公開日 2021/11/26
日本企業の間で、「キャリア自律」がよく聞かれるようになってきた。背景には、バブル入社組の高齢化に加え、コロナ・ショック、そして70歳までの就業機会確保の努力義務化など、会社で抱えきれない大量のミドル・シニアが50歳以上になり、いよいよ課題感が深刻化してきた。早期退職募集も、急増した2020年をさらに上回るペースで実施されている。副業解禁やダイバーシティ尊重など「個」を強調する市場のムードも相まって、キャリア自律の言葉は働く個人の側からも、よく聞かれるようになった。
しかし、昨今の「キャリア自律」に関する言説には、首を傾げたくなるものも多く見られる。そこで本コラムでは、日本における従業員の「キャリア」に関わる環境の特徴に触れながら、従業員のキャリア自律を促す人材マネジメントや今後のキャリア自律促進の在り方について紹介する。
過去を遡れば、アジア通貨危機・ITバブル崩壊・リーマン・ショックと、経済不況に伴って企業の余剰人員が話題になるたびに、「終身雇用崩壊」の決り文句とともに(社外含めた)キャリアの自律的な構築を求める声は異口同音に叫ばれてきた。アメリカにおいてキャリア自律Self-Career Relianceが叫ばれた背景にも、80年代後半からの雇用の流動化があった。
「キャリア自律(Career Self-reliance)」は、さまざまな定義と類似用語をもつ言葉だが、慶應義塾大学キャリア・リソース・ラボラトリーの活動によって普及したアメリカのCareer Action Centerの定義では、「めまぐるしく変化する環境の中で、自らのキャリア構築と継続的学習に積極的に取り組む、生涯にわたるコミットメント」とされる(※1)。
また、筑波大学の岡田らによる定義では、「自己認識と自己の価値観、自らのキャリアを主体的に形成する意識をもとに(心理的要因)、環境変化に適応しながら、主体的に行動し、継続的にキャリア開発に取り組んでいること(キャリア自律行動)」と心理面と行動面を分けながら定義され、定量調査向けの尺度も開発されている(※2)。
※1 花田光世「キャリア・リソース・ラボラトリーの活動と今後の展開」、CRL REPORT No.2 March 2004
※2 堀内泰利; 岡田昌毅. キャリア自律が組織コミットメントに与える影響. 産業・組織心理学研究, 2009, 23.1: 15-28.
どちらの定義もキャリアというものに対して、継続性、主体性が強調され、自己意識だけでない行動による働きかけを含むことが特徴だ。言い換えれば、「意識的・主体的なキャリア構築のために、継続的に学び行動すること」とでもまとめられるだろう。
このように見れば、短期的な景気動向とは位相の異なるロングトレンドとして、キャリア自律は時代の要請でもある。ビジネスの変化速度があがり、就業人生が伸びていく中で、就業者の「個」を重視する流れは続くだろう。先の岡田らの尺度を用いたパーソル総合研究所の調査においても、キャリア自律が高い従業員は、仕事のパフォーマンスやワーク・エンゲイジメント、学習意欲が高いことが確認できている(図1)。
図1:キャリア自律と各成果指標/キャリア自律度の高低別
出所:パーソル総合研究所「従業員のキャリア自律に関する定量調査」
しかし、昨今の「キャリア自律」に関する言説には、首を傾げたくなるものも多く見られる。
例えば、「啓発」型の言説では、紋切り型のように欧米の雇用のあり方が持ち出され、「ジョブ型の海外ではキャリアを主体的に登っていくことが求められる」などと言われる。また逆に、「キャリア自律は組織が支援するものではない」という反対意見もよく耳にする。どちらも、歴史や・構造への目配せを欠いた表面的な議論だ。
欧米と日本では、そもそも人の「キャリア」に関わる環境が大きく異なる。欧米では、職業別・産業別労使組合の伝統から培われた、職種別の賃金相場や資格制度、分厚い生涯学習システムが「企業の外」に存在する。「職業」「職種」を軸にしながら、企業横断で労使関係を調整する、社会的機能が多く存在しているということだ。
しばしば「キャリア自律」しているかのように語られる欧米の労働者は、「個」として丸腰で市場にいるのではない。個人からしてみれば、組織から自律的にキャリアを築くためのさまざまな「足場」が外部労働市場の側にあることになる。さらに欧米では学歴によってエリート主義的に幹部層候補が絞られる傾向が強いために、労働階級の多くの層はキャリアを自律的に登らず(登れず)、代わりにワーク・ライフ・バランス意識を維持することになる。
一方で、日本ではそうした社会的機能を著しく欠く。企業における「内部労働市場」がそれらを代替してきたからだ。職務無限定の就職(就社)、未経験入社、長期安定雇用という慣行によって、人材育成と賃金決定の機能が、企業内部に偏ってきたのが日本という国だ。
こうした違いがあるからこそ、日本で言われる「キャリア自律」は、「企業-個人」間の二者関係に閉じがちだ。「いまいる会社に依存しない」という視野の狭い範囲の話になりがちだし、企業から見れば「自己責任」という話になる。
そうした雇用社会の違いを考量すれば、自社の従業員に「キャリア自律してほしい/するべきだ」とお題目だけ告げるのは、合理的でも戦略的でもない。まして長時間労働や会社主導の異動を続けておきながら、中高年にキャリア自律をいきなり求めるのも、絵に描いた餅だ。当然、「キャリア自律は組織が支援するものではない」といって放置を選んでも、何も前に進まない。
「足場」が無い労働市場をすでに日本の労働者は生き続けており、キャリア自律定義で見たような「継続的」な「学習」も「行動」もほとんど見られない。それは日本人が怠惰だからではなく、研修や社外学習よりも、現場でのOJT(On the Job-Training)に注力したほうが合理的になるような人事管理を企業がずっと続けてきたからだ。
このような状況では、組織が仕組みを整えなければ、キャリア自律的な行動をとる従業員が増えることは期待できない。キャリア自律するのは、どの時代にもいる「意識の高い」一部の従業員だけに留まる。企業が従業員にキャリア自律を促したいのならば、人材マネジメントにおける「仕組みづくりと機会づくり」を先行するべきだ。
では、どのような人材マネジメントが有効だろうか。パーソル総合研究所では、先の調査から統計的に導き出された発見事項を整理し、キャリア自律の高さとの関連が見られた人事管理上のポイントを3つに絞って紹介しよう。
まず、1つ目に、「社内のポスト・ポジションの透明性」が高いことだ。
社内のどの部署にどんな仕事があるのか、従業員に明示することだ。これはつまり、従業員がキャリアを伸ばすための「目安」や「目標」が見えることにつながる。職務記述書がほとんど整備されていない日本企業では、具体的業務内容の把握は事業部の現場に任されており、人事からも他部署からも仕事内容がブラックボックス化していることが多い。この社内職務の整理と、従業員に対する見える化がまず必要だ。近年では、社内公募システムや社内求人システムをネット上に構築してこうした透明化を進める例が増えてきた。
2つ目に、「個人目標と組織目標との関連性」だ。個人が日々の業務で目標としていることが組織と紐付いていないのであれば、その組織で働きながらキャリアを育てる意味は失われる。そのためには、目標管理制度の適切な運用や上司マネジメントとの対話が求められる。MBOのプロセス全体が形骸化していては、キャリア自律の道のりは遠そうだ。
3つ目に、従業員がキャリアへの意思の表明機会があることだ。せっかく自律したい従業員が増えても、その意思を企業や上司に伝える機会が無ければ意味がない。手挙げ式の公募制度やキャリア・カウンセリング、上司との対話など、「キャリア意思の表明機会」が重要になる。この社内ジョブ・マッチング・システムが機能していないのにキャリア自律だけ求めても、すべての仕掛けは空転するだけだが、そうした例は極めて多い。
いま見てきたような人材マネジメントを勘案すると、従業員のキャリア自律とは、組織という「ビオトープ」で育っていく植物に例えることができる。ビオトープとは、動植物が循環的な生態系を保つことができるような、ひとまとまりの生息空間のことだ。
さきほどの調査のファインディングスをビオトープの比喩で例えれば、「組織目標と個人目標の関連」とは、個人の育つ方向性を会社と結びつけるための「根張り」、「社内のポスト・ポジションの透明性」は、育つ幹の方向を示す「添え木」、「キャリア意向の表明機会」は従業員の自律意思の「発芽」だ。これらのどれかが欠けても、植物はうまく育っていかない。その他の要素の説明は割愛するが、全体像をまとめると図2のようになる。
※詳細は「従業員のキャリア自律に関する定量調査」報告書を参照のこと
図2:キャリア自律のビオトープ・モデル(生息空間モデル)
筆者作成
これまでのキャリア自律促進は、「個」に対する呼びかけや意識付けに引き寄せられた「啓発モデル」や「お手本モデル」が先行している。それがここでわざわざ「ビオトープ」と環境的な言葉を対置することの意味だ(図3)。
社長や有名人、社内のお手本(ロールモデル)による後光効果を伴った「ありがたいお話」や、「個」の認識を変えるための意識付けの研修だけでは、キャリア自律を促すことは難しい。その背景はすでに述べたとおりであるし、実際にデータを見ても、キャリア自律に影響する要素はきわめて多様だった。
図3:キャリア自律促進モデルのこれまでとこれから
また、それら啓発・お手本モデルはともに「過去」の成功例を示すモデルである。ビジネスの変化速度が高速化し、多様な個人の活躍が重要になるほど、それらの成功例は、多くの人にとって「関係の無い」他人事になってしまうだろう。「現在」の環境整備に力点を置くビオトープの発想が有益である点だ。
いま、従業員にキャリア自律を求める企業に必要なことは、自律度の高い従業員が自然に生まれていくような組織的な「足場」を、内部に構築することにある。
そのための人事管理上のポイントを再確認すると以下の通りである。
ポイント1:社内のポスト・ポジションの見える化
ポイント2:個人目標と組織目標との紐付け
ポイント3:キャリアへの意思表明をする機会の創出
求められるのは、先進企業の事例からコピペしてきたようなパッチワークではない。「社内公募制」だけでも「キャリア自律研修」だけでもない、総合的な視野をもった「ビオトープ・モデル」構築への仕掛け作りが行われるべきだろう。
シンクタンク本部
上席主任研究員
小林 祐児
Yuji Kobayashi
上智大学大学院 総合人間科学研究科 社会学専攻 博士前期課程 修了。
NHK 放送文化研究所に勤務後、総合マーケティングリサーチファームを経て、2015年よりパーソル総合研究所。労働・組織・雇用に関する多様なテーマについて調査・研究を行う。
専門分野は人的資源管理論・理論社会学。
著作に『罰ゲーム化する管理職』(集英社インターナショナル)、『リスキリングは経営課題』(光文社)、『早期退職時代のサバイバル術』(幻冬舎)、『残業学』(光文社)『転職学』(KADOKAWA)など多数。
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