公開日 2022/04/07
近年、急速に増えた企業からの相談の一つに、「優秀な人材が辞めていってしまう」というものがある。典型的には、離職率の低い安定した大手企業から、優秀な若手がスタートアップ企業などへ転職している、という相談だ。
この問題の背景には、入社後のゆっくりとした昇進・選抜プロセスに若手がついていけないこと、以前ほどの年功的な賃金カーブが期待できないこと、ベンチャー企業の給与や働き方が以前よりも改善されてきたことなどの構造的な変化がある。これらの変化は全て、長期就業へのインセンティブをなくす方向に影響しているだろう。さらに2020年からのコロナ禍もまた、人々のキャリアへの意識を大きく揺らし続けている。
本コラムでは、職場状態に関連したよりミクロな視点で、人が今働いている会社を辞めていくメカニズムを、「転職学」(※)の知見から紹介したい。
※パーソル総合研究所と立教大学中原淳教授の共同プロジェクト
従業員が会社を辞めていく理由はなんだろうか。「やりたいことを仕事にしたい」、「より成長できる場を求めて」……。このような綺麗で無難な言葉は、退職者調査や人事面談の場ではよく聞かれるものだが、日本人の転職したい/辞めたいという思いのベースには、今の会社や働き方への「不満」がある。
転職者に、「前職への不満」と「転職先の魅力」について聞いてみると、3割が「前職への不満のみ」、5割弱が「前職への不満&転職先の魅力」を挙げる。「会社への不満」に端を発する転職が、全体の約8割を占めており、リストラなど非自発的な転職も含めると約9割に達する。「立つ鳥跡を濁さず」で、多くの退職者は会社に本音を伝えないまま辞めていくものだが、純粋に前向きな「卒業」といえるような転職は、わずか10%だ(図1)。
図1:約8割を占める「不満ベース」の転職
出所:パーソル総合研究所・中原淳「転職行動に関する意識・実態調査」
日本の転職は、キャリア形成に直接繋がりにくいという特徴があることは、長らく指摘されてきた。国際的に見ても、転職によって役職や生涯年収が上がることが少ない国であることは、さまざまなデータで示されている。
そうした要因もあり、日本の転職は、会社や職場へ感じている不満を「払拭する」という面が強くなっている。同僚と仲が悪い、上司のハラスメントに耐えられない、仕事に面白みを感じない……。そうしたモヤモヤを、会社を変えることによって一新する。日本の転職はいわば「キャリアのリセット・ボタン」として現れるのだ。
次に問うべきは、「どんな不満によって人は転職していくのか」ということだ。この普遍的なテーマについて、これまでの多くの学術研究は「不満の中身」に注目してきた。特に、「人間関係のトラブルや不満」は、転職の原因になりやすいことなども分かっている。
しかし、本コラムで注目したいのは、そうした「不満の内容」そのものではない。鍵となるのは、「未来展望」と「職場の重さ」というコンセプトだ。
人が感じる「仕事や会社への不満」には、当然ながら「解消されるもの」と「解消されないもの」がある。データを分析すると、人が転職を決意するにあたり、この区別に極めて重要な意味が見えてくる。
図2は、横軸に「会社への不満の強さ」を示した上で、不満が「変わる見込みが無い群(オレンジ)」と「変わる見込みがある群(青)」の2つに分けて、それぞれの離職意向(今の会社を辞めたいという気持ちの強さ)を比較したグラフだ。
「変わる見込みがない群」では、不満の強さに比例して離職意向が高くなっているのに対し、「変わる見込みがある群」では、たとえ不満が強くても、辞めたいという気持ちは低めに維持されている。つまり、不満の強さではなく、「変わらなさ」のほうが人を離職に強く駆り立てる、ということが示唆されている。
図2:会社への不満が「変わる見込み」と離職意向
出所:パーソル総合研究所・中原淳「転職行動に関する意識・実態調査」
心理学では、こうした時間の観点を含む見通しのことを、「未来展望(時間的展望)」と呼ぶ。未来への見通しが、人の「現在」に強く影響する例としては、ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』で描いた第二次世界大戦中のユダヤ人強制収容所におけるエピソードが知られる。
ナチスによって強制的に収容所に連れてこられたユダヤ人たちの間で、「クリスマスまでには、ここから解放されるらしい」という噂が広まる。理由も分からず連れてこられた人々は、その未来にわずかな希望を見いだして過酷な生活に耐えていたのだが、実際にクリスマスが過ぎてその期待が裏切られたとき、絶望して死に至る人が多発したという。
むろん企業は強制収容所ではないが、「未来への展望」が「今の心理状態」を強く規定するという点では同様だ。人は現状への不満を強めて転職していくわけではなく、その不満の解消が「将来的にも困難」で、期待や希望が持てなくなったとき、「この会社を辞めよう」という離職意向を強めていく。
次に疑問が湧くのは、就業者は、自分の不満が「変わる」「変わらない」ということを、どのように判断しているのか、ということだ。それに答えるヒントが、2つ目のコンセプトの「職場の重さ」だ。
この「職場の重さ」とは、職場で働く人々が自社/自組織に対して感じている、「柔軟性のなさ・変化の少なさ・変化の遅さ」といった感覚のこと。例えば、「何を決めるにも社内での調整がかかる」といった意思決定の側面、「オフィスがずっと変わらない」といった場の側面、「会議で一部の人しか話さない」といったコミュニケーションの側面など、就業者は複数の側面でそうした「重さ」を感じている(図3)。
図3:職場で感じる「重さ」の具体的な内容
出所:パーソル総合研究所・中原淳「転職行動に関する意識・実態調査」
「職場の重さ」の感覚と、メンバーが抱く不満との関連を多変量解析によって解析してみると、従業員はこうした職場の「重さ」を感じているほどに、自分が抱いている不満について「変わらないだろう」という負の見込みを高く感じていた。
これは面白い発見だ。つまり、「個別の不満の内容」とは直接関係がないはずの、「普段の組織の特徴」が、不満についての未来展望に影響しているということだ。オフィスや会議の様子自体に不満を抱くのではなく、それらが間接的に個々の不満を「変わらない」ものにしている。
人事・経営は、従業員調査や離職者調査などで見られた個別具体的な不満を「少なくすること」や「なくすこと」を目的に施策を検討しがちだ。しかし、それはしばしば不満の「もぐら叩き」のような、対処療法の繰り返しを導く。
だが、上のようなことを鑑みれば、企業に求められるのは、離職防止のために「不満を洗い出して、防止策をとる」という一般的な施策よりも、変化を恐れずスピーディな意思決定をしていくこと、そしてそうした「軽さ」を従業員に感じさせることだ。
「会社への不満」による転職が約8割を占め、企業は不満を少なくしたり、なくしたりする対策を講じている。しかし転職者は不満を強めて転職していくわけではない。
鍵となるのは「未来展望」と「職場の重さ」だ。
●未来展望:不満の解消が「将来的にも困難」で、期待や希望が持てなくなったとき離職意向を強めていく。
●職場の重さ:職場の「重さ」を感じているほどに、不満が「変わらないだろう」という負の見込みを高く感じる。
つまりは、普段の組織の特徴が不満についての未来展望に影響し離職を導くという「離職意思のメカニズム」が明らかになった。
企業は、長く時間をかけて慎重に検討された「離職対策」よりも、迅速にトライ・アンド・エラーを試み、かつそのプロセスを透明性高く従業員に伝えていく。そうした「軽さ」を持った企業のほうが、従業員の定着には役に立つのかもしれない。
シンクタンク本部
上席主任研究員
小林 祐児
Yuji Kobayashi
上智大学大学院 総合人間科学研究科 社会学専攻 博士前期課程 修了。
NHK 放送文化研究所に勤務後、総合マーケティングリサーチファームを経て、2015年よりパーソル総合研究所。労働・組織・雇用に関する多様なテーマについて調査・研究を行う。
専門分野は人的資源管理論・理論社会学。
著作に『罰ゲーム化する管理職』(集英社インターナショナル)、『リスキリングは経営課題』(光文社)、『早期退職時代のサバイバル術』(幻冬舎)、『残業学』(光文社)『転職学』(KADOKAWA)など多数。
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