したいか」という企業側のリアルなニーズをしっかりと汲み取った上で、AI×デザイン制作や、AI×アプリ開発、ECビジネスなどのカリキュラムを組んでいます。
例えば、AI×デザイン制作のテーマでは、簡単なデザイン作業にAIを取り入れ、業務効率を高める方法を学びます。プレゼン資料や社内報告書など、事務職でも必要となるデザイン作業をAIがどのようにサポートできるかについて身につけていく講座です。
毎年定員を大きく上回る応募があり、受講中のキャリア面談などを経て、受講後に希望に応じたインターンシップや就労に繋がる流れを作っています。
中俣:毎年定員を大きく上回るほどの応募が集まっているのですね。最初からカリキュラムを決め打ちせず、企業側のリアルなニーズから逆算しているからこそ、求職者にとっても「これを学べば就業に直結する」という期待感や納得感に繋がりやすいのかもしれませんね。
中俣:求職者向けのスキル開発においても、徹底して「企業側のニーズ」を起点にしている点が特徴的ですね。この人材育成の取り組みが、企業誘致にも影響を与えているとお聞きしました。高田さん、企業誘致の観点からは奈良市の環境をどのように捉えていらっしゃいますか。
高田氏:奈良市は大阪・京都から電車で35分というアクセスの良さから他県で働く人が多いのですが、豊かな人材プールを有しています。先ほどご紹介したキャリア支援係でアプローチしている女性人材はもちろんのこと、市内には7つの大学があり、優秀なIT人材を輩出する県内の教育機関との産学連携も進めています。また、水害や火山などの自然災害のリスクが比較的少なく、オフィス賃料も東京・丸の内エリアの3分の1以下に抑えられるため、BCP(事業継続計画)やコストパフォーマンスの観点からも優れたビジネス環境だといえます。企業を誘致する際、この「人材」と「BCP」の掛け合わせが特に響いていると感じます。
中俣:実際に奈良市に進出された企業からは、どのような反響がありますか。
高田氏:25年に進出されたバックオフィス支援の企業様からは、ハローワークや地域の情報誌に求人を出したところ、事務系で働きたい優秀な人材がすぐに集まり、採用にかかる時間とコストの低さを高く評価していただきました。
また23年に進出した東京のIT企業「ジェネロ様」の事例も象徴的です。同社が進出したことをきっかけに、世界的なウェブサイト構築システム「Drupal(ドゥルーパル)」の国際カンファレンスが、日本初開催として奈良市で行われました。これを機にオーストラリアのIT企業が新たに誘致に繋がるなど、大きな波及効果が生まれています 。
中俣:人材が新たな企業を呼び、産業を活性化させる好循環の事例ですね。一方で、他の関西の主要都市と比べて、ビジネス拠点としての奈良市をアピールする難しさもあるのではないでしょうか。
高田氏:おっしゃる通り、ビジネス拠点としての認知度がまだまだ低いという課題は強く感じています。東京の企業様とお話ししていても、観光や文化財のイメージが先行し、「オフィスビルなんてあるの?」といった反応をいただくことも珍しくありません。
だからこそ、私たちは「企業立地コンシェルジュ」として、補助金を出して終わりではなく、ワンストップで丁寧なサポートを行っています。一緒に物件を探し、内覧に同席するだけでなく、大学のキャリアセンターへお繋ぎする採用支援や、地元金融機関の紹介、立地協定を結んだ際のプレスリリースを通じた広報支援など、企業のニーズに応じて泥臭く伴走しています。
中俣:民間企業のマーケティングや法人営業に近い発想を持たれているように感じます。
高田氏:そうですね。2025年度からは、長年民間企業で広報やマーケティングを担当していた人材が仲間に加わりました。単なる制度紹介のページにとどまらず、ホワイトペーパーや「よくある質問」の充実、週3日程度のSNS発信など、民間企業のコーポレートサイト並みの情報発信に力を入れています。
オンラインでの発信と、東京の企業の経営者コミュニティに直接足を運ぶようなオフラインの活動を掛け合わせることで、まずは奈良市を知り、相談してもらえる環境づくりに努めています。これまでに立地協定を結んだ企業様は11社に上り、約500名の採用に繋がったという成果も出てきています。
中俣:立地協定11社、約500名の採用という実績は、単なるPRの枠を超えた皆様のきめ細かな伴走支援がもたらした、確かな成果といえそうですね。
中俣:お話を伺っていると、キャリア支援、DX人材養成、企業誘致といった各事業が、単なる縦割りではなく、互いに作用し合うひとつの「循環サイクル」のように有機的に絡み合っている印象を受けます。
金沢氏:産業政策課には、キャリア支援係、企業誘致係、創業支援係、総務係(中小企業支援)の4つがあります。これらは独立して動いているわけではありません。例えば、市の起業支援プログラム参加企業が、DX人材養成講座の修了生を初めての従業員として採用し、事業成長に繋がったケースもあります 。
高田氏:また、奈良市への進出を検討している企業様が、地方拠点の立ち上げを任せるマネジャー候補を探すために、ジャストフィットワークの合同企業説明会に参加されることもありますね。
中俣:なるほど。個人向けの就業支援と企業向けの誘致・支援が見事に連動しているのですね。こうした有機的な連携が可能になっていたり、皆様が柔軟な発想で事業を推進されていたりする根底には、奈良市としての明確なビジョンも影響しているようにも感じられます。
金沢氏:そうかもしれません。奈良市は長らく「観光のまち」として知られてきましたが、観光に加えて産業の裾野を広げていくことが、より持続可能な市の発展に寄与するとの認識が高まり、令和に入って策定した総合計画では「産業」や「仕事づくり」が政策の大きな柱として位置付けられました 。観光一辺倒では市の持続可能性がないという危機感の中、新たな産業を育てていく方向性が庁内で共有されたことで、産業政策課としても新しい施策に挑戦しやすい環境が整ってきたと感じています。
中俣:最後に、奈良市が今後目指す姿についてお聞かせください。
高田氏:人材面でいえば、今後はライフステージの変化を迎えた「女性人材」と、大学やIT企業誘致で生まれる「エンジニア人材」の掛け合わせなど、多様な人材プールを形成し、企業にとってさらに魅力的なビジネス環境を作っていくことも視野に入れています。
金沢氏:奈良市は、観光地や住みやすいベッドタウンとしての知名度は高く、転入超過といった実績も上げています。しかし、「産業」や「仕事」という文脈でのプレゼンスはまだこれからの段階です。「はたらくまち」としての認知度をいかに上げていくか。それが私たちの大きなミッションであり、企業誘致やキャリア支援・人材確保支援といったさまざまなアプローチを通じて、その下地をしっかりと積み上げていきたいと考えています。
THEME
CONTACT US
こちらのフォームからお問い合わせいただけます
{{params.not_modal_movie| }}
{{params.modal_movie| }}