人材版伊藤レポートの公表から約5年、有価証券報告書における人的資本情報の開示義務化から約2年半が経過した。現在、多くの企業が人的資本経営の推進状況や、策定した人事戦略の有効性を振り返るフェーズに入っている。特に、人的資本KPIと現状とのギャップを把握し、PDCAサイクルを回す取組みは広がりつつある。
しかし、人的資本投資の効果を定量的に把握できている企業は多くない。人的資本経営コンソーシアムの調査※1によると、「KPI設定、現状とのギャップ把握」を実行している企業は約6割を占めるが、「投資対効果の把握」を実行できている企業は約3割にとどまっている。弊社が支援している企業でも、「人的資本への投資や人事施策が業績にどれほど寄与しているのか、その効果を説明しづらい」という声がよく聞かれる。
こうした状況の背景には、
・人的資本投資と業績との関係性を示しづらい
・人事施策の効果が発現するまでの時間差がある
・組織内での個人のスキルの活用状況が不明確であり、組織成果との関連性が見えにくい
といった問題があげられる。
本コラムでは、この3つ目の状況に着目し、「個人の人的資本が、組織内でどのように活用されると人的資本の価値に転換されるのか」という視点から、弊社の人材開発・組織開発の支援事例と調査データをもとに、人的資本が有効に活用される仕組みや状態について考えていく。
人的資本経営の浸透にともない、従業員一人ひとりのスキル向上に注目が集まっている。たしかにスキルの棚卸しや可視化も重要であるが、実際にはそれだけで終わっているケースも見受けられる。
人事担当者からは、次のような悩みを伺うことがある。
・従業員が保有するスキルを十分に活かしきれていない
・個人の経験や知識が属人化し、チーム内で共有されていない
また、筆者自身も企業の人事部門でキャリア面談を実施していた際、
・従業員のキャリア志向とスキルを発揮できる場や機会が提供されていない
・個人の経験や学びを共有する仕組みがなく、ナレッジが活かされない
という声をよく聞くことがあった。
つまり、個人がスキルを保有していることと、組織として活用できる状態に引き上げることは、別の問題として捉えることができる。また、このような状況が起こる背景には、個人の人的資本を「組織として活用する仕組み」が弱いといった実態があると思われる。
組織で活用される人的資本を考える際に欠かせないのが、人材版伊藤レポートの観点である。本レポートでは、人材戦略に求められる3つの視点・5つの共通要素(3P・5Fモデル)の中で、多様な個の掛け合わせの観点からの「知・経験のダイバーシティ&インクルージョン」、働きがいを感じて主体的に業務に取り組むことができる環境創出の観点からの「従業員エンゲージメント」を重要な要素として掲げている。この点から、組織として成果を生み出すためには、個々の人的資本を結合・相互作用する基盤の構築が不可欠である、という解釈ができる。
そのため、「個々が力を発揮できる環境づくり」が、組織全体の人的資本(組織能力)の底上げにつながる点を鑑みると、個々のスキルの棚卸しや可視化だけでは不十分であり、
・組織内での目標の共有や共通の解釈(メンバー間での目線が揃っているか)
・個人の知識・経験を共有する仕組み(ナレッジをチーム内で活用できるか)
・チームメンバー同士の信頼関係や心理的安全性(組織内で協働が起きるか)
など、個々の人的資本が組織内で活用できる状態が整うことで、はじめて人的資本としての価値を発揮する(図1)。
こうした「組織で活用できる人的資本」の重要性は、弊社が支援した不動産会社の事例(図2)にも表れている。この企業では、若手の早期戦力化が進まない点を問題視しており、この問題の本質は、拠点長・OJT担当者の育成に関する役割が共有されていないことにあった。そのため、「対話型」のワークショップを実施することで、拠点長・OJT担当者に対して若手育成への当事者意識を醸成し、育成を「組織的な仕組み」として設計することを目指した。
この取組みでは、既存のOJT制度のアンケート分析からスタートし、ワークショップでは、育成を阻害する要因の洗い出し → 拠点長・OJT担当者が担う役割の明確化 → 拠点長・OJT担当者を交えて育成目標と行動計画の策定を行った。ワークショップ後には、関係者からは「自身の役割理解」「人材育成の重要性の再認識」「人材育成のビジョンやツール共有」というポジティブな意見が聞かれている。
この事例では、関係者間で「共通目標や役割」を共有することと、人材育成が継続的に行われる「仕組みを整えること」の両面に取り組むことで、個人の育成だけで終わらせず、組織内で個人を活かすことの実効性を高めている。また、「対話」を通じて関係者の当事者意識を醸成し、育成に関する協働体制を構築することも、「組織で活用できる人的資本」に転換するカギであることを示している。
さて、前述のワークショップ事例では、「対話」の重要性にも一部ふれたが、ここからは弊社が実施した「職場での対話に関する定量調査 」をもとに、対話の質と組織内で活用される人的資本との関係を考えていく。
まず、働く個人に対して職場内コミュニケーションの実態を確認したところ、職場での会話機会のうち「本音で話せている」割合は、上司との面談で51.2%、チーム内の会議で52.1%が2割未満にとどまり(図3)、本質的な対話が行われていないことがわかる。
一方で、「本音で話す度合い」が高い人ほど、
・ジョブ・クラフティング※2
・ワーク・エンゲイジメント※3
・個人パフォーマンス(主観)
・はたらく幸せ実感※4が高く、はたらく不幸せ実感は低い
といった、個人のやりがいや活力にプラスの傾向が見られる(図4)。
さらに、本音で話せるコミュニケーション度が高いほど、
・メンバーの知識・関心に対するメタ知識(トランザクティブ・メモリー)が高い
・それまでの知識を捨て、やり方や考え方を変えるアンラーニングが起こりやすい
・アンラーニングを下げる変化抑制意識(職場で変化を起こすことの負荷)を低下させるといった組織的な好影響も確認されている(図5)。
調査結果から明らかになったことは、職場での「対話」が個人の成長だけでなく、次の3つの観点から、組織力の向上にも寄与する可能性が高いという点である。
こうした連鎖は、個人のやりがいや活力を高め、個人の能力が発揮できる環境や状態につながっていく。その結果、個人が保有する能力やスキルは、はじめて組織として活用できる人的資本として価値を生み、「対話」が個人と組織をつなぐ重要な橋渡し役になるといえる。
本コラムでは、個人の人的資本を組織として活用できる状態にどのように引き上げるかという観点で考察を進めた。ワークショップ事例や調査データから見えてきたポイントは、「個人のスキルを伸ばすだけでは、組織成果にはつながらない」ということである。
とりわけ、「対話」の不足は、個人の人的資本が組織内で相互作用するプロセスを阻害する要因となる。そのため、企業が取り組むべきは、対話の場を設定することにより、
・従業員同士の関係性を高める場の創出
・知識・経験を共有できる仕組みの整備
・組織の共通目標や方向性を確認し合うプロセス設計
など、個人の人的資本を拡張する働きかけではないだろうか。
従業員の働き方の多様化が進む状況だからこそ、こうした取組みの積み重ねが組織力強化や人的資本経営の高度化には求められるだろう。
弊社では、人材開発・組織開発を目的としたワークショップ、組織が抱える問題の定量・定性面からの分析、従業員エンゲージメント調査実施・分析による対応策の提示など、幅広いコンサルティングサービスを提供している。コンサルティングにあたっては、各企業の実態や課題に合わせた伴走型支援を重視しており、組織力強化に向けた人材開発や組織開発に課題をお持ちの際は、ぜひご相談いただきたい。
※2
自分に与えられた仕事を主体的に捉え直すことで、やりがいのあるものに仕事を創り変えていく取り組み
※3
仕事に対しての活力・没頭・熱意といったポジティブな心理状態
※4
はたらいている時や、はたらくことを通じて、幸せ・不幸せを感じている状態
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文中の内容・肩書等はすべて掲載当時のものです。
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