公開日 2024/11/29
ビジョンを組織に浸透させることは、従業員の主体性、行動や意思決定の一貫性、ステークホルダーからの信頼などにつながり、経営のさまざまな面で重要視されている。またアカデミックな研究から、ビジョンの浸透はエンゲージメントと深く関係することも明らかにされている。では従業員がビジョンを深く理解し、納得し、行動で体現できるようになるには何が大切か。株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役の伊達 洋駆氏、株式会社メンバーズ 専務執行役員 CHROの武田 雅子氏による講演と対談を通して考察した。
セミナー前段の伊達 洋駆氏の講演では、アカデミックな知見に基づいてビジョン浸透とエンゲージメントの関係性が解説された。まずはビジョンを「会社の存在意義や目指すべき方向性のこと。従業員を導いていく重要な指針」として定義。さらにビジョンが浸透している従業員の姿とはどういうものかを研究知見を用いて示した。
TST(Twenty Statements Test)という手法を応用して、自己概念である『私は〇〇です』と、組織概念を可視化する『私の会社は〇〇です』について、回答を20個ほど考えてもらう。この両方にビジョンが含まれていれば、ビジョンが浸透している状態であると伊達氏は言う。
たとえば「世界中の人々においしく安全な食生活を提供する」というビジョンを掲げている食品メーカーがあるとする。ある従業員の回答には「私は安全でおいしい商品の提供をしている」「私の会社はおいしさと安全性を追求している」が含まれていたとしよう。このように自己概念・組織概念の両方の回答にビジョンが含まれている状態が、まさにビジョンが浸透している状態だ。
図1.ビジョン浸透
組織概念が自己概念の中に取り入れられている、すなわち組織やその価値観を内面化しているような状態を学術用語で「組織アイデンティフィケーション」と呼ぶ。
「組織アイデンティフィケーションが高い従業員は、組織との一体感が生まれてきます。するとエンゲージメントも高まっていくことが、多くの研究で明らかになっています。なかでもワークエンゲージメントと、組織への愛着を感じる情緒的コミットメントが高まっていくことがわかっているのです」
図2.理由
では、エンゲージメントを高めるうえでも重要なビジョン浸透は、どう進めていけばよいのか。
ビジョン浸透が進む要因として、伊達氏は「上司や同僚との良好な関係性」「組織からのサポートを従業員が感じられること」「会社の代表として扱われる社外での活動経験」「自社の独自性を従業員が認識できる」「他社を知ることで自社理解が深まる」の5つを挙げる。これらを意識していくことで組織アイデンティフィケーションは高まり、ビジョンも浸透していきやすくなるという。
ただし注意も必要だ。伊達氏が最後に言及したのは、組織アイデンティフィケーションの副作用について。
「今までの研究の中で組織アイデンティフィケーション、つまり組織と一体化している感覚が進み過ぎると、自分は特別な扱いを受けるに値するといった、ある種の特権意識みたいなものが生まれてきてしまうことが明らかになっています。より深刻な問題として、組織に対して貢献しようと思うあまり、組織の利益のためであれば倫理的ではない行動も厭わなくなっていく恐れもあります」
それを回避するには、ビジョン浸透を考えていく際、純粋にビジョンを浸透させていくだけではなく、倫理的な基準も同時に検討し、倫理的価値観についてもきちんと浸透させていくことが必要と話す。
続く講演では、武田 雅子氏がメンバーズ社での取り組みについて紹介した。
株式会社メンバーズはDXの現場全般を支援するデジタルビジネスを事業としている。社員数は約3,300人で、平均年齢は28.6歳。男女割合は約半々で入社3年目までの社員が約3分の2を占める若い世代の多い会社だ。
VISION2030として掲げているのは、「日本中のクリエイターの力で、気候変動・人口減少を中心とした社会課題解決へ貢献し、持続可能社会への変革をリードする」。DXの推進と併せて、社会課題の解決にも貢献できる事業提案を重視しており、ミッション・ビジョン・バリューともに採用段階から徹底することでMVVへの共感、社会課題解決への関心が高い社員は多いという。
ただ社内インタビューやサーベイなどを通して課題もいくつか見つかった。たとえば急激に組織拡大したことで役職者が不足しており、よいカルチャーが薄まってきている。またベテランの40~50代と20代社員との考え方・意識の違い、経験値の差から来る仕事へのコミットメント度合いには、やはりかなりのギャップが見られた。経営層のイメージする組織ボリュームと実際のリアルサイズにギャップがあり、メッセージが伝わりにくい現状もあった。
そうした課題を踏まえて、同社ではビジョン浸透のためにさまざまな社内イベントや仕掛けを用意している。サーベイもそのうちのひとつだ。
図3.ビジョン浸透のための社内イベント&仕掛け
「サーベイは2種類ありますが、エンゲージメントサーベイでは、結果を社内にポンとフィードバックするのではなく、必ず役職層をお呼びしてワークショップを実施し、内容をシェアしています。ワークショップのコンテンツで用意しているのは、全体結果と属性別の傾向・分析の共有、ハイスコア部門の事例共有。それから自部門のスコアを振り返って、今後のアクションも考えてもらいます。事例共有は有効なナレッジシェアになりますし、すごく盛り上がりますね」
またイントラネットを通して社内にもサーベイの結果をフィードバックしている。
大事なのは対話を増やすこと、現場の声を拾い、それをフィードバックして情報を循環させること。サーベイも、実施したら実際の例を絡めてマネジャーたちに共有し、現場とのギャップを埋めていく。このPDCAを根気よくぐるぐる回して、とにかく情報を循環させることがビジョン浸透の要といえそうだ。
図4.サーベイ実施までの流れ
講演の後には質問に基づいての対話セッションも行われた。その内容を抜粋してご紹介しよう。
伊達氏「組織には、個別に分散していこうとする遠心力、そして組織としてまとめていこうとする求心力の2つの作用が働きます。ダイバーシティ、自律性といった力は組織から離れていこうとする力です。でも環境が不確実になってくると、こうした外に引っ張る力がとても大事になってくる。一方で遠心力が働くとバラバラになってしまう可能性もあります。そこを繋ぎ止める有望な手段のひとつがビジョン。これを大事にして進んでいこうというものがあると求心力となり、まとまることができます。だから必要なのです」
武田氏「会社が目指そうとしている方向に1枚の白い布が下がっていて、そこに映る絵がビジョンだと私は思っているのです。節目節目で絵は変わるけれど、みんなに同じ絵が見える。自分たちらしくいるために大事なことが絵の中に位置づけられているから、遠心力が働いたり、拡散が起きたりしたときに立ち戻ることができるのですよね」
伊達氏「今のお話は、ビジョンが抽象的な場合にどうすればいいのかにもつながってくる話ですね。絵の中に自分をどう位置づけていくのか、つまり自分がその絵の中でどんな貢献ができるのかが見えてくると、ビジョンに対して愛着を持ちやすくなりますし、コミットもしやすくなります」
伊達氏「ビジョン浸透を進めていく人事がビジョンを信じられてないのはちょっと問題ですよね。できれば社員に対するロールモデルになっていけるぐらい、ビジョンを内面化していることが重要ですし、その一方で俯瞰する部分というのも必要なのかなと思います」
武田氏「人事が発信したり、伝えていきたかったり、やりたいことって大概正しいのです。ただ現場には現場の事情もあります。冷静に俯瞰しながら、ここはマストという部分と、現場の運用でお願いする部分がよい塩梅になるよう調整することがものすごく大事だと思います。その時に必要なのは、やっぱり現場との対話です」
武田氏「人事や広報などの発信できる部署ができるだけさりげなく、でも頻度高く、社内のいろいろなところにビジョンを埋め込んで発信していくのも方法です。たとえば弊社では、会社として再現性を上げてほしいことをアワードで表彰しています。アワードの時のプレゼンでは、本当に素晴らしいエピソードがたくさん出てきますし、それらが別の場でストーリーとして紹介をされるなど循環ができているのですね。トップもメッセージの中で触れたりして、あらゆるシーンでビジョンに触れざるを得ない環境になっています」
伊達氏「エピソードが共有されている会社は、ビジョン浸透が進みやすいですよね。言葉だけでは人はイメージできませんし、自分に引き寄せて考えることもなかなかしにくい。いろいろな人を主人公としたさまざまなバリエーションのエピソードがたくさんあると、自分に近いものとか、自分が共感できるエピソードに出合うきっかけも多くなり、絵の中に参加していきやすくなるのではないかと感じました」
株式会社ビジネスリサーチラボ 代表取締役
伊達 洋駆氏
Yoku Date
神戸大学大学院経営学研究科 博士前期課程修了。修士(経営学)。2009年にLLPビジネスリサーチラボ、2011年に株式会社ビジネスリサーチラボを創業。以降、組織・人事領域を中心に、民間企業を対象にした調査・コンサルティング事業を展開。研究知と実践知の両方を活用した「アカデミックリサーチ」をコンセプトに、組織サーベイや人事データ分析のサービスを提供している。著書に『60分でわかる!心理的安全性 超入門』(技術評論社)や『現場でよくある課題への処方箋 人と組織の行動科学』(すばる舎)、『越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』(共著;日本能率協会マネジメントセンター)などがある。2022年に「日本の人事部 HRアワード2022」書籍部門 最優秀賞を受賞。
株式会社メンバーズ 専務執行役員 CHRO
武田 雅子氏
Masako Takeda
1989年株式会社クレディセゾン入社、現場感覚を大切にするマネジメントスタイルで戦略人事や営業現場の風土改革を推進。2014年から取締役となり2016年からは営業推進事業部担当役員として現場の風土改革を推進。2018年よりカルビー株式会社にてCHRO、常務執行役員としてコロナ禍における働き方改革や自立型人財の育成を手掛ける。2023年より株式会社メンバーズCHRO、専務執行役員。急拡大する組織においてマネジメントの強化や社員のキャリア自立を支援中。
※文中の内容・肩書等はすべてセミナー開催当時のものです。
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