公開日 2023/09/25
男女雇用機会均等法が制定されてから約40年が経とうとしている。この間、ジェンダー平等や、性の多様性に関する認知は広まったが、「マジョリティ」も「マイノリティ」も関係なく、すべての人が生きやすい社会が実現したとは言い難い。従来の性教育よりも大きな視点で性や「らしさ」を問い直す「包括的性教育」について、中学校・高等学校における授業づくりを模索する、埼玉大学准教授の渡辺大輔氏に見解を伺った。
埼玉大学基盤教育研究センター 准教授 渡辺 大輔 氏
東京都立大学大学院博士課程単位取得満期退学。博士(教育学)。専門はセクシュアリティ教育。東京都内の中学校・高等学校の教師と一緒に包括的性教育の授業作りに取り組むほか、教員研修や講演、執筆活動を精力的に行う。一般社団法人“人間と性”教育研究協議会幹事。ユネスコ『国際セクシュアリティ教育ガイダンス【改訂版】――科学的根拠に基づいたアプローチ』(明石書店)の翻訳、『いろいろな性、いろいろな生きかた』(全3巻、ポプラ社)の監修を務めるほか、『性の多様性ってなんだろう?』(平凡社)など著書も多数。
――渡辺先生が取り組んでいる「包括的性教育」について教えてください。
従来の性教育は、生殖の仕組みや性感染症の予防法を伝えることがメインでした。しかし「性」を巡っては、身体の特徴、性自認(性同一性)、性的指向、ジェンダーなど、さまざまな切り口があります。身体の特徴ひとつを取っても、本当は多様性に満ちているのが現実です。このように、本来とても広範囲に渡る性の話題を、総合的に学んでいくのが包括的性教育です。
包括的性教育という概念は、ユネスコなど5つの国際機関が2009年に作った指針「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」の中で大きく整理されました。現在この中には①人間関係、②価値観、人権、文化、セクシュアリティ、③ジェンダーの理解、④暴力と安全確保、⑤健康とウェルビーイング(幸福や喜び)のためのスキル、⑥人間の体と発達、⑦セクシュアリティと性的行動、⑧性と生殖に関する健康――の8つのキーコンセプトが挙げられています。これを基に日本の教育現場、特に中学校や高等学校でどのように包括的性教育が実践できるかを探ることが私の研究の柱のひとつです。
――授業作りはどんなふうに進めているのですか。
地域や学校の状況に合わせて、現場の先生方と話し合いながら進めるため、定型のやり方はありませんが、例えば、生徒たちにアンケートをとって、その結果についてディスカッションをしてもらう方法を取っています。「男らしく/女らしくしなさいと言われたことがあるか」「『ホモネタ』や『オカマネタ』で笑ったことがあるか」といったシンプルな質問への回答を膨らませていくかたちです。授業が終わったら、先生と生徒双方からフィードバックをもらい、次の授業計画に生かしています。
先生方に同じやり方で授業をしてもらっても、先生と生徒それぞれのキャラクターや日頃からの関係性によって反応はさまざまです。多くの場合、授業後、クラス内や生徒と教師の信頼関係が深まり、差別的な言動がなくなったといった変化が見られます。しかし中には、先生自身のジェンダーバイアスが授業内の至るところで出てしまったりして、むしろジェンダーバイアスや性的マイノリティ差別を助長してしまったのでは……と疑問符がつく結果になることもあります。教育という営みには完成形はないので、プログラムを作っては直し、作っては直しということを10年以上続けています。
――渡辺先生ご自身は、どのようなきっかけで今の研究を始められたのでしょうか。
原点は、私自身が子どもの頃に生きづらさを感じていたことです。私はいわゆる「男らしさ」に当てはまらない言動が多かったので、クラスメイトから「ホモ」「オカマ」といった言葉を投げかけられたり、周りの大人からも「男なんだからもっとこうしなさい」と言われたりしていました。現代の学校においても、こうしたことはなくなっていないと思いますが、それでも学校現場の意識はかなり変わってきたと思います。
――日本では、性の多様性についての意識はどのように変わってきたのでしょうか。
いくつかターニングポイントとなる出来事があって、そのひとつは1991年に同性愛者の人権団体が、東京都の宿泊施設の利用を拒否されたことに対し、裁判を起こしたことです。この裁判は6年後に人権団体側の主張が認められて決着するのですが、日本で初めて同性愛がテーマになった裁判で、さかんに報道されました。
学校教育においては2015年に文部科学省が、性的マイノリティの子どもたちへのきめ細やかな対応を求める通知を全国の教育委員会に出しました。実は2010年に性同一性障害の子どもへの配慮を求める通知を出していて、その支援の対象を広げた形です。なお、2015年は、東京の渋谷区と世田谷区で、同性カップルを婚姻に相当する関係と認めて証明書を発行する「パートナーシップ制度」が始まり、「LGBT」という言葉が広まった象徴的な年でした。
この頃から学校の中でも、いろいろな性の子どもがいるんだということが意識化されて、「個性を大切にする教育や言葉がけが大事」という認識を持つ先生方が増えたように思います。今ようやく子どもたちが、自分のジェンダーやセクシュアリティについての悩みを先生に相談できる環境が整ってきて、制服や校則を見直す動きも広がりつつあります。
――日本の学校では、まだまだ性の話題はタブーだという感覚が根強いと思いますが、どのような視点でアプローチしているのでしょうか。
包括的性教育では、「科学と人権」をベースに話をします。例えば、性交を説明する際にも、精子は空気に触れると弱ってしまう性質があるため、なるべく子宮の近くに届けるのだ、というように、科学的事実をメインに伝えます。性教育を巡っては「性行動の低年齢化を招くのでは」といった懸念も聞かれますが、むしろ科学的に説明することで、初めての性行為の経験年齢が上がるというデータもあるのです。
同性愛をはじめ、多様性を認め合う制度の整備が日本よりも進んでいる欧州では、子どもたちは自分たちがどのようにして生まれるのかを「保健体育」ではなく「生物」の授業で学びます。スポーツも、実践して楽しむだけでなく、体のどの部分をどのように動かせばどういった結果になるのかを科学的に学びます。自分たちの体のことを「人間の体」として、科学的にしっかり学校で学ぶようになっているのです。
現代の日本において、性に関する情報は世の中に溢れていますが、偏った情報や誤った情報も多く、子どもたちにとって何を信じていいのか判断が難しい。一方で、子どもたちは性に関心を持っていて、だからこそ信頼できる大人から話を聞きたいと思っています。
もちろん、何でもあからさまに話しましょう、ということではありません。個人の性に関する話は極めて個人的なことですから、話題にする際には、自分から投げかける質問が相手の「人権」にどのように関わっているかを考えることが非常に重要です。そういったことを大人が丁寧に伝えるべきなのです。今の親世代は十分な性教育を受けていないため、伝え方が分からず戸惑う人も多いと思いますが、子どもたちからのさまざまな質問に対し、口ごもり、うやむやにするのではなく、真摯に向き合って話すことで、子どもとの関係も深まっていくはずです。
――社会全体でジェンダー平等を促進し、性の多様性をもっと認めていくためには何が必要だとお考えですか。
性の多様性を性的マイノリティだけの話にしないということです。例えば、LGBTQを「あの人たち」として捉えるのではなく、多様な性自認や性的指向を持つ「私たち」として捉える視点が重要だと考えています。
一例を挙げると、現代の企業の経営層や管理職の多くを占める日本の男性には、今まで自分を取り巻く社会の価値観に、さほど違和感を持つことなく生きてきた人たちも多く、多様な性の在り方などといった新たな価値観を受け入れにくいケースがあると聞きます。特に30代、40代の日本の男性は、長時間労働をする傾向が強く、その背景には「男だから何よりも仕事を優先すべき」といった社会の規範意識による「男らしさ」に縛られている側面があるといえます。こうした価値観の中で疑問なく育ってきた人にとっては、「多様な性の在り方を尊重しましょう」などという新たな価値観を求められると、自分が今まで身につけてきたものや、ひいては自分自身を否定されるような気分になるのかもしれません。しかし、世の中には自分とは違う感覚を持つ人もいるのだということを認め、自分とは違う他者の生き方も大切にしていただきたいと願います。
「トランスジェンダー」に対して、出生時の身体の特徴から判定されて戸籍に登録された性別が性自認と一致している、世の中の多数派の人々を「シスジェンダー」と呼びますが、シスジェンダーの中でも自分らしさや体の感覚、人生の価値観は千差万別で、一人ひとりが尊重されるべき存在です。また、男らしさ/女らしさをはじめとした社会におけるさまざまな「らしさ」の定義、そこから作られたシステムによって、誰であっても人生の豊かさを享受できない場面は多々あります。
自分の生き方は、誰かが決めた「らしさ」に縛られていないか、自分の生き方をもっと豊かにするにはどうすればいいか。大人になった今、改めて考えてみることをおすすめします。性の多様性について再び学び考えることは、自分自身のことを知ることにつながります。それはつまり、この性の多様性に関する問題を「私たち」のこととして考える視点を持つことにもつながるのです。
――包括的性教育を受けた子どもたちが大人になったとき、どのような社会の変化を期待していますか。
現代の日本では、政治と経済分野のジェンダーギャップ指数が特に低いですが、子どもたちをはじめ、より多くの人がジェンダーやセクシュアリティの多様性に理解を深め、環境を整えていけば、性別だけではなくあらゆる社会の決めた「らしさ」にとらわれずに、さまざまな分野で挑戦する人がもっと増えていくと思います。
また、性教育は、つまるところ人権教育です。子どもたちには、自分が困っていることや権利が保障されていないことに対して、「声を上げてもいいんだ。そして苦しいなら、学校のルールも、社会の仕組みも、自分たちで話し合って変えればいい。変えられるんだ」ということを知ってもらいたいと願っています。そのためにも、まずは学生である間に、自分たちで学校の慣習やルールを見直していける経験ができるといいですよね。日本社会では政治への関心の低さが目立ちますが、包括的性教育を学んだ世代が社会に出る頃には、より多くの人が政治に対して積極的に声を届けるようになるかもしれません。そのようにして、社会がより良い方向に変化していく未来を期待しています。
※文中の内容・肩書等はすべて掲載当時のものです。
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