公開日 2023/09/05
「女性活躍」が盛んに議論されている一方で、家事や育児との両立に悩みながら働く女性たちはいまだに多い。育児をしながらでも女性が能力を発揮できる社会を実現するには、今、何が課題となっているのか。さまざまな職場で働く母親たちへの聞き取り調査を通して、世の中に問題提起を続ける東京大学准教授の藤田結子氏に伺った。
東京大学大学院情報学環 准教授 藤田結子 氏
米国コロンビア大学大学院で修士号(社会学)、英国ロンドン大学大学院ゴールドスミス校で博士号(コミュニケーション)を取得。明治大学等を経て2023年に東京大学大学院情報学環に着任。米英と日本で、メディアと国際移動、人種・ジェンダー、アート/ファッションの生産、労働などをテーマにエスノグラフィー調査を実施。『文化移民―越境する日本の若者とメディア』(新曜社)、『ワンオペ育児』(毎日新聞出版)、『働く母親と階層化』(共著、勁草書房)など著書多数。
――働く母親たちの研究を始めたきっかけを教えてください。
私はもともと社会学のメディアコミュニケーション研究が専門で、ワーキングマザーに関係するテーマを特別に扱っていたわけではありませんでした。以前は海外移住者を対象に、テレビ・雑誌・映画といったメディアの情報や他者とのコミュニケーションが、移住先の決定にどう影響するのか、また移住した後で、海外メディアを通じて日本がどのように見えるのか、といったテーマに取り組んでいました。アメリカやイギリスなど、世界各地の日本人コミュニティに調査に出掛けることも多かったです。
しかし、2012年に出産した後は育児でしばらく海外に行くことができなくなりました。働く女性が子どもを持つと、出張や転勤はもちろん、日々の出社すらままならず、困ってしまうケースが多いことは知られていますが、自分も当事者になってその厳しさを痛感しました。そんなとき、新聞社から育児をテーマにコラムを書きませんかという話をいただいたのです。コラムを執筆するうちに、これを機にきちんと研究してみようと思い、母親たちへの聞き取りを始めたのです。
――母親の苦境を訴える発信には、反響も大きかったのではないでしょうか。
そうですね。2015年頃から調査を始め、2017年にはそれまでのコラムをまとめた本を出版したのですが、そのタイトルにも使った「ワンオペ育児」という言葉がさまざまなところで取り上げられ、その年の新語・流行語大賞の候補にもなりました。この言葉自体は以前からソーシャルメディアの中で使われていて、私の造語ではありませんが、「女性が一人で育児をする過酷な状況」と定義したコラムが広まって、メディアの取材を受ける機会が増えました。
私自身も子どもが生まれて数ヶ月間は、夫が単身赴任をしていてワンオペ育児でしたので、そういう状況を普通に生み出している社会に対する怒りを強く感じていました。また、2016年に「保育園落ちた日本死ね」という匿名ブログが大きな話題になっていたので、この時代の空気に私の発信した内容が合致したのだと思います。
――働く母親たちへの聞き取り調査の結果をまとめた著書『働く母親と階層化』では、「階層」に着目されていますが、その理由などを詳しく教えていただけますか。
これまで、働く母親たちの研究について、学会で発表したり、政府の会議で発言したりしたときに、「パート勤めの人や、介護やサービス業などの現場で働いている女性たちはどうなのか」という質問をしばしば受けました。しかし、私の周囲にいるのは研究者や企業の会社員といったデスクワークの人が大半であり、それ以外の女性については私もよく知りませんでした。そこで対象者を広げて調査してみたところ、いわゆる高学歴のオフィスで働くような層とは異なる実態が見えてきたのです。
実際に、働く女性の大半は、介護士や保育士、看護師といった福祉・医療の関係職や、販売員など、現場で仕事をしている非大卒層といわれています。資格を持っていればまだ良いのですが、特に資格を持たない女性たちは雇用が不安定で、妊娠するとマタハラに遭いやすいということも調査から分かってきました。最初は希望を持って働き始めても、出産・育児との両立となると、厳しい現実に直面して働く意欲を失ってしまう。子育ては頑張ればその分、報われるので、母親である自分には価値を見いだせるのですが、仕事にはなかなか価値を見いだせない。それでもお金は必要なので働かなくてはいけないという状況に追い込まれている女性が、数多くいることが分かりました。
――そうした現場で働く女性もやはりワンオペ育児に悩んでいるのでしょうか。
ワンオペ育児の悩みはより深刻だと思います。現場で働く女性たちは、夫も建設業や運送業、製造業などの現場で働いているケースが多く、そのような職場では男らしさが重視される傾向が強いこともあり、夫が「育児は女がするものだ」という価値観を持ち続けているケースも珍しくありません。彼女たちへの聞き取りを通して「子どもが泣いていても構わず、夫がスマートフォンのゲームをしている」といった話をあちらこちらで耳にしました。
大学を出て大企業で働く男性の場合、ダイバーシティやジェンダー平等についての教育を受ける機会に何かしら恵まれ、育児にも協力しようという意識がそれなりにあります。ところが、そのような機会がないまま社会に出て働く男性は、自分が育った家庭環境が価値観のベースとなります。《夫が稼ぎ、妻が家を守る》といった家庭で育った男性であれば、妻だけが家事や育児をしていることに疑問を持たないのだと思います。「イクメン」という言葉が広まって、これだけ男性の育児参加が叫ばれている今でも、このような現実があることに私自身、大きな衝撃を受けました。
――今後の研究の方向性についてもお聞かせいただけますか。
今、興味を持っていることのひとつは、人工知能(AI)が家事や育児、介護などの「ケア労働」に与える影響です。欧米では、AIを搭載した家庭用ソーシャルロボットが、子どもの習い事のスケジュール管理や誕生日パーティーの準備をしたり、家族が留守の間に家じゅうの掃除を済ませてくれたりするサービスが登場しています。
しかし、このサービス、利用者はAIを相手に発注するので、表向きはロボットが働いているように見えるのですが、実際の管理や準備、掃除などの実務は、本国に子どもを置いて出稼ぎに来ている移民の女性労働者が、低賃金で実働を担っていたりするのです。
本来、ケア労働はとても大変で、価値のあるものなのに、それがロボットでも簡単にできる仕事のように受け取られ、実務の担い手である人間の存在を覆い隠し、人種やジェンダーの問題まではらんでいる。日本でも介護の現場などを中心に、人手不足をAIや海外からの労働者で補う策が検討されていますが、今、欧米で起こっていることと同じ問題に直面する可能性は十分に考えられます。
もうひとつ、国内のシェアリングエコノミーも興味のあるテーマです。家事育児の代行などをはじめ、シェアリングエコノミーは働く女性たちの支えとしても広がりを見せていて、助かっている人がいる半面、通常の対価よりもかなり安い料金でサービスを提供するケースも生じています。サービスの利用者と提供者の間で何が起こっているのかは、あまり知られていない分野なので、研究を通して明らかにしていきたいです。いずれにしても、AIや情報技術の普及によって、ケア労働がどんどん不可視化されてしまうことを危惧していて、問題提起をしていければと思っています。
――「女性活躍」がさまざまなところで議論されている割に、なかなか進まないのはなぜだと思われますか。
大きな要因は、男性の労働時間が非常に長いことです。伝統的に続いてきた日本型雇用では、長時間働くほうが昇進しやすいということが、制度上も意識上も根強く残っています。仕事に出た男性がなかなか家庭に帰ってこないため、女性がワンオペ育児をせざるを得ない状況になっている。そして女性はキャリアと育児の間で葛藤しながらも時短勤務を選んでいる、というのが実情ではないでしょうか。ただ、早く帰ってきても育児を分担しない男性もいるので、長時間労働だけの問題とは言えませんが……。
ほかに日本社会の特徴として、男女ともに、家族や友人と過ごすプライベートな時間よりも、仕事を優先する価値観が欧米諸国に比べて強く、家事にかける時間が短いという傾向が指摘されています。雇用制度のほうが影響は大きいと思いますが、このような価値観もワークライフバランスが取りづらい背景にあるのかもしれません。
――企業のリーダーや人事担当者たちにとっての課題は何だとお考えですか。
やはり、まずは長時間労働の改善です。長時間労働を続けているとジェンダー平等を実現するのが難しいだけでなく、若い人材を獲得する上でもプラスになりません。
女性の話から少し離れますが、最近の大学生、特に男子学生を見ていると、大企業に入っても3年ほどであっさり転職してしまうケースが目立ちます。「将来が不安なので、早く成長したい。何十年も耐えて働いて、昇進や昇給はできたとしても、やりたいことがやれず、住みたいところに住めない人生を送るのは嫌だ」と思っているようです。最近では「子どもができたから仕事を頑張ろう」ではなく、「子どもができたからゆるく働こう」と考える男性も。入社した環境が性に合って結果的に長く勤めるケースはありますが、最初から長く働き続けることには価値を見いだしていないのです。ある意味、仕事優先だった親世代の価値観から、プライベートを重視する価値観への転換が起こっているといえます。
ただ、こうした若者たちは、上司や先輩の背中を見ていて将来への希望を感じられず、「頑張って働いても若手に裁量権がないなら、やりたいことをやりたい」と考えているきらいがあります。女性と若者とでは事情が異なりますが、どちらも社会や企業の現行のシステムにうんざりしていて、組織のために働くことに熱意を持てなくなっているのではないでしょうか。女性が本当に能力を発揮できて、若者にとっても魅力的な職場を作るには、特に現在、企業のリーダー職の多くを占める男性の中高年層が自ら意識を変えて、制度改革をしていくことが必要だと思います。
※文中の内容・肩書等はすべて掲載当時のものです。
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