自律性、主体性が求められる時代、人事施策成功のカギは《個の覚醒》にあり

公開日 2022/12/05

昨今、D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)やパーパス経営、キャリア自律などに、積極的に取り組む企業が増えている。しかし、いくら手を尽くしても、思ったような施策に結実しないと悩んでいる企業も少なくないようだ。多くの企業コンサルティングやリーダー育成に携わる古森剛氏は、近年の人事界において「大きな前提が変わってきている」と指摘し、企業施策を成功に結びつけるキーワードを《個の覚醒》と表現する。現在の問題点とその解決策について伺った。

古森 剛 氏

株式会社CORESCO代表取締役 古森 剛 氏

日本生命保険相互会社、マッキンゼー&カンパニー、マーサーを経て2014年に株式会社CORESCO創立。組織人事分野を中心とした経営者・経営陣向け相談のほか、リーダー人財開発やD&I(ダイバーシティ&インクルージョン)経営、人間と社会への深い洞察を生かした商品開発支援などに強みを持つ。

  1. リーダー層の負担が限界に。個人レベルの責任に着目
  2. 上からの「強制」では、意味のある施策も成功しない
  3. 主体者になりきれない社員には、《個の覚醒》が必要
  4. 個の意識を変えていく日常的なきっかけづくりを

リーダー層の負担が限界に。個人レベルの責任に着目

――現場の経営者やリーダーたちは、どのようなことに課題を感じているのでしょうか。

私は日々、現役経営者からさまざまな相談を受け、リーダー育成を行っています。現在のリーダーと次世代のリーダー、両者に触れる中で私が感じているのは、これまで人事界が掲げてきた大きな前提が変わりかけているということです。


これまで経営の大事な部分、軸足は「会社側の責任」に置かれていました。経営戦略に沿って人事施策があるわけで、その人事施策を進めるにあたっては、経営トップのコミットメントと、各リーダー層の動きは非常に重要です。最近注目されているD&Iなども、リーダーシップ研修に組み込まれていることが多く、リーダーの評価がメインになっています。


あらゆる施策を実施する上で、運営をする会社側が重要な責任者であることに変わりはありません。しかし、近年の現場を見ていると、リーダーに課されることがあまりにも多く、「リーダー側にある種の限界がきている」ことを感じます。


――「リーダー側の限界」の背景には、どのような要因が潜んでいるのでしょうか。


施策が思ったように進まないと、「コミットメントが足りていないのではないか」「リーダーが本気になっていないのではないか」と責任の矛先はトップやリーダーに向きがちです。しかし、私は「個人の力」も問われるべきではないかと考えます。施策を成功させるには、「経済価値」を生みながら「社会的価値」も維持しなければなりません。


例えば、D&Iでは単純にジェンダーバイアスをなくすだけでは経済的価値を生み出すことはできません。最低限の差別的要素を除外した上で、バイアスと関係なく「いい個人が出てくる」ことが結果につながるのです。


しかし、リーダー側に個性を生かしたいという気持ちがあっても、社員の側からなかなか個性が出てこないのが現状ではないでしょうか。パーパス経営に関しても同様です。仕事には大変なことがつきものですが、困難を乗り越えるために「心を前に向かせる」のが、パーパスの力だと思います。


本来、企業とは広義において「社会のために」事業を発展させることを目的としています。働く人が、自分の人生の置き場として、「過ごす時間に意味がある会社だ」と思えるかどうか。必ずしも会社と個人のパーパスが100%一致する必要はありませんが、一部が重なると個人も頑張りやすくなります。


――企業と個人のパーパスが重なることが大切なのですね。

個人と企業のパーパスに一致し得る部分があるどうかが重要です。しかし、そもそも個人に意志や生き方(パーパス)がなく、擦り合わせすらできていないのが現状ではないでしょうか。それではパーパス経営は成立しません。実際のリーダーにはプレイングマネージャーが多く、ほとんどが実務者です。努力しているのに、現実的に身動きが取れなくなっているというリーダーが多いように思います。


人事施策の軸足を会社に置いた上で、場をつくる責任というステージは会社側に残りますが、加えて会社を構成する「個人の責任」が求められる時代にきているのです。つまり、「育てる責任」に「育つ責任」が伴わなければなりません。

上からの「強制」では、意味のある施策も成功しない

古森氏

――個人側の「育つ責任」がないと、どんな問題が出てきますか。

「多様性を生かす」というと会社側からの活用視点ですが、では「生かされる個人」は果たして生かされようとしているでしょうか。残念ながらそうではないことが多く、企業側の「片思い」で終わってしまいます。どんなにリーダーがレベルを上げたところで「生かされようとする個人」が少なければ効果は出ません。


近年、「心理的安全性」が注目されていますが、そうした環境を確保しただけで、積極的に議論が交わされるようになるわけではないのです。現状を見ていると、「きちんと仕事はしますので、空いた時間はプライベートに使います」と、安心して彼らは帰ってしまいます。これではリーダー側の負担が増えるばかりです。


部下に強く言えず、一方、部下のほうは見えないところで皆でつながって自分の陰口を叩いているのではないか……。リーダーもそのような不安や孤独を感じることがあるのです。心理的安全性もただリーダーが与えるだけでなく、全員でつくり上げるものになっていくべきではないでしょうか。


――リーダーと個人には、どういった関係性が求められるのでしょうか。

例えば、ジョブ型で考えてみましょう。会社としてジョブを定義し、ジョブディスクリプションを整備し、それに紐付くベンチマークに基づいた給与体系を用意し、必要に応じて人を入れ替えようとする。しかし、個人側がアグレッシブにスキルを自分で身につけ、新しいジョブを目指してくれなければ、会社がどんなにジョブ型に力を入れても、それは「強制異動」に過ぎません。


社員が「仕方なくやらされている」と思いながら取り組んでいたり、個々に努力する責任が足りなければ、会社の対応が不十分な印象になりかねないのです。D&Iもジョブ型も会社側だけの責任で成果が出るものではありません。


キャリア自律でも同じことがいえます。個人がどんな人生観を持ち、どのようなキャリアを歩みたいと思っているのか。現実的に何に挑戦し、どうあるべきかを明確に描いていなければ、施策は意味を成しません。

主体者になりきれない社員には、《個の覚醒》が必要

――自律性は、一朝一夕に高められるものではないですよね。

課題の根底には、個人側の成熟度やレディネス(心身の準備性)の不足があると思っています。リーダー側の思いが届かずに孤独感が募り、現場では経営側からこれ以上プッシュしても仕方がない状況になっている場合が多いことを痛感しています。企業が施策を成功させるためには《個の覚醒》が必要です。

もちろん企業は完全な民主主義ではありませんが、以前に比べると個人の尊厳の重視やガバナンス強化など、民主的要素が高まっています。そんな近年の企業には、日本の「政治と国民」の関係と似た構造が見られます。市民にしろ従業員にしろ、「どんなポリシーを持つ人を支持したいのか」と聞いたところで、そもそものポリシーを持つまでの努力をしていない人が多いのです。自ら成長に向けて行動しないのに、会社のやり方に不満だけ主張する社員は、投票に行かずして、自身の立場から見える範囲だけで政策の良し悪しを判断し、批判する国民と変わりません。個人が国に対しても会社に対しても「主体者」になりきれていないのです。


本来であれば、納得できないことがあるなら改善策まで踏み込んだ上で個々が自身の考えを持っていなければならない。しかし、現状はそこまでに至っていません。強い意志がない個人は、すべてを仕組みのせいにする傾向があります。


民主主義的な枠組みの中でリーダーが疲弊しきっている現代。このままでは《弱者とみなされている》個人が強くなる一方で、企業にも民主主義の綻びのようなものが見えてくるのではないでしょうか。個々の社員をしっかり「市民化」する、意識を持った社員にしていくことが、人事のテーマになると思います。今後、人事は何かしらの手を打たないといけなくなるでしょう。これまでの施策が間違っているのではなく、今のままでは届かないのです。


――今後、個人にはどんな意識が必要でしょうか。

所属する会社に対して、個々が「貢献する」というコンセンサスを持つことが必要です。D&I経営を例に、多様性を包括した「場」が経済価値を生み出すための重要な要素を見てみましょう(図)。まず「リーダー(会社側)」と「個(雇われる側)」が存在します。リーダーは、個を受容して活用する立場で、個に対してバイアスを減らした上で適材適所に配置し、個に心理的安全性を与えなければなりません。また、そもそもリーダーがリーダーたり得るのは、人々(個の集積)からフォローされているからであり、役割上の権限だけでは人々はついていきません。まずはその視点が重要です。


一方で、個の側は、自分を出す勇気(リスクテイク)を持ちながら、積極的な発言や行動で自己開発する立場です。そうでなければ組織全体としては成り立ちません。しかし、実際はどうでしょう。個がリスクテイクして能動的に動いておらず、リーダーが一方的に我慢を強いられている状況も多々あるわけです。

図:多様性を包摂した「場」が経済価値を生み出す

図:多様性を包摂した「場」が経済価値を生み出す


さらに本来であれば、両者の中核には、すべての社員が持つべき共有指向性「ALL(会社への貢献意識)」が欠かせません。つまり、リーダーだけでなく、組織を構成するメンバーが一体となって取り組んで初めて、経済的価値を生み出す体制ができるのです。しかし「ALL」がないまま、「個」が強くなっていく流れにあるのが現状ではないかと思います。少なくとも会社に所属している間は、全員が会社を良くするために力を尽くす、そのコンセンサスを持つべきです。この「ALL」と「個」のつながりが、今後の人事を考える上でのハイライトだと思います。


時として欧米諸国などのダイバーシティ施策と比較されますが、その違いは「もの言う個人」の差です。いわゆる欧米諸国の組織文化では個々人が自分の意思を比較的直截に表現しますが、日本では黙ったままの人が多いですね。「ものを言わない」人々を平等に分けたところで、どちらも静かなままです。自分の自由だけを求めるなら、独立してリスクを含めてすべて負えばいい。現状のままでは、リスクと責任は会社に預け、しかし「会社のためには働けません」という社員が増えかねません。それでは企業も壊れてしまいます。組織に雇われることを選んでいる以上、会社が目指す目的達成への貢献を大前提として、個は学び、リスクをとって考えを発言し、価値提供する責務があると考えています。

個の意識を変えていく日常的なきっかけづくりを

――今後、人事担当が注力すべき点を教えてください。

社員一人ひとりの意識を変えるには、人事のアプローチも変えていかねばなりません。《個へのアプローチ》、つまり従来のリーダー育成として行ってきた研修や教育に加え、違った手法で一般社員へのアプローチを始める必要があるでしょう。リーダーを通じて個々に伝える経路は変わらず必要だと思いますが、直接人事からも個人に働きかけてほしいと思います。


社員の中には、少し話せば変わろうとする人は必ずいます。人事の役割は、まさにそのきっかけを与え、変化の波を広げていくこと。そして、あらゆる施策は会社全員で成し遂げていくものですから、その推進の《空気》をつくることが大事です。


そのためには、研修で伝えるだけでなく、社員に対して「あなたのパーパスは何ですか?」「会社を好きですか?」「レディネスを高める努力をしていますか?」と大真面目に問う時間を設けることも重要な人事の仕事です。こういった本質的な話は、採用面接時では個々に問われることも多いですが、入社後も定期的に、真剣に働きかける必要があると思います。


――個人へはどのように伝えるといいのでしょうか。

人事からのメッセージングがまだ足りていないと感じています。年に一度の盛大なビジョンデーで伝えるのではなく、1日15秒で構わないので頻繁にアプローチすることです。今は時間や場所を選ばず、手軽にメッセージを送れるツールはたくさんあります。例えばリーダーが、日々のパーパスの達成度を数秒語る姿を社内に流すだけでも意味はあるでしょう。大仰なことではなく、ライトタッチで広く頻繁に刺激を与えることが肝です。


正社員も委託契約で働く人も、同じ会社という山の一部です。一人ひとりが自己研鑽し、貢献意識を持って、山に集まることが重要です。以前は終身雇用が当たり前で、ある意味では貢献することが前提でした。しかし、今は自分たちが戦って勝たなければ、山は残りません。山を構成する人すべてが、リーダーへの反論も含めて議論しながら、積極的に関与することで山を守らなくてはならないのです。現状は、まだ終身雇用時代の名残を持つ経営陣も多いでしょう。入社してから定年まで働いてくれる社員がベースだった時代に、改めて言葉にする必要性を感じることはあまりなかったでしょうから、なかなか伝える文化が浸透していないかもしれません。


――改めて言葉にして伝えることの難しさを感じます。

夫婦でも日常的に愛を伝え、相手の愛情を確認するほうがうまくいく場合もあります。人間にとって、このような感覚的なコミュニケーションは大切です。企業側から発信し続けない限り、会社という市民的社会は維持できません。本当に個々がこちら側を向いてくれているのか、愛情を求めながら、企業の素晴らしさを伝え続けていくべきなのです。「あなたに気づいてほしい」「あなたと頑張りたい」という自分に向けられた言葉がなければ、なかなか個人も覚醒できません。


何も難しいことではなく、手法を変えればいいだけです。これまでのリーダー育成に加え、角度を変えながら、個人に届きやすい形でセンシティビティを上げていく手段があっていいと思います。人事も日々、社員に会社への愛を確かめればいいのです。日常的にきっかけを提供し、個の覚醒を促すことが企業の発展につながっていくでしょう。


※文中の内容・肩書等はすべて掲載当時のものです。


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