2025年7月3日(木)に開催されたHR Beyond Bordersの最終日(3日目)には、AI時代における人間中心の働き方や学びの再設計をテーマに、ニューヨーク大学で教鞭を執るAnna Tavis(アナ・テイビス)氏にご講演いただいた。テイビス氏はAIの進化が進む現在、授業の進め方を抜本的に変革し、学生が主体的に対話し、互いに挑戦し合う「cross-training(クロストレーニング)」を重視した教育を実践している。これは、AIやYouTubeで情報が簡単に手に入る時代において、授業の役割は知識の伝達ではなく「考える力」を養うことにあるという確信に基づいている。
セッションではAIが認知労働まで広がる現実を踏まえ、学びの場、人間の役割、職場の設計、人材育成、組織文化、そしてHRの役割について、多角的で活発な議論が展開された。
以下では、それぞれの要点について具体的なエピソードや背景を交えながら詳しく解説する。
「授業は情報を提供する場ではなく、思考の筋肉を鍛える場です」——テイビス氏はこう語り、ニューヨーク大学で自身が実践する授業改革について紹介した。氏の教室は、一方向的な講義の場から学生同士が意見をぶつけ合うワークショップへと変貌を遂げている。
例えば、ある講義では学生がグループに分かれ、与えられたテーマについて互いに批判し合う「cross-training(クロストレーニング)」を行う。これは運動選手が異なる種目を取り入れて体を鍛えるのと同じように、多様な視点や議論に挑むことで思考力を鍛えることが狙いである。情報はAIやオンライン動画で簡単に手に入る時代だからこそ、授業の価値は「考える力」を育むことにあると強調された。
講演では「Information is not new anymore(情報はもはや新しいものではない)」という言葉が繰り返し出てきた。YouTubeやChatGPTなどから何でも学べる現代において、情報そのものの希少性は急速に低下している。だからこそ、学生が受け身にならず、立場の異なる人々と議論し、自らのアイデアを検証する「違った筋肉」を鍛えることが重要だとテイビス氏は説く。
また、このような対話を効果的な場にするための率直なフィードバックと心理的安全性の確保についても言及された。自身の教室では、まず否定的な意見を持つ学生に発言してもらい、それを出発点に授業を展開するという。テイビス氏は「気に入らない点こそが改善の材料」と語り、否定的な意見を歓迎する姿勢が重要だと強調した。
前日に同イベント内で行われたAIコーチング体験会では、高評価をつけた参加者は積極的に感想を述べる一方、不満を持った参加者は遠慮して意見を表明しないという現象が見られた。この体験を通じて、日米の文化的背景による違いへの気付きも共有された。こうした文化的背景の違いは多様な人が集まれば自然と発生するものである。変化の激しいAI時代では、失敗や懸念を気兼ねなく共有できる環境が継続的な学習と改善につながる。率直なフィードバックを受け入れ、その場にいる全員にとっての心理的安全性を高め、多様な声を引き出す文化こそがAI導入の効果を最大化し、組織の適応力を高める鍵になると訴えた。
テイビス氏は「My responsibility is to make them think to make them come to be able to judge and critically assess and then make decisions(私の責任は、学生に考えさせ、判断し、批判的に評価し、そして意思決定できるようにすることです)」と述べ、批判的な判断力や意思決定力を養うことが教育者の使命だと説明した。このような教育が、AI時代のイノベーターや起業家を育てる土台になると指摘している。
テイビス氏が大学教育で実践している変革と同じ波が、企業の人材育成にも押し寄せている。AIが普及すると、従来の現場経験に基づくOJTだけでは必要なスキルを身につけられない場面が増える可能性があると氏は指摘する。特に若手社員は、AIによって単純作業が自動化されることで実務経験を積む機会が減少する一方、より高度で複雑な仕事に向き合う機会が増えるという。
このような状況下では、大学の授業が情報提供から思考力育成に変わったように、企業の人材育成も知識の詰め込みから創造的思考の養成へとシフトする必要がある。そのためには、教育機関と企業の連携や新たな学習手法の導入など、人材育成のスピードと個別最適化を高める革新的なモデルが不可欠になる。テイビス氏は、デザイン思考やシミュレーション、メタバースといった体験型学習に加え、AIを活用したデジタルコーチングを組み合わせることで、学習の民主化を推進していくべきだと提案している。
一方で、AIの普及は入社後のオンボーディングやスキルアップを短時間で実現できる可能性も秘めており、人間はAIと協働しながらこれまで以上に創造的な仕事に専念できるようになる側面も持ち合わせているという。氏は、学生や社員に「entrepreneurship(起業家精神)」を育むことの重要性を強調した。これは、これまで誰も手がけていない新しい価値を創造する能力であり、既存のスキルを磨くだけでなく、未知の課題に挑戦する姿勢を意味する。
大学の教室で「cross-training(クロストレーニング)」を通じて思考力を鍛えるのと同様に、企業においても従業員が多様な視点で物事を考え、批判的に判断し、新しい価値を創造する力を育成することが、AI時代の競争力の源泉となるのである。
AIが文章作成やプログラミングなどの知的作業まで担えるようになった今、人間の仕事は単純労働にとどまらず、認知労働の領域でもAIと交わり始めている。テイビス氏は、人間とAIが互いの強みを活かして協働する「hybrid workplace(ハイブリッド職場)」がすでに始まっていることを強調した。 こうした環境では、マネジメント層は人間とAIの双方をチームメンバーと捉え、それぞれの役割を適切に組み合わせるリーダーシップが求められる。
テイビス氏は「AIは鏡のような存在で、人間の価値を問い直させてくれる」と表現し、私たちがAIを通じて自分たちの強みや倫理観を再確認することが重要だと説いた。さらに、動物行動学者ジェーン・グドール氏の研究を引用し、多様な知性を認める姿勢がAI時代の人間中心設計につながると指摘した。
過去のテクノロジーは人間の仕事を「加速」または「拡張」するものだったが、AIは初めて人間と同じ土俵で認知労働に挑んでいる。氏は「for the first time we have technology that seriously competes with humans at cognitive work(初めて人間の認知的な仕事に本格的に競合するテクノロジーが登場した)」と述べ、チェスや詩作などでAIが人間を上回る例を挙げた。
これは自然界で動物の知性を長い間認めてこなかった歴史に似ており、「multiple intelligences(複数の知能)」と共存することを学ぶ必要があると指摘する。このような視点から、人間中心の組織設計には、AIが映し出す自らの役割を自覚し、倫理観や共感力といった人間固有の強みを再確認する姿勢が欠かせない。
講演では、AI時代の働き方を象徴する新しい概念が紹介された。「frontier organizations(フロンティア組織)」とは、アマゾンやウォルマート、スターバックスなど、AIを軸に業務や組織を大胆に再設計している企業を指す。
これらの企業では、以下のような重要な概念が導入されている。
まず「intelligence on tap(オンデマンド知能)」とは、コンサルタントに依頼しなくても、誰もが24時間365日AIを通じてデータ計算やモデル作成、リサーチを行える状態を指す。従来コンサルティング会社が提供していた分析サービスが社内のAIツールに置き換わりつつある。
次に「digital labor(デジタル労働)」は、AIエージェントが人間に代わって一部の業務を担当することを意味する。マネジャーは人間とAIの成果をどう評価し、仕事を設計するかという新たな課題に直面している。
そして、AI時代におけるリーダーシップの再定義も必要であり、感情的知性やカリスマ性、コミュニケーションスキルといった従来のリーダーシップ要素がどう変化するのかが問われている。
これらの変化を遂げている組織こそが「フロンティア組織」と呼ぶにふさわしいと、テイビス氏は述べた。
最後に、人事部門の役割に関する重要な提言があった。テイビス氏は「Human Resource Management」を「Human Experience Team(人間体験チーム)」と呼び変えることを提唱している。これは、人間を単なる資源としてではなく、職場における体験全体を重視するという発想である。人材データを解釈し経営層に伝える「data storyteller(データストーリーテラー)」としての役割を担いながら、従業員のウェルビーイングと心理的安全性を包括的にサポートする仕組みを作ることが使命となるチームへの進化が必要だと述べた。
特に、AI戦略の議論においてはHRが必ず席に着き、人間中心の視点から組織変革をリードすることが求められると強調された。技術スキルがAIに取って代わられる時代だからこそ、人間らしい共感力や創造性など人間の「uniqueness(独自性)」が重要になる。テイビス氏は「When your technical skills are eclipsed, your humanity will matter more than ever(あなたの技術スキルがかすんでしまうとき、あなたの人間性がこれまで以上に重要になる) 」と述べ、HR部門が従業員の人間性を伸ばす施策を重視すべきことを示している。
本セッションを通じて、AIが認知労働に進出する現実を前に、人間中心の働き方や学びの再設計が急務であることが明らかになった。テイビス氏が一貫して強調したのは、AI時代の成功の鍵は技術導入そのものではなく、人間の可能性を最大限に引き出す環境づくりにあるということだった。
授業は情報を受け取る場から考える力を鍛える場へと変わり、組織は人とAIが協働するハイブリッド職場へと進化しつつある。フロンティア組織が示すように新しい概念を取り入れる企業が増える一方で、人材育成や組織文化、HRの役割も大きく変わろうとしている。
テイビス氏は「There’s no slowing down(減速することはない)」と語り、変化の波は止められないと強調した。だからこそ、AIを企業の基盤と捉え、人間の学習やスキル開発を迅速に行いながら、すべての組織変革の中心に人間を据え続けることが私たちの責務である——テイビス氏はそう強調したうえで、イベント終了後、本記事の作成にあたり、日本の企業に向けて次のメッセージを改めて寄せている。
Talent without critical thinking and AI fluency isn’t future-ready—it’s already falling behind.
AI時代に必要なのは、批判的に考える力とAIを使いこなす力。この2つを持たない人材は、未来を担う準備ができていないのではなく、すでに後れを取っているのだ。
(テイビス氏のメッセージを基に当社で日本語訳を付与)
この言葉は、AIの進化が止まらない今、教育現場だけでなく企業の人材育成にも突きつけられた課題といえる。私たちは個々のスキル習得にとどまらず、批判的に考え、AIを活かしながら新しい価値を創造できる環境をいかに整えていくのか。未来に向けた組織づくりの責任が、今まさに問われている。
人的資本マネジメント研究科長(Clinical Professor and Department Chair of Human Capital Management)
Anna Tavis, Ph.D. Anna Tavis, Ph.D.
未来学者、人材マネジメント研究者、講演家。ニューヨーク大学にて人的資本マネジメント、HRアナリティクスとテクノロジー、エグゼクティブ・コーチングの3つの修士課程を統括。Thinkers50 Radar Thinkerに選出され、HRアナリティクス分野のグローバル・インフルエンサー100にも連続選出。著書に『Humans at Work: The Art and Practice of Creating the Hybrid Workplace』(2022)、『The Digital Coaching Revolution』(2024)がある。モトローラ、ノキア、AIGなどで人材・組織開発の要職を歴任し、学術と実務の両面で国際的に活躍している。
Anna Tavis is a futurist, researcher, and speaker specializing in human capital and talent management. At New York University, she leads three master’s programs in Human Capital Management, HR Analytics & Technology, and Executive Coaching and Organizational Consulting.
She has been recognized as a Thinkers50 Radar Thinker and has been listed among the Top 100 Global HR Analytics Influencers for consecutive years. Her recent books include Humans at Work: The Art and Practice of Creating the Hybrid Workplace (2022) and The Digital Coaching Revolution (2024).
Before joining academia, she held senior leadership roles in talent and organizational development at Motorola, Nokia, and AIG. Bridging academia and practice, Dr. Tavis continues to shape the global dialogue on the future of work and leadership.
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