公開日 2025/01/21
近年、セルフ・キャリアドックを導入する企業が増えている。一方で、一過性のイベントに留まっている、あるいは形骸化している、という事例も少なくない。制度や仕組みなど「ハードな側面」を整えてもうまくいかない背景には、目には見えにくい組織風土、人間関係、従業員の心理といった「ソフトな側面」が大きく影響している。2024年11月19日(火)に行われたキャリア自律セミナーの第1回目では、セルフ・キャリアドックの効果的かつ持続的な運用に不可欠なソフトな側面へのアプローチの考え方、関連する理論・手法について、ユースキャリア研究所の高橋浩代表にお話しいただいた。
セルフ・キャリアドック(以下SCD)とは、企業が人材育成ビジョンに基づき、キャリアコンサルティング面談と多様なキャリア研修などを組み合わせて、従業員の主体的なキャリア形成を継続的に促進支援する人材育成システムを指す。
キャリア自律とは、個々が身勝手なキャリアを描くことではないが、本丸はあくまで従業員の主体的なキャリア形成の促進であり、最終的に目指すのは、主体的行動をもって、組織活性に働きかけることができる人材の育成だ。したがって組織の理念やパーパスと、個人のニーズ・仕事を通じて得たいことの両者が紐づいたうえで共有され、それによって社会的価値を創り出していくことが重要になる。(図1)
図1.セルフ・キャリアドックの理想形
SCDを導入する企業の割合は近年増加傾向にある。令和5年の「能力開発基本調査」(厚生労働省)によると、導入企業は41.7%となっている。また導入後は、労働者の仕事への意欲向上、自己啓発の増加、人事制度の改善といった効果も生まれている。
その一方で、「キャリア窓口への相談件数が少ない」「効果が見えにくい」「時間の確保が難しい」など、導入はしたものの何かしらの問題が発生している割合は、導入企業の73.6%にのぼっているのも現状だ。こうした問題に対処できなければ、早晩SCDは形骸化し、活動が停滞して、いつの間にか自然消滅していくことになりかねないだろう。
だからといって、相談ケースを増やせばいい、効果を見える化すればいい、時間を確保すればいいといった表面的な部分に手を打つだけでは根本的な解決につながらない。表面に出てくる問題の背景には、大前提となるさまざまな組織的・人間的な要素がある。そうした「ソフトな側面」に対するアプローチが効果的・持続的なSCDにつながると高橋氏は説く。
ソフトな側面に対するアプローチでは、まず組織や従業員に何が起きているのか、そこにどのような前提があるのかに気づくことが重要となるが、その前提として、日本には大きく根強い「ソフトな側面」が二つあると高橋氏は指摘する。「Power Over」と「相互協調的自己観」だ。
「Power Overの組織は、他者を服従させることで物事を成し遂げようとする組織、言い換えれば上からの指示命令で動く組織です。相互協調的自己観は、他者との関係性によって自己が規定されるという考え方で、上がそう言うならそうする、皆がそうするからそうする、になりやすい。この二つがタッグを組んでいるところにSCDを導入してもうまくいきません」
トップ層は組織や社員をリードすべき、対して従業員は我慢して上に従うべきというマインドになりやすい。そのような組織で行われるキャリア面談は、波風を立てないガス抜きのための面談になりやすく、一時的な安心感は得られても、従業員には「相談してもムダだ、何も変わらない」という無力感を生じさせやすい。その結果SCDは形骸化していき、キャリア自律につながっていかない。
そこで必要なのが、「Power With」な組織だ。全員がウェルビーイングを感じながら仕事をし、個々が才能や個性を発揮して、力を合わせながら物事を達成していく組織へシフトさせていくことが、効果的・持続的なSCDには欠かせない。(図2)
図2.理想的な組織は?
「Power Withな組織にしていくためには、まずは現状起きていることを見える化します。優先されているニーズや価値観、背景にある潜在的な思考や判断といったソフトな側面を抽出して、因果関係をループ図にしてみるとよいでしょう。
見える化によって抽出されたソフトな側面について、本当に役立っているのか? これからも役立つのか? といった視点で断捨離していきます。そして組織全体で対話の場をもち、これからの組織のパーパスと個のニーズの接点を明らかにして、目標や必要な施策を明確化していくことが大切です」
本セミナーでは、「ソフトな側面へのアプローチ」のために活用できる、いくつかの理論や手法が紹介された。
一つ目は「プロソーシャル理論」だ。「他人や集団の利益のために行動することは、個人にも満足感や達成感を与え、長期的には自分の成長にも繋がる」というのがこの理論の基本の考え方。プロソーシャル理論の6つの原則(実際は8原則ある)のうち、とくに下記図3の①④⑤の要素は、組織風土をつくりあげていく際の重要な項目となる。
図3.プロソーシャル理論の原則(抜粋)
二つ目は、「コミュニティアプローチ」という考え方。会社組織もコミュニティのひとつであり、このアプローチで用いられている「介入の4側面」が効果的だ。これは「環境への介入/個人への介入」と「直接的な介入/間接的な介入」の2軸を組み合わせた4つの側面から方策を考えていく。
「4つの側面で考え、これまでの支援でどこが充実していないのか、足りない部分を検討して、必要な施策はすべて打っていくことが大切です」(図4)各側面の介入は相互に影響し合うため、複数の施策を並行して行うことによって相乗効果が期待できる。
図4.コミュニティアプローチの「介入の4側面」
そして最後が「開発型面談の実施」だ。キャリア面談では、個人が直面するキャリア上の問題や、個人の努力では解決できないような組織的な問題が見えてくる。そのような問題の解決を図りながらキャリア形成を支援していく「解決型の面談」は多く実施されているが、SCDを効果的なものにするためには「開発型の面談」も不可欠だ。
開発型の面談は、本人も気づいていないキャリア形成の課題を明らかにして、支援していくというもの。その人が直面しているキャリア形成上の発達課題をアセスメントし、個人の自己充足と組織貢献の適合を図っていく。
ここからは質疑応答で寄せられた質問からいくつかを紹介していこう。
【Q1】全社的にキャリア意識がなかなか向上していかない。風土を変えていくよい方法は?
トップダウンで形から入ってしまうのも、ひとつの方法。そのうえで、一人ひとりがキャリア形成への理解を深めていくアプローチを行っていくとよい。いきなり全員に、というのは難しいので、大学でキャリア教育を受けてきた若手社員、あるいはミドルシニアの社員が、「これからのキャリアを考える会」のようなグループをつくって、そこから広げていくとよいのではないか。ある企業では、キャリアについて学び、キャリアコンサルタントの資格も取得した社員がエバンジェリストになって、キャリア意識の浸透を図ったりしている。そのように社員から社員へ広げていくと浸透していきやすいと思う。
【Q2】経営層にセルフ・キャリアドックを提案しても、「今はそれどころではない、利益に繋がる施策が先だ」と言われてしまう。理解してもらうにはどうしたらよいか?
「今、経営層が関心を持っていること」に沿って話をするのがよい。たとえば売上や業績が経営層の一番の関心事なら、「それを達成するには?」という文脈から人材育成の話、「今いる人材を変えていくには?」という話をしながら、キャリアの大切さを理解してもらえるようにもっていく。最初から「キャリア」「セルフ・キャリアドック」という言葉を出してしまうと、「今は必要ない」となってしまうことが多いので、興味関心を持っているところから入っていくのがよいのではないか。
【Q3】「ソフトな側面の断捨離」を進めていく際、会社、経営者、従業員、「誰にとって」の視点で要・不要を考えていけばよいか?
「会社や経営者にとって」「従業員にとって」の視点で考えると、対立を生んでしまう。何よりも重要なのは「私たちにとって」の視点で考えていくこと。経営者も管理職も、従業員もすべて含めて「組織」であって、これからの組織=私たちの発展に向けて何が役に立つのか、という視点で考えていただきたい。
ユースキャリア研究所 代表
高橋 浩氏
Hiroshi Takahashi
博士(心理学)・キャリアコンサルタント・公認心理師。1987年、NECグループの半導体設計会社に入社。半導体設計、品質管理、経営企画、企業内キャリアカウンセリングに従事。2011年3月退職。2012年3月博士号取得、5月ユースキャリア研究所を設立。現在、企業・大学・行政において、キャリア開発に関する相談業務、研修講師、調査研究を行っている。主な著書『セルフ・キャリアドック入門』(共著・金子書房)、『改訂版 社会人のための産業・組織心理学入門』(共著・産業能率大学出版会)。
※文中の内容・肩書等はすべて掲載当時のものです。
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